『現代』と現代の一致
当然のごとく、俺はHRG社に入社した。バイトとして働いていた期間も長いし、社員以上に仕事ができるから、一般的な入社試験はほとんどなかった。
合否を決めるものではなく意思確認みたいな面談だけはあったけど。
入社後、俺はバリバリと仕事をこなしていった。例の企画を温めながら。
俺が怜ちゃん含め違う女の人と仲良く話したりすると、夏海ちゃんはかなり不機嫌になった。
「……好きなんだ。まだ。まだっていうか、死ぬまでそうかも」
機嫌悪そうに夏海ちゃんは言う。俺がフラついているように見えるのが、我慢ならないらしい。
「あの頃の思い出だけで、これから生きていくつもりなんだ」
姉を思う夏海ちゃんは、どこか心配そうだった。
だからと言って、俺の背中を押すことはない。
どういう経緯で別れたのか、柊木ちゃんから聞いているからだろうか。
あくまでも、俺の意思を尊重するかのようだった。
俺のことを思い出して、あの頃の思い出を大切にしてくれている――。
そんなふうに夏海ちゃんに聞かされていたから、柊木ちゃんへの想いが風化するようなことはなかった。
柊木ちゃんが引っかかったのは、俺の選択肢の少なさっていう話だ。
あれから大学、職場と他の女性と知り合う機会が増えて、選択を繰り返してきた。
そういう経験込みで『大人になったら』また会いに行ける。会ってくれるかどうかはわからないけど。
でもそれだけじゃ不安なので、仕事を頑張ることにした。
頑張る理由があると、それだけで仕事は少し楽しかった。
俺は高二の頃から考えていた企画を、いよいよ夏海ちゃんに説明した。
「今までやってきたことは大事だけど、従来のものが不調になったら会社が傾くよ。だから体力がある今のうちに新しいことを――」
そんなふうに熱弁を振るうと、夏海ちゃんも賛同してくれた。
「あはは。珍しいね。誠治さんがそんなに熱っぽく語るなんて。意外とHRGに忠誠誓ってるんだ?」
「高二のときからバイトしてるし、愛着あるから。それに……まあいいや」
放っておくと業績悪化は免れないって言っても信じないだろうし。
「いいじゃん。やろうよ」
二五歳の夏のことだった。
最後に見た『現代』も、たぶん企画はこの頃に出されたものだと思う。一年やそこらでゲームはリリースされないだろうから。
社長令嬢を味方につけていることは、かなりのアドバンテージになった。
直に夏海ちゃんから社長――隆景さんに話がいき、企画は通り新事業部が発足するに至った。
若手有望社員(他称)は、新事業部長の補佐に大抜擢。新しく俺の上司になったキレ者令嬢は、企画をどんどん推し進めていった。
長年ここでバイトをしていたこともあり、さらに出世した元上司たちが俺の能力を高く買ってくれていた。そのおかげで、変な軋轢や摩擦、雑音が起きることはなかった。
「せんぱぁーい、ボク、一九時で上がりなんです。これからお食事でもどうですか♡」
最近ここでバイトをはじめた、あざとい女子大生からの誘いも断り、新事業を軌道に乗せることに躍起になった。
「ボクは未成年ですけどぉ、先輩のお酌、したいなぁ、なーんて」
計算されたて小悪魔的な笑顔で、デスクの周りをうろうろする。
向かいのデスクで仕事をする上司が、ピキピキきているのがなんとなくわかった。
「怜ちゃん、夏海ちゃんがヤバいから、そろそろ――」
パンッ、と強くキーボードを叩く音が聞こえた。
「男漁りならよそでやりなよ!」
「やぁ~ん、こわぁーい!」
投げキッスをニ、三発放った怜ちゃんは、事務室を出ていった。まだモバイルコンテンツ事業部は二人きりなので、別部署に間借りさせてもらっている状況だった。
「誠治さんも、その気がないんだからはっきりと言いなよ」
「まあまあ、昔からこうだったでしょ」
そうだけど、と夏海ちゃんは不満げにため息をついた。
子犬みたいな頃から知っているせいで、どうにも突き放しがたいんだよなぁ。
そうだとは言わないけど、俺に近づく女性がいると、怜ちゃんに限らず睨みをきかせた。姉の幸せを願う夏海ちゃんらしい行動だった。
開発運営を委託するASW社との何度目かの懇親会が開かれた。
懐かしいメンバーがそろった。
紗菜に奏多、夏海ちゃんと怜ちゃん。そして俺。
酒の席というのもあり、ちょっとした同窓会気分だった。
「あ、先輩♡ グラス空いてますよ。ビールでいいですか?」
気の利く女子大生が、頑として右隣をキープ。左隣には、お目付け役の夏海ちゃんがワイン片手に横目で俺を睨む。
向かいの席には、紗菜が座って、隣には奏多がいた。
「ちょっと尊敬する。兄さんのことを一〇年近くも追いかけ回せるなんて」
呆れたような顔で紗菜は言うと、奏多がオレンジジュースを片手にうなずく。
「……一方的な愛。でも一〇年近くはすごい」
「そんな褒めないでくださいよぅ。あ、そういえば」
ぱちん、と手を合わせて、小さな鞄の中から一枚の写真を取り出した。
「これのおかげで、ツラくても生きていけるんです」
高二のクリスマスのときに撮ったツーショット写真だった。
「こんなの撮ってたんだ」
夏海ちゃんの視線が痛い。
「……サナ、集合写真、持ってる」
「……さーちゃんは、肌身離さずずっと持ってる」
「余計なこと言わなくていいから」
そのときの集合写真。
みんな楽しそうに写っていた。実際、楽しかった。
「「「「…………」」」」
四人が神妙な面持ちになる。
「先輩、いつになったら……」
「ちびっ子、デリケートな話題に切り込まないの」
「だってぇ……先輩が……」
「――外野がとやかく言わないで」
ピシャリ、と夏海ちゃん。
紗菜が「ほら見ろ」みたいな顔をして怜ちゃんに顎をしゃくっていた。
「大丈夫。俺は大丈夫だよ、怜ちゃん」
本気でしょんぼりしている頭を俺は撫でた。
「仕事がデキる先輩は、社内のモテ男ランキング上位なのに……もったいないです……」
「……誠治君は、そういうところがいいんだよ」
奏多がぽつり。そういや、俺は奏多の浮ついた話を聞いたことがなかった。
「奏多は彼氏いるの?」
てか、付き合った経験とかあるんだろうか。
「……一応、いる」
「誰? どんな人?」
「……同い年の人」
ざっくりだな。まいいか。
「ボクのお相手は、永遠に先輩なので、いつでもウェルカムです♡」
隣と向かいから((イラッ))って音が聞こえてきた。
こんなふうに、久しぶりに酒の席を俺は楽しんだ。
少しだけ心配だったけど、紗菜は仕事に力を入れてくれて、開発は順調に進んだ。
その頃には、俺の部下にあたる後輩三人と雑務をする自称秘書のバイトが一人異動してきて、事業部は六人の部署に成長した。
二六歳の夏――つまり俺が二七歳になる年の夏。
完成したスマホ用アプリゲームがついにリリースされ、俺の読み通り時流に乗ってかなりの収益を叩き出した。
嬉しくて、打ち上げの席でかなり呑んでしまった。あのあとどうなったのかあんまり覚えてないけど、それはご愛敬ってことで。
順調に稼働を続け、予定されていたクリスマスイベントもSNS等で話題を呼び、業界トップクラスのドル箱コンテンツに成長を遂げようとしていた。
「せんぱ~い。ASWさんとの忘年会、場所はどこがいいです? よければ手配しますよ」
雑務担当の自称秘書が俺のデスクへとやってきた。
……あれ?
これ、どっかで見たことある――。デジャヴってやつか?
「あ、先輩、また戻ってきたんですかー?」
と、呆れたような顔をする怜ちゃんだった。
ああ、そうだ。これだ。俺が最後に見た『現代』。
「先輩が飲み屋でベロベロになりながら、『やったぜ、怜ちゃん……この四半期過去最高益だってよ』って秋の終わりに言ってたので、大成功のはずです」
最後に見た『現代』への道を、俺はずっと歩いていたんだ。
「そのときぃ、お持ち帰りされちゃう~って思ったのに、先輩ってば、あっさりボクを帰しちゃうんですもん。プンプンです」
ぷくーと膨れてみせて、ぷい、と顔を背ける。
「でも、そんなところが好きなんだぁって……」
ちら、と目が合うと、それを見越していたらしい怜ちゃんは、「きゃっ」とか言ってまた顔を背ける。
「ボクは困ったことに、ボクのことを好きな先輩が好きなんじゃなくて、柊木先生のことが好きな先輩が好きみたいで」
わしわし、とちょっと乱暴に頭をなでる。
「やぁん、先輩ってば、強引っ」
『仕事、キリいいところで終わらせてね! 今日会社の忘年会なんだから』
噂をすれば、その夏海ちゃんからメッセージが届いた。
「あのとき、ボクも紗菜さんも憤りました。『今さらどうして』『何で?』って。でも、この年になると……もう中身はいい大人なので、同じ立場だと考えたら、先生の気持ちも、わからなくはないんです」
現代に戻ってきた俺が中にいると思っているらしい怜ちゃん。
「わからなくない?」
「はい。月並みですけど、好きだからこそ出てしまう答えだってあるんです……。タイムリープしていると知っていれば、中身は大人だって思えますけど、そうでないなら、先輩はただの高校生です。片や大人で先生で、保護する側の人です。先輩の幸せを突き詰めていくと、最後の最後に『年の差』っていう部分が出てしまったのではないかと……」
別れてよかった、なんて思わないけど、それで柊木ちゃんの心の重しが取れるんなら、望むところだった。
先生と生徒、大人と子供――。そんなくくりじゃなくて、今や色々と経験をした大人と大人だ。
「先輩は過去を何度も変えて、現代を望む方向にシフトさせてきたじゃないですか。お話を聞く感じだと、先生とのゴールに向けて頑張ってきた。その障害となる会社の業績だって、上手くやって最高の結果を出した。でも先生との別れだけは回避できない――これはどうしてだと思います?」
あのとき、言えなかった質問への答え。
「言葉通り、避けられない出来事だったから――これはネガティブな意味じゃなくて、むしろ逆」
はい、と怜ちゃんは相槌を打つ。
「柊木ちゃんを幸せにする上で、必要な出来事だった――」
もし俺と別れない決断をあのときしたとして。
柊木ちゃんは、刺さっている棘を見て見ぬフリをしながら、俺との関係を続けていく――俺の相手は自分で果たしていいのか? なんて心のどこかで思いながら。
かすかな俺への後ろめたさや、年の差を気にした嫉妬や独占欲に自ら苛まれる結果になったんじゃないだろうか。
「今と高校時代、先輩の軸足がどっちにあるのか、思い出してください」
もちろん今だ。
なぜかっていうと、俺は――『俺』たちは、現代にいる柊木ちゃんを幸せにするために、過去を変えてきたからだ。
高校時代は、あくまでも通過点。そして、それがあって今がある。
俺は、これから先のことは知らない。あれからタイムリープ解除はされなかったから。
オリジナルの記憶でも今年の春から先は知らなかった。
……もしかすると、もう行っていいってことなんだろうか。
カーナビだって、目的地付近で案内をやめる。
『ここだよ。あとはもうわかるでしょ?』って言いたげに。
改変し終わった過去。
解除されないタイムリープ。
そのルートを辿り到着した現代。
過去と現代の時間軸の合致。
いつだって、柊木ちゃんとのハッピーエンドな『現代』は見せてはくれなかった。
問題が山積みで、片付ければ片付けるほど、問題が出てきた。
最後の問題は、時間が解決するってことじゃないのか。
もうここからは、自分の足で歩いていけってことか。
仕事をキリがいいところまで片付けると、時間は夜の九時を回っていた。
『忘年会だって言ったじゃん~。ウチらがめちゃくちゃ褒められる会だったのにぃ』と上司から電話でお叱りを受ける。
よっぽど嬉しかったのか、夏海ちゃんの声は弾んでいて、珍しく酔っ払っているようだった。『これだから空き巣くんはねぇ』と懐かしい呼び方で、ああだこうだ、としゃべる。
それを遮り、俺は必要な情報だけを訊いて、駐車場に向かう。愛車に乗り込むと、よく知る場所へハンドルを切った。




