久しぶりの部活
「じゃあ、ボウルに卵黄を入れたら、よく混ぜてください」
俺、紗菜、奏多の三人は、柊木ちゃんに言われた通り、ボウルを泡立て器でジャカジャカと混ぜていく。
これがクッキーの生地になるらしく、バニラエッセンスを入れたあとなので、甘い香りがしていた。
家庭科室に集まってゲームしたり、ダベったり、宿題したり、柊木ちゃんが作ってくれたお菓子を食べるだけの部活と化していたけど、今日は、久しぶりにまともな活動だった。
俺たちは今、柊木ちゃん指導の下、クッキーを作っていた。
なんで俺まで……。
「結構大変なのね……」
口をへの字にしながら、紗菜が泡立て器を回す。
長い髪の毛は、今は後ろでくくっていた。
昨日、柊木ちゃんが焼いたクッキーを食べながら、紗菜がおもむろに言い出した。
『クッキーって簡単なの、先生?』
『あ、紗菜ちゃん、興味あるー?』
『な、なくはない、かも……。簡単で、美味しくできるんなら』
『先生が教えたげる!』
とまあ、こんなやりとりが紗菜と柊木ちゃんの間で行われ、特に興味がなかった俺と奏多を巻き込んでクッキー作りを行うことになった。
柊木ちゃんは、元々紗菜と仲良くしたいと思っていたから、いい機会だと思ったんだろう。
「焼いてあげる人のことを想いながら、シャカシャカすると、どんどん楽しくなっていくよ?」
焼いてあげる人、ねえ……。
ちらっと見ると、目が合って、てへへ、と柊木ちゃんが表情を綻ばせた。
「焼いてあげる人……。――ちょっと、兄さん、なんでこっち見るのよ!」
「見てねえよ」
「そんなほしそうな顔しても、あげないんだから。どうしてもほしいって言うなら……あげても、いいけど」
「俺がなんか言っている体で話進めるのやめろ」
相変わらず考えていることがわからない奏多は、誰にあげるんだろう。
「……誠治君、ほしい?」
「いや、そうじゃなくて、誰にあげるんだろうって思って」
「……シュリンプにあげる」
「シュリンプ……? エビ……?」
「……ウチで飼っている、犬」
「犬の名前が、シュリンプ……!?」
「……ゴールデンレトリバーのシュリンプ」
センスが尖り過ぎて俺にはもうわからん。
ちらちら、と紗菜がこっちをチラ見してくる。
……あいつ、自分のために俺が作ってるとか思ってるんじゃないだろうな?
「さ、サナ……甘いのもいいけど、甘さ控えめがいい」
「あ、そ」
むうう、と紗菜が眉根を寄せた。
「……」
これだから兄さんは鈍感なのよ――。
とでも思ってそう。
柊木ちゃんにご指導いただき、様子を三人それぞれ逐一見てもらいながら、作業を進める。
「それで――――完成した生地がこれです」
どどん、と柊木ちゃんが、あらかじめ作っていたクッキー生地をテーブルの上にのせた。
「先生も作ってたの?」
「見本として、一応ね」
「ま、負けない……!」
メラメラ、と紗菜が瞳を炎にしている。
「焼いたら、みんなで食べ比べしようね?」
全然相手にしない柊木ちゃんは、紗菜の敵意をあっさりかわした。
体育祭のときも紗菜が対抗心を燃やしていたけど、柊木ちゃんは他人の敵意とか悪意に鈍感なのかもしれない。
生地ができあがり、ラップで包み冷蔵庫で一時間ほど休ませることに。
「学祭が近くなってきたけど、家庭科部は何かする? みんな、何かしたい?」
柊木ちゃんが、コーヒーを淹れながら訊いてきた。
そういや、そんな時期か。
「奏多、去年は何かした?」
「……去年は、三〇〇円で、カレーを作って売った」
「カレー!? サナ、カレー好きっ」
「おまえは子供舌だもんな」
「う、うるさいっ。兄さんだって好きでしょ!」
「好きだけど、カレーって聞いただけでテンション上がるほどじゃねえの」
「……けど、ライスは別売り。一〇〇円」
「なんだ、その課金方式」
ふむふむ、と柊木ちゃんが何やら黒板に書きはじめた。
「二〇〇食作るとして、材料費は……ふむ……」
カツカツ、カツカツ、とメモをしていく。
「サナ、望んでいいなら、ハンバーグカレーがいいっ」
「望むなよ。ほんとガキだな、おまえ」
「いいでしょ、別に」
と、紗菜が拗ねた。
「先生が、材料費とか計算しておくよ? 部費から出せそうだし。お店やるってことでいいのかな?」
「……私は、どっちでも」
ぼそり、と奏多が言った。
「サナは、やりたい、かな」
俺は、どっちかというとやりたくない。
柊木ちゃんと大手を振って学際を回れるっていうわけじゃないけど、こっそりと楽しむ時間がなくなっちまう。
「うん。じゃあ、やろう!」
柊木ちゃんのこの一言で、議論は可決した。
クラスで何やるかも決まってない状況だから、時期的にも余裕は十分ある。
量が多いけど、作業時間は前日の仕込みくらいで済むから、それほど大変というわけでもなさそうだ。
学際の話し合いが終わったあたりで、一時間が過ぎクッキー作りを再開する。
休ませた生地を伸ばし、型抜きでひと口サイズに切り抜いていった。
「さっきから思ってたけど、兄さんのって、何で黒いの?」
「食ってからのお楽しみ」
「性格の悪さが生地に染み込んじゃったのかしら」
「はっ倒すぞ」
俺たちのやりとりを聞いても、奏多は黙々と作業をして、柊木ちゃんはクスクスと笑っている。
できたら、生地をオーブンで焼くこと二〇分。
「できあがりー♪」
鍋掴みで柊木ちゃんが中のクッキーを取りだす。
紗菜がそれを見て目をキラキラと輝かせていた。
「サナのこれだから!」
やたらとアピールしてきたので、バタークッキーらしきそれを一枚食べる。
「あ、うん、美味い」
さすが、柊木ちゃんが手取り足取り教えただけはある。
「でしょ」
紗菜がドヤ顔しているのがなんか癪だけど、何も言わないでおこう。
「……誠治君、これ、私の」
奏多が指さすそれを食べてみる。
「? 味がない?」
「ジャムつけて食べて。マーマーレードとかイチゴジャムとか」
「それは先に言えよ」
けど、さすが奏多……。言うことを聞くだけじゃなく一ひねり加えてきやがった。
しかも、味が選べるというオプション……強い。
柊木ちゃんが出してくれたマーマーレードジャムにつけて食べてみる。
「……シュリンプの気持ちで、食べて」
「どっち? エビ? 犬?」
「……エビ」
「エビはクッキー食わねえだろ」
奏多のも美味い。
自分で味が変えられるっていうのも、楽しさを引き立たせていた。
「真田君、あたしのはこれだよ」
どう考えても、柊木ちゃんのこれ……チョコチップ入ってるんだよなぁ……。
みんなに普通を教えておいて、自分だけアレンジしてねじ伏せに来ている。
柊木ちゃんも、勝つのは当然、くらいの得意げな顔をしていた。
「あ、うん。美味しい」
「先生、何でチョコチップ入れてるの……? それならサナにも教えてほしかったのにぃ」
「いい、紗菜ちゃん? アレンジ力は発想力。ひらめきなんだよ」
「ひらめかず、唯々諾々と言うことに従った、サナの負けってこと……!?」
ガガーン、と紗菜がショックを受けていた。
紗菜の場合、ひらめかないほうが成功するんだからこれでいいだろ。
「それで、兄さんのこれは?」
「……」
柊木ちゃんは見ていたから知っているだろう。
「食べてみりゃわかるよ」
四人全員で俺のクッキーを食べる。
「甘くない……けどちょっと甘い」
「……誠治君、これ、コーヒー?」
「そういうこと」
甘さ控えめ、コーヒークッキーだ。
「……誠治君、さーちゃんのために甘さ控えめに……」
「違うぞ。たまたまだ」
みんなでお茶請けのクッキーを食べながら、学際の話をしていると、窓の外に小学生が立っていた。
寒さに凍える子犬みたいな顔でこっちを覗いている。
ていうか、怜ちゃんだった。
「何してんの」
「先輩が、出てこないから探しにきたんです。そしたら、いいにおいがして」
においに釣られてここに辿り着いたらしい。
「あ、昨日来てた子」
紗菜が説明するとややこしくなりそうだったので、俺が他の二人に説明をしておいた。
「……じゃあ、誠治君、推定一〇歳の幼女とイイ仲に……」
「おい奏多、誤解を生む言い方はヤメロ」
「真田君、懐かれちゃったんだね」
にこにこと微笑む柊木ちゃんは手招きして、怜ちゃんを中に招いて一緒にクッキーを食べた。
「クッキー、おいしいです……っ」
サクサク、と柊木ちゃんと俺のを中心に、奏多のを食べる怜ちゃん。
リスみたいで可愛い。
「チョコチップは王道で言うことなしです。コーヒークッキーも甘さ控えめで、とても食べやすいですし、この味がないクッキーは、あえてそうしているのですね! 甘いお菓子……幸せですぅ……」
俺は中身が二〇歳の女子だと知っているからいいけど、他の三人からすればおませさんに見えるんだろう。
「ね、ねえ? 怜ちゃん。これは、どう……?」
そーっと紗菜が自分のクッキーを勧めた。
「これは、美味しいですけど没個性のクッキーで、他の三種類があれば、手を出そうとは思わないです」
「うぐぐぐ……」
怜ちゃん、容赦なかった。
「し、シンプルイズベストなのが、まだお子ちゃまには、難しかったようね?」
「……さーちゃんのは、地味だけど美味しいよ地味だけど」
「ううう……カナちゃん、ありがとう……何回地味って言うの?」
ある程度試食したところで、柊木ちゃんが怜ちゃんにどれがいいか訊いてみた。
「どれが一番美味しかった?」
「コーヒークッキーです。甘さ控えめなのも、女子には嬉しい配慮です」
怜ちゃんの大人舌には、俺のクッキーがストライクだったらしい。
こうして、怜ちゃんの審査では俺のクッキーが優勝することになった。
怜ちゃんは、俺と紗菜が家まで送っていった。
「どうして先輩って呼ばれてるの?」
「さあ。なんでだろうな」
改めて尋ねてくる質問を俺は回避しておいた。