紗菜と保健室
◆真田紗菜◆
「ねーねー? さっきぃ、お客さんが組んでる腕を解こうとしたじゃーん? あれどうしてー?」
暗がりの中でニヤニヤしているなっちゃん。
……また来た……!
これで何回目よ……!
たぶん、なっちゃんが言っているのは、兄さんと先生となっちゃんの三人が入ってきたときのことだ。
「知らないっ。もう、真面目に楽しむ気がないなら、出ていって」
「あー、ごめんごめん。そんなつもりはないんだよ」
「もぉ~~~~出てって!」
兄さん、よりにもよって何で先生と……。
あんなぎゅっとくっついて!
お、お、おっぱい、ぶつけてた……!
まあ、兄さんはそれどころじゃないくらいテンパってたからよかったけど。
両肩を掴んで、なっちゃんを出口まで押していった。
決められた回数ノックすると、教室後ろ側の扉の鍵が開いた。
こうすると、非常事態ってことで外の当番の人が開けてくれるのだ。
「紗菜ちゃんさー? いつまで当番してんの? 一時からだったんでしょ? もう五時過ぎるよ?」
廊下はいつの間にか暗くなっていて、照明が灯っていた。
知らない人にネタバレしちゃうので、体育用のジャージを着て頭に被った黒い頭巾を取る。
外にお客さんはほとんどおらず、なっちゃんがずっと出ては入っていきを繰り返しているだけだった。
「……当番の人が、サボってるから……それでサナが仕方なく……」
本当は、兄さんと同じ四時に終わる予定だったのに。
サナの代わりの子は、どうせ彼氏とイチャイチャしながら学祭を回ってるに決まってる……。
「ウチが交代したげようか?」
「え?」
「もう完コピしてるし。てか、あれなら女子じゃなくて男子でもいいと思うんだけどなー?」
なっちゃん、性格は悪いのに実はイイ人??
「衣装の都合で、女子だけなの」
「なるほどね。ウチ、驚かすほうもやってみたかったんだ」
「えっと、じゃあ……お願いしていい?」
「うん。任せて」
お化け屋敷内で裏方を担当している男子たちに事情を説明していく。
その裏方たちも、何回もここをループしているなっちゃんのことは知っていたので、それなら、と事情を察してオッケーしてくれた。
「奏多ちゃん? が、家庭科室いるらしいよ」
そういえばサナ、明日のカレー作ってない。
暗がりでこっそりと衣装を脱いで、制服に着替える。
衣装をなっちゃんに渡して着替えてもらった。
「うはっ。生ぬるい。紗菜ちゃんのニオイする」
「ちょっと! 黙って着替えなさいよっ」
お嬢様学校に通ってて、先生の妹なのにキャラが全然違う。
お嬢様然としているよりは親しみやすくていいんだけど。
「お礼は、言っておく……ありがとう、なっちゃん」
「いいってことよー」
じゃあね、と送り出され、廊下を歩いて家庭科室へとむかう。
窓の外のグラウンドの出店のあたりは、等間隔に吊るされたライトが光っていて、なんだか夜店みたいに見えた。
「兄さん……どこいるんだろう……?」
歩きながら携帯を操作して、兄さんに電話をする。
「何かほしいものあったら、買ってきてあげよっと」
……別に兄さんのためとかじゃなくて、ついでだから。ついで。
あとで、「ついでにタコ焼き頼めばよかったわー」とか言われるのもヤだから。
コール音が鳴るのと同時に、近くで着信音が聞こえた。
「?」
家庭科室の手前にある保健室からだった。
さっきなっちゃんが、『春ちゃん、腰抜かして立てなくなったから保健室で休んでるよ』と言っていたのを思い出した。
ブツッ、と呼び出し音が無理やり切断されて、中から聞こえた着信音も止んだ。
「……?」
扉に手をかけて中に入ってみた。
「兄さん……?」
しん、としていて人けはあまり感じない。
携帯をここに置き忘れたのかしら……?
だったら、回収しておかないと。
三台あるベッドのひとつは、カーテンが閉められていた。
兄さんがここにいるはずで……先生もここにいるはずで……。
変な想像をしてしまい、ぶんぶんと頭を振った。
「兄さん、寝てるの?」
シャッとカーテンを開けると、先生が横になっていた。
「あれ? 先生……」
兄さんはどこに――。
「おい、何してんだ?」
「ふひゃあ!?」
後ろからの声に思わず悲鳴が出た。
振り返ると兄さんがいた。
「な、な、何よ、いきなりっ」
「先生は、お疲れだから寝てんの。オーライ? 昨日のカレーの仕込みや今日の出店もそうだし、先生の仕事もやってるんだ」
……あれこれ理解があるのが、なんかヤだ。
「ふうん、あっそ」
カーテンを閉めて、保健室の真ん中に置いてあるソファに座った。
「お化け役ずっとやってたんだってな」
「そうよ。兄さんのビビりっぷりったらなかったわ。あれでご飯三杯食べられるもん」
「なかなか上手だったからな、おまえ」
「――――な、何よ急に……」
普段は素っ気ないくせにぃ。
ツンデレ兄さん。
「さっき電話かけてきただろ? 用があったんじゃないの?」
「……出店で何か買おうと思って。何かほしい物あるかな、と思っただけよ」
「気が利くな。今日は」
「別に……いつも利いてるし」
「そんじゃあ、先生寝てるし、行くか」
「え? 一緒に? そ、そう……兄さんってば、とんだシスコン……妹と一緒に出店回ろうだなんて……前代未聞のシスコンね」
「シスコンじゃねえよ。なあ、紗菜……顔赤いぞ?」
「う、うるさいわよ――っ」
保健室から出ようとする兄さんの隣に並ぶ。
ふわっと、甘い香りがした。
「――――」
真田家で使っている物とは違う、シャンプーのにおい。
カレー屋のとき、隣にいた先生と同じシャンプーのにおい。
お化け屋敷でずっとくっついていたせい……?
なんか、ヤだ。
「~~~~兄さん、ちょっと」
「なんだよ?」
置いてあったファブリーズを持って、シュッシュ、とかける。
「うぎゃあ!? 何すんだ!?」
「に、においをリセットしてあげてるだけよ! 感謝してっ」
「変なにおいはしてねえだろ」
「そ、それは……、か、カレーくさいのよ! 雑菌兄さん」
「誰が雑菌だ! それならカレー鍋の前にいたおまえだってカレーくさいからな!」
もうっ。ああ言えばこう言うっ。
「それを貸しなさい。兄さんがおまえを除菌してやろう」
「イーヤ。何が貸しなさい、よ。もう早く行って。お店閉まっちゃうでしょ」
なんなんだよ、と文句を言った兄さんは、ファブリーズを諦めて保健室を出ていった。
サナもあとを追いかける。
「兄さん、何食べるの?」
「たこ焼きとかき氷」
「ふーん? じゃ、サナもそれにしよっと」
廊下には誰もいなかったので、するっと腕を絡ませた。
「……やめろよ、バカ」
「とか言って、嬉しいんでしょー?」
「嬉しくねえわ」
振りほどこうとしたけど、それほど強くなかったので、外に出るまでの間、ずっとこうしていた。
◆柊木春香◆
ベッドでキスに夢中になっていると、ピリリリ、ピリリリ、と誠治君の携帯が鳴った。
「紗菜かよ」
ぴ、とボタンを押した誠治君とまた唇を重ねる。
「兄さん……?」
その声に、あたしたちは現実に帰ってきた。
声がした方角に耳を澄ませる。
「兄さん、寝てるの?」
紗菜ちゃんが、入って来ちゃってるっ!?
どどどどど、どうしよう!?
「春香さんは横になってて」
「え? うん、誠治君は……?」
「下に隠れて、タイミングを見計らって出ていく」
さささ、とベッドの下に誠治君が隠れた。
シャッとカーテンが開けられ、紗菜ちゃんが首をかしげているのがわかった。
「あれ?」
「おい、何してんだ?」
「ふひゃあ!?」
いつの間にかベッド下から移動した誠治君。
ナイス。
それからは、二人の会話をベッドの上で聞いていた。
超仲いい……やきもち焼けちゃう……。
「ドツンデレの紗菜ちゃん、侮りがたし……」
でも……あたしも、あんな妹ほしかったなぁ……。