紗菜の約束
「好きだから別れるって、何? どういうこと?」
紗菜の部屋で、俺は首をかしげていた。
「だから、その人のことを思ってこその行動っていうか……」
俺の質問に、紗菜もあまり納得いかなさそうな顔で、ひとまず説明した。
「矛盾してない?」
「そんなこと、サナに言われても困る」
でも書いてあったでしょー、と紗菜は俺が返した漫画の当該部分をパラパラとめくる。
正月休みで暇なので、紗菜に借りた漫画を読み終えて返しにきたところだった。
いつもは少年漫画が多いけど、趣向を変えて、今回は紗菜オススメの少女漫画を読んでみた。
「納得いかねえ」
「主人公の選択なんだから、いいじゃないそれで。どうしたらお互い幸せになれるのかって考え抜いた上で決断したんだから」
「そうなのかなぁ」
「いやに噛みつくわね。これはこれでハッピーエンドって感じでまとめられてるんだから」
ハッピーじゃなくね?
恋愛漫画なのにラストは、お互い信じる道を歩み出した――みたいな終わり方って。
「それはいいから、兄さんもちょっと手伝って」
コントローラーを寄越すと、ポーズをかけていたゲームを再開する。
やっているのはRPGだけど、戦闘中に限り別プレイヤーが他キャラを操作できた。
ザンザン、と紗菜が操る主人公は剣を振るい技を繰り出していく。
「援護して早く! バフ遅い! 何してるのよ」
「うるせーな、今詠唱中なんだよ」
カチカチ、と二人でボスらしきモンスターと戦っていく。
「……先生とのことで、心配になったの?」
珍しく図星突くじゃねえか。
「あ、ミスった」
俺が操作している魔法使いが、ドガァァン、という派手な衝撃音とエフェクトとともに、敵の必殺技が直撃。HPは一瞬にしてゼロ。
「ちょ、ちょっとぉぉぉぉ!」
「わり。回復頼むわぁ」
「ったくもぉ! 物理防御が紙なんだから不用意に前に出るとそうなるのよ――! もっと集中して!」
ガチ過ぎて暑苦しい妹だった。
すぐに紗菜が操作する主人公が蘇生アイテムを使い、俺を起こしてくれた。
「先生は、きっと大丈夫よ」
「そうかなぁ」
と、調子を合わせておく。
全然大丈夫じゃない未来がすぐそこに迫ってるんだよなぁ。
「もし兄さんを泣かせたら、サナ、先生を殴る」
「おいおい、穏やかじゃねえな」
「ちょっとぉぉ! 兄さんがタゲ(ターゲット)られたら戦闘全体のバランスが崩れるんだから上手く立ち回りなさいよ!」
「だったらおまえがタゲられるように立ち回れよ」
ターゲットにされてしまった俺が操作する魔法使いは、逃げ回りながら隙を見て仲間に魔法攻撃力アップの支援魔法を唱えていく。
「そういうチョコマカした立ち回りだけは上手なんだから」
「なんか言ったか?」
「必殺技のゲージ溜まったから、サナ優先で」
「わかった、わかった」
必殺技――魔法剣技らしき長い横文字の技名の攻撃を放つ。それでもまだ敵のHPはなくならない。
倒れない敵。
ジリ貧になっていくパーティ。
アイテムが底を突き、蘇生もさせられなくなっていく。
そして、最優先にしていた紗菜が操作する主人公も倒れ、ゲームオーバーとなった。
「んんん……ぐやじい……」
「全体的に、火力不足を感じた。適正レベルじゃねえんじゃねえのか」
「レベル上げなんて、面倒くさいじゃない」
何言ってるのよ、とでも言いたげだった。
ゲームはいいよな。
誰が敵か明白で、そいつを倒せば先に進める。
なんなら、画面が戦闘モードに切り替わるから、そこで戦えばいい。
失敗しても、原因がすぐにわかる。
でも、現実は違う。
敵が誰かも、戦っていいのかどうかもわからないし、そもそも敵がいない可能性だってある。
戦闘モードには切り替わらないし、BGMも変わらない。ファンファーレも鳴らないし、リザルト画面も出てこない。
あぐらをかいたまま、仰向けに倒れる。
「そんなに悩むんなら、別れちゃえばいいのよ」
「んあ?」
「別に何でもない。どうせ巨乳は離れがたいとかって思ってるんでしょ」
そんなわけねえ。
まあ、たしかにすごいけど。
「どこかで何か間違ったのか?」
進路の分岐点で、バッドエンドにしかならない選択をしてしまった?
やり直したいって思っても、タイムリープは俺の意思でどうこうできない。過去の時間軸が進んでいくだけで、高二の春――振り出しに戻ることもない。今のところ。
ポテチの袋を開けた紗菜が、パリパリと食べながら、再戦に臨むため、パーティの編成をイジる。
「間違った? 何を言ってるのよ、間違ってるじゃない、最初から。学校の先生とだなんて」
……それもそうか。
色んな女の子を攻略していくゲームなら、攻略非対象の登場人物に恋をして、告白して付き合った、みたいなあり得ない状況。
そんなバグみたいにレアな展開と選択肢の数々。
「もし悩むなら、兄さんより先生のほうなんじゃないかしら。抜けてて天然っぽいけど、真面目な人じゃない、基本的に」
「だな」
俺から別れを切り出さない以上、柊木ちゃんが切り出すことになる。
真剣に付き合っているんだ。
別れを選択するまでに、葛藤は少なからずあるはず。そのはず。
紗菜にも訊いてみよう。
「……柊木先生と、真田誠治は真剣に付き合っています。ですが、柊木先生が別れを告げて二人は先生と生徒に戻りました。その理由とは?」
「何それ。大喜利?」
こっちを振り返ると、紗菜は二枚ほどつまんだポテチを俺に食べさせてくれた。
ここ数日おせち料理ばっかだったから、このジャンクなうす塩味がたまんねえ。
「大喜利っていうか……もしもの場合、どういう理由があるんだろうなって」
ふうん、と面白くなさそうに紗菜は唇を尖らせる。
「理由ね……。兄さんが浮気するから」
「しねえよ」
「どうかしら。兄さんがそうだと思わなくても、先生からすると弱点中の弱点な部分だったりするのかもしれないわよ」
浮気? 俺が? ないない。
タイムリープしてしばらくは、うわあ、女子高生だ! ってなったけど、慣れてくるとただのクラスメイト。知ってる顔だしな。同じ職場の人ABC。それに近い感じ。慣れってすげーよな。
「柊木ちゃんの弱点……って何?」
「年」
「おま……そんな直球な……」
弱点じゃねえだろ。むしろストロングポイントっていうか。
「兄さんがどう思っていようが関係なくて。この場合、先生がどう感じているかでしょ、問題なのは」
くっ……。論理的な反論で、何も言えねえ。
別れたとしても、またやり直す機会はある。
でも……別れが必然的に訪れるのであれば、それを回避したい。好きだし、この先も一緒にいたいから。
ここでもし諦めたとして、この過去を振り返った俺は、「若ぇよな。そんなことも、まぁあるわな」って流せるようなオトナになるんだろうか。
……でも、タイムリープが解除されたとき、いつだって現代は前に進んでいた。
それはこの後一〇年、俺が柊木ちゃんとのことを諦めずに頑張っている何よりの証拠でもある。
無駄にはできねえよな。
ハッピーエンドを目指しながらエリート会社員になったり、会社の業績立て直そうと躍起になったり、そんなふうに努力してきた『俺』たちの頑張りを。
「諦めないで頑張るか」
「よく言ったわ、兄さん。リトライ、やるわよ」
紗菜がコントローラーをまた寄越してきた。