取引先の井伊さん
「なあ、奏多、いつからなんだ?」
俺は奏多にズバリ訊いてみた。
『……知らない』
ASW社の井伊さんは、興味なさそうに答えた。
というわけで現代。
HRG社の自分の席で、俺は取引先の責任者である奏多に電話をしていた。
内容は、やっぱり不仲問題を抱えているらしい紗菜とのことだ。
あの感じだと、不仲になるとは全然思えないんだけどなぁ。
『……今、忙しいんだけど……切っていい?』
「あ、ちょっと待って! の、飲み行こう! 今日! 夜!」
え? え? と戸惑う奏多の小さな声が、スマホ越しに聞こえる。
『…………い、いいよ……じゃ、じゃあね――』
どもりながら、奏多はオッケーしてくれた。細かいことを全然決めなかったけど、大丈夫なのか?
まあ、ウチとあちらさんは電車でひと駅ほどの距離だから、夜また連絡すりゃいいか。
「せんぱ~い♡ 今日飲みに行くんですかぁ?」
耳ざとく通話を聞いていたらしい怜ちゃんが、笑顔で俺の席までやってきた。
仕事しろ、仕事を。
「ボクも、行きたいです」
「いや、今日は取引先の人との会食だから。そういう軽い飲み会じゃないから」
嘘は言ってない。嘘は。
「先輩が気軽に誘える相手で取引先の人ってことは……くふ♡ 井伊さんですか?」
「くっ。何でわかるんだよ」
「ボクは先輩のことをよぉーく知ってるんです♡ いいんですかぁ? 夏海お嬢様に言いつけちゃいますよー?」
「は? 何で夏海ちゃん?」
俺が現代に帰ってきてから、まず最初に色々と確認をした。
前回同様、俺は柊木ちゃんと別れたあとで、現在恋人なし。これはスマホの通話やメッセージの履歴からそう推察した。
HRG社と奏多のASW社が提携してゲームを開発するという話は継続中。
あちらさんの新進気鋭のキャラクターデザイナー様こと我が妹とは不仲が継続中。これも前回通り。
「わかりませんけど、夏海お嬢様、先輩が他の女性と仲良くしてると機嫌が悪くなりますよ?」
嫉妬……? 俺のことが好きとか? 夏海ちゃんが……? いやぁ、ないない。
でも何でなんだろう……?
「わかった、わかった。余計な口出さないって約束するんなら」
「はぁい。先輩とお酒呑むなんて……ボク、酔っちゃうかもしれないです……」
小声で言って、怜ちゃんは切なそうな顔をする。
くっそ、あざとい! 表情もセリフもどうせ計算してるくせに! 悔しいけど、可愛いと認めざるを得ない……!
童貞だったらやばかったぜ。もう違うけど。
「先輩、なんでドヤ顔してるんです?」
おほん、と俺は上司モードに顔を切り替える。
「仕事に戻りたまえ、柴原クン」
「はぁ~い♡」
ピコン、とすぐに怜ちゃんからSNSでメッセージが届いた。
仕事中に携帯をイジるなってば。
咎めるように怜ちゃんの席のほうを見ると目が合って、パチンとウィンクされた。
『お店は任せてください♪ ちょっとオシャレな個室で静かに呑めるお店探しておきますね!』
……デキるやつかよ。
怜ちゃんが予約をしていた店に入り二〇分ほど待つと、店員に案内された奏多が、俺たちのいる個室へやってきた。
時刻は夜の七時を少し過ぎたくらい。
大人の奏多を見るのはこれで二度目だけど、高校時代から全然変わってない。
「お疲れ」
「……うん。ごめん、待――」
怜ちゃんに気づいた奏多が言葉を切った。
きゃるん☆と擬音が出そうな笑顔で怜ちゃんが手を振っている。
「井伊さん、ご無沙汰ですー」
「……まあ、そんなことだろうとは思ったけど」
ぼそっと言った奏多が俺の向かいに座り、注文した飲み物がくると乾杯をする。
「……いきなり誘うから驚いた」
「悪いな。忙しいのに」
「ううん。でも、さーちゃんが動いてくれないことには、ASWも困るから」
俺と紗菜の不仲が解消されてないと、会社としてお互い困るもんな。
怜ちゃんはビールの入ったジョッキを可愛く両手に持って、コクコクと呑んでいる。
すぐに「あ、すみません、ビールはピッチャーでください」と店員さんに頼んでいた。
「俺そんなに要らな――」
「えへへ……先輩、大丈夫ですよ」
「え、もしかして一人で?」
「えへへ。でもピッチャーって、それほど量ないですよ」
飲む量は可愛くねえ!
「ボク、いっぱい飲んじゃいますね……?」
何頬染めてんだ、このビールの妖精。
料理を突きつつ、時々ビールでそれを流し込みて、本題に入る。
「正直、俺はどうして妹と今こんな状況なのかさっぱりわからん。連絡先も知らないみたいだし」
「……タブー、みたいな雰囲気があった。その話題。家庭科部が解散してから。ずっと」
「確かに、すっごい気まずそうでしたもんね、みなさん」
「……誠治君、本当に心当たりないの?」
「ないよ。あったらどうにかしてる」
それもそうか、と奏多。
「奏多が紗菜と一番仲良かっただろ。何か知らないか?」
「……高校生のときの話を今言っても」
「いいんだ、それで。高校時代の俺は、どうしたらよかったと思う? こんな状況を避けるためには」
怜ちゃんはこのセリフの意図を察してか、俺をちらっと見た。
困るような顔をしている奏多は、言葉を探しているようだった。
「井伊さん、いいんです、今さらでも。可能性レベルの話でも、何かあれば」
怜ちゃんの後押しを受けて、奏多が口を開いた。
「……誠治君に好きな人が当時いても、さーちゃんを、もっとちゃんと見てあげたら、よかったのかも」
好きな人と言えば柊木ちゃんしか思い当たらない。
紗菜を、もっと見る……?
「けど、そうしたら、たぶんあいつ怒るぞ」
はぁ、と奏多にため息をつかれ、怜ちゃんは「んもぉー」と牛みたいな声を上げた。
「だから先輩は童貞なんですよ」
「ど、どどど童貞ちゃうわ!」
「……気にかけろってこと。そうしていれば今よりマシ――とは断言できないけど、何もしないよりは、いいのかも」
紗菜を気にかける、か……。
アルコールが回りはじめた頭で考えるけど、よくわからなかった。
奏多が明日も早いから、と言うので店を出ることにして、俺は二人を最寄駅まで送ることにした。
その道中、奏多に教わった紗菜の連絡先に電話をしてみたが、出ることはなかった。
「先輩は、どうしてあの人がいいんですか?」
「どうしてって……」
「ボクでも夏海お嬢様でも井伊さんでもいいじゃないですか。こう言っちゃアレですけど、もうちょっと真っ直ぐな恋愛ができるはずです。こんなに魅力的なわけだし」
酒が入っているはずの怜ちゃんの口調は至極真面目なものだった。
「どうしてなんて、考えたことないな、そんなの」
初恋の人だからか? って思ったけど、答えとしてはしっくりこない。
「たぶん、考える必要なんてないからかな。考える余地がないっていうか、そんな感じ。……ああ、うん、これが一番上手い説明だと思う」
口にしておいて、俺自身がなんか納得してしまった。
じっと怜ちゃんと奏多に見つめられた。
な、なんだよ。
「先輩、今ボクはですね、この人を好きでよかったと思いました」
「そりゃどうも」
「あぁーん、影ながらお慕いする系女子を演じたのに、あっさり流されましたぁ~」
怜ちゃん、そういうところだぞ。隙あらば好感度を上げようとしていくスタンス。
けど、困ったことに、なんか憎めないんだよなぁ。
「……そんなに想ってるから、さーちゃんは視界に入らないんだね」
ぼそりと奏多が言う。
「まあ、どうにかするよ。次は、教えてもらったことに気をつけてみる」
次? と奏多は首をかしげたが、怜ちゃんはにこっと笑った。
「はい。頑張ってくださいね」




