こたつの魔力
「……」
朝、部屋を出たところで紗菜と顔を合わせると、切なそうに眉尻を下げたあと、ぷるぷると顔を横に振った。
「よ、よう……」
「朝はおはようって挨拶をするのよ。日本ははじめてですか?」
皮肉を言う紗菜と一緒に一階に下りて朝食を食べる。
顔を合わせなくていいから、紗菜が引きこもってくれていたことは正直ありがたかった。
この前は柊木ちゃんとのことを伝えただけで帰っちまったから、実際、どういうふうに思ったのかは、よくわからないままだ。
「紗菜、目元赤くないか?」
「ゲームずっとしてたから。昼夜問わず」
「冬休みって感じだな」
「そうね」
ジャブのような会話が終わると、無言になる俺たち。
つけたテレビからは、今日の占いが流れている。
「なあ……あの話、どう思った?」
「………………別に」
ううん、あんま納得してねえな、この感じじゃ。
唇を尖らせて、紗菜はサクサクとトーストをかじっていく。
「サナがどう思ったって、どうこうなるわけじゃないし。そこまでサナ、メルヘンしてないし」
おっしゃる通りなんだけど、現代の紗菜との間にわだかまりや不仲のしこりを残すわけにはいかない。
教えてほしかったって本人が言ったんだから、この件は、時間が経つにつれて紗菜の中でケリがつくのかもしれない。
「よかったじゃない。パーフェクト先生と付き合えて。おっぱいも大きいし、料理も上手だし、みんなの憧れ的な人だし……」
こっちは見ないで、絞り出すように言った。
これが紗菜なりの気遣いというか、気まずい空気をどうにかするための言葉だったんだろう。
「そうだな。よかったよ。ただみんなが思うより、めちゃくちゃポンコツだけどな」
「……ふうん、そう」
牛乳と砂糖をめちゃくちゃ入れた甘~いコーヒー牛乳――本人はコーヒーって言い張ってる――を口にした紗菜は、カップを置いて、小声で言った。
「…………サナも……ときどき、遊びたい」
「三人で?」
「それでもいいし、兄さんとも」
「いいぞ」
「うん」
残りの朝食を口に入れて、コーヒーを流し込んだ紗菜。
口の横にイチゴジャムをつけたまま、「サナ、これから寝る」と言って出ていった。
とんとん、と二階に上がっていく足音が小さく聞こえる。
昼夜逆転生活なんだな、本当に。
俺の朝食のタイミングでわざわざ部屋から出てきてくれたのか?
紗菜のなけなしの気遣いにちょっとだけ感謝した。
ピンポン、と柊木ちゃんちの呼び鈴を鳴らす。
今朝の出来事を伝えたくてやってきてしまった。
今日から年末年始の休みに入るって言っていた。駐車場に車もあったし、たぶんいるはず。
「春香さーん?」
コンコン、とノックをしても、反応がない。
おっかしいな……? もう一〇時になるっていうのに。
いつもなら、ご主人の帰りを待ちわびた愛犬のごとく玄関に現れるのに。
そっとドアノブを握って引いてみると、あっさりと開いた。
「不用心な……」
治安の悪い町じゃないけど、心配になるからここらへんちゃんとしておいてほしいんだけどなー。
靴脱ぎには、学校でよく見る見慣れたパンプスが一足、足だけで横着に脱ぎましたよって状態で置いてある。
「……」
そっとリビングをのぞくと、すぴぴぴ、と変な寝息を立てて柊木ちゃんが眠っていた。
ローテーブルはいつの間にか、こたつに変わっていた。
「寝ちゃったのか」
最強の魔法使い、こたつ……。
ん? でもこたつ様のパワーってわけじゃないらしい。
こたつの上には、みかん――じゃなくて、開けられた缶ビール数本、缶チューハイ数本が置いてある。
「ひ、一人で宴会しとる……!?」
明日から長期の休みだからって、一人ではしゃいだあとが、まざまざと残ってる!?
おつまみには柿ピー、それと自分で作ったらしいイカと七味マヨが出しっぱなしだった。
七味マヨに、どことなく玄人感がある。
これが、パーフェクト先生の実態であった。
「呼んでくれたら付き合ったのに」
酒は呑まないけど。
やれやれ、と俺もこたつの向かい側にお邪魔する。
こたつに入ったままで暑かったのか、薄着になっている柊木ちゃん。
胸元から、おっぱいの七割くらいが見えていた。
「………………」
はっ――。
おっぱいの魔力に、魔が差しそうになった。
「このままじゃ風邪ひく」
頭をぶんぶんと振って、俺はブランケットを上半身にかけてあげる。
休みらしい堕落っぷりだ。
学校帰りのそのままの恰好で、メイクも落とさず、一人こたつで呑んだくれて、そのまま寝落ち。
柊木家にいたら、こんなことはたぶん許されないんだろうな。
いつもしてもらってばかりなので、寝ている間にこたつの上を片付けることにした。
全部で八本あった缶は空になっている。めっちゃ呑んだな。
「あれぇ……誠治君がいるぅ……?」
むくりと起きると、ぼんやりとした顔で、柊木ちゃんが何度か目をこする。
「もう朝だよ」
「そっかぁ、あたし寝ちゃったのか」
そうだよ、と言って、こたつに入る。
つんつん、と俺の足をつついてくる柊木ちゃん。こたつの中を見ると、ストッキングも脱いでなかった。
「ブランケットかけてくれたの?」
「うん。風邪ひきそうだから」
「優しい……」
柊木ちゃんのつんつんに、俺も応戦する。
「きゃは、くすぐったいよ」
「先にしてきたの、そっちでしょ」
「んもう」
と言って姿が消えると、「よいしょ」という声とともに、こたつの中を潜ってきた柊木ちゃんが顔を出した。
「今日はどこにも行かず、まったり、ね?」
「了解」
ぎゅっと俺を抱きしめる柊木ちゃんから、飛んでいる♡が目に見えそうだった。
「そんなことしてると、おっぱいこぼれるぞ。さっきも魔が差しそうになった」
「でも、あたしは……困らない、かな……?」
胸に顔を埋めたまま、そんなことを言い出した。
ちらっとこっちを見ると、すぐにまた目をそらす。
あの車とこの自転車は外にあった? と訊かれ、どっちもなかったと答えたところから、スキンシップはエスカレートしていった。
今ご近所さんが部屋にいるかどうかの確認だったらしい。
「まだお昼にもなってないのに」
「……嫌?」
「彼女にそんなふうに訊かれて、嫌だって答える男は、たぶんいないよ」
「よかった。…………なるべく、声は出さないようにするから」
そばにあったクッションを枕代わりに下に敷いて、柊木ちゃんの頭をのせる。
こたつに入れた足以上に、顔が火照ってきた。
きちんとした場所でもなく、きちんと最後まで服も脱がさない。
きちんとしない怠惰な一日のはじまりだった。




