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油断、気のゆるみ


「ふんふん、ふ~ん♪」


 ソファに寝そべる柊木ちゃんが、鼻唄を歌いながら白い脚をぱたぱたしている。

 見ているのは、旅行雑誌。


「誠治くうん、どこ行く~?」


 鼻にかかる甘えた声で、ころん、と携帯をイジっている俺のほうへ転がってくる。


「どこ行くって……連休ないでしょ?」


 せんべいをパリッとやって、柊木ちゃんは、ぼろぼろとカスを雑誌にこぼしていく。


「連休はあるよー。有給取って休んじゃう♡」

「……」


 嬉しい。

 嬉しいけど、なんだろう、このモヤっとした感じは。


 柊木ちゃんの実家で、 ひーママ(愛理さんというらしい)と会談を終わらせてからというもの……。


 柊木ちゃんは、ダラけていた。


 ダラけにダラけきっていた。


 俺が愛理さんに正面切って、結婚を考えているだの、一緒にいたい素敵な人だの、そう言ったせいか、それとも最終的に承諾を得たからか、それともその両方なのか。


 安心しきった柊木ちゃんは、ダラけまくっていた。

 まるで野生を忘れた猫みたいに、ごろにゃーんな状態だった。


 柊木ちゃん的に強敵である愛理さん……というかラスボス? を倒したからなのかもしれない。

 魔王を倒せば、そりゃ勇者だってのんびりダラけて怠惰な生活を送ることもあるだろう。


 けど……。

 部屋はぐちゃっとなっていて、脱ぎ散らかしがそこらじゅうにある。

 キッチンの流しには、洗ってない食器や調理器具が満載。

 冷蔵庫の中は、賞味期限切れの食べ物や腐ったフルーツが出てきた。


 ビール缶や缶チューハイが一〇本、ツマミになりそうなチーズとハムがたくさんあった。


 これが本性なんだろうか。


「最近どうしたの、春香さん」

「どうもしてないよー?」


 ぎゅっと俺を後ろから抱きしめる柊木ちゃん。

 ちゅ、ちゅ、と首筋やほっぺにキスをしてくる。


 柊木ちゃんは俺を事あるごとに甘やかした。

 逆に俺は……どうだっただろう。

 甘やかしたような気もする。厳しく接してきたわけじゃないから。


 といういより、柊木ちゃんは色々と完璧だったから、厳しく接する理由もなかったんだ。


「あ、そうだー。お酒呑んじゃおーっと」


 おいおい、まだ午前中だぞ。


 るんるるーん、と弾むような足取りで柊木ちゃんは冷蔵庫から缶ビールを取りだし、ぷしゅっと開けた。


「んんんんん~。おいし♡」


 この世の春が来たような生活態度……。


「昼間っから酒呑んで……」

「いいじゃん、お休みなんだし」


 確かに、いいよ、別に。

 教師っていう仕事は大変だしストレスが溜まるのもわかる。


「春香さん、最近変だよ? 前、家は綺麗だったし、呑むことがあっても夕飯のときだけだったでしょ」

「そうだっけー?」


 こんなん柊木ちゃんじゃない――っていうのは、俺の理想を押しつけてるってことになるのか? いやでも、正直言わせてほしい。


 こんなん柊木ちゃんじゃない。


「原因……俺? 俺が自制を促さないから?」

「どうしたの、難しい顔しちゃってぇ」


 現代にいたころ、先輩や上司の嫁の愚痴をよく聞いた。


 嫁は結婚する前、こんなんじゃなかった――って。

 もしかすると、このダラけ柊木ちゃんは、その状態なのか――?


 ぬるぬると絡み合うようにひっつく柊木ちゃんを俺はほどいた。


「っ? な、何? どうかした?」


 どうしたら元に戻ってくれるだろう。

 ショック療法が一番効きそうだ。


「俺、しばらく春香さんち行かないから」

「え」


 表情が硬くなった柊木ちゃんは、するりと持っていた缶ビールを落とした。


「なんで!? ふ、二人きりで確実に会えるのって、あたしの家だけなんだよっ」


 そう。そんなの百も承知だ。

 ということは、俺は柊木ちゃんと週末遊ばないって宣言しているに等しい。


 週末遊ばないってことは、平日は遊べないから、遊ばないって言っているのと同じだ。


「しばらくだから、しばらく」

「そ、そんなぁ」


 俺だって会いたいし遊びたい。


「春香さんは、料理や掃除好きだったでしょ? 今も好き?」

「そうだよ?」


 キッチンを見ても部屋の状況を見ても、最近しているとは到底思えない。

 今日俺がこの家に来てまずしたことは、キスでも何でもなく部屋の片付けと掃除だった。


「気を緩めすぎ。お母さんに仲を認められて嬉しいっていうのはわかるけど」

「うううううううう。誠治君は嬉しくないの?」

「嬉しいけど、それで結婚できるって決まったわけじゃないでしょ?」


「――決まってます、できます、そういうこと言うのやめてください」


 あ、拗ねた。

 未来を何度も行き来している俺からすると、まだ全然安心はできない。

 もちろん柊木ちゃんはそんなこと知らないから、この態度もわからなくはなかった。


 涙目で俺を見つめてくる柊木ちゃん。

 この目はズルいからやめてほしい。


「ううううううう……! も、もしかして……も、も、もう、あたしのこと好きじゃなく――」

「なくなってないから。好きだから」

「じゃあ、いいじゃん」


 ごろにゃーん、と脚にひっついて甘えてくる。

 く! この! 可愛い!


 ぶんぶん、と俺は首を振って心を鬼にする。

 ぺいっと柊木ちゃんを剥がした。


「決定事項だから。今日はお昼食べたら帰るね」


 納得いかない柊木ちゃんの「なんで? どうして?」攻撃を跳ね返しつつ、俺は柊木ちゃんが用意してくれ昼食のたカップ麺を食べた。


 そう……カップ麺なのだ……。

 カップ麺自体に不満はないんだけど、前は色々作ってくれた。

 以前と今のギャップが激しいから、俺もまだどう受け止めていいかわからないでいる。


「春香さんが、きちんと元に戻ったら、そのときは目いっぱいイチャつこう。それじゃ」

「ええええええ……」


 帰り際、納得いかなさそうに柊木ちゃんは口をへの字に曲げていた。


 最初から、実はそういう一面がある、という柊木ちゃんだったら、あのダラけ柊木ちゃんを俺は受け入れた。


 でも、そういう人じゃなかった。

 ああいう感じのポンコツ具合じゃなかった。


 それまで彼女がどんな女の人だったのかを知っていると、どうしてもあの生活態度に首をひねってしまう。


「んんん……俺は器がちっちゃいのか……?」


 くるっと回れ右して、さっきのは無しって言いたくなる。


「いや、でも……」


 一週間。

 一週間だけ様子を見てみよう。

 ダラけ状態が納得いかないというのは伝えたんだし。




 というわけで、週が明けた月曜日。

 明らかにショボーンとした柊木ちゃんが授業にやってきた。


「先生どうしたの? 元気ないよ?」

「ペットロスってやつ?」

「顔色もあんまりよくないし」


 女子連中が柊木ちゃんにあれこれ訊いていくけど、作り笑顔でかわしていった。

 週末会わないって宣言するだけで、凄まじくショックを受けたみたいだ。


 こうして授業では顔を合わせるし、昼休みだって家庭科室でみんなと一緒にご飯を食べる。

 会わないってわけじゃないんだ。


「兄さん、先生、なんか変だったわよね?」


 紗菜も異変に気づいたらしく、帰り道で訊いてきた。

 俺は適当に「かもなー」と流しておいた。


 習慣づいている夜の電話でも柊木ちゃんは元気がなかった。


「週末のために……あたし生きているのに……誠治君、来てくれないんだもんね……」


 わかりやすくイジけてた。


 それからそんな調子で、テンションの低い柊木ちゃんを見る日々が続いた。


 そんなとき、金曜日の夜、夏海ちゃんから電話がかかってきた。


『ちょっと、空き巣くん! 春ちゃんに何したの? 春ちゃん、スーパーショボくれてたよ!』

「待って、待って。俺の話をまず聞いてほしい」

『うん、何?』


 不機嫌そうな夏海ちゃんに、俺は柊木家から帰ってきてから数週間の状況を教えた。


『春ちゃんが? 何それ。そんな春ちゃん、知らない……そ、そんなの春ちゃんじゃないっっっ! …………そういうことか』


 シスコンの夏海ちゃんも驚きの変化だったようだ。


「それでショックを与えてみよう、と思って」

『なるほどねえ。一番効きそう。でも効きすぎて弾けちゃうかもね』

「え?」


 ししし、と受話器越しに笑い声がする。


『そりゃあ、考えてもみてよ。ちょっとダラけたから会わないって宣言するって酷いよ?』

「そ、それは……まあ……俺も思ったけど」


 ダラけ具合は『ちょっと』どころじゃなかったけどな。


『春ちゃん、そのせいで百年の恋も冷めちゃうかもー』


 ちょっと声が笑っている夏海ちゃん。


「………………」


 確かにそりゃそうだ。

 誠治君がこんな人だったなんて! あたしもうやってけない!

 ――となる可能性もなくはない。なくはないんだ……!


 悶々としていると、いつの間にか日付変わり土曜日になる。


 毎晩欠かさない夜の電話も、今日は素気なかったし、まさか……。


「い、一週間経ったし、まあ、いいかな……」


 いてもたってもいられなくなり、家でまだ起きていることを確認した俺は、柊木ちゃんちにむかう。

 チャイムを鳴らすと、ちょっとだけ空いた扉の隙間から、柊木ちゃんが顔を出す。


「来ないって……言ってたけど?」

「とりあえず、一週間経ったから」

「じゃあ、中入る?」


 開けてくれたので、ちょっと緊張しながら部屋に上がる。

 いつもの、俺がよく知る柊木ちゃんちだった。


「すごく反省したの。誠治君酷いって思って、夏海に愚痴言ったら、『愛想つかされちゃうよ』って言われて……さらに反省をしました」


 ソファの上で正座する柊木ちゃん。


 そういや、夏海ちゃん、柊木ちゃんと話したって言ってたな。


「俺も、夏海ちゃんに同じこと言われた」


 あいつめ……お互いの危機感を煽ったのか。


「理想の春香さん像を押しつけちゃったかな、と反省をしていて……」

「だ、大丈夫。もうダラけないから! お母さんのことで色々気が緩んじゃって自分にも甘くなっちゃってて……」


「だ、大丈夫。そういうときは、俺が家事するから」


 ぶんぶんぶん、と柊木ちゃんは首を振った。


「いいの、いいの! もうあんなことしないから!」

「いいんだって。たまにはダラけても」


 お互い同じ気持ちなんだとようやくわかって、俺と柊木ちゃんは笑い合った。


「誠治君成分、不足して死んじゃいそうだったんだよ?」


 両手を広げる柊木ちゃん。

 近づくとぎゅっとされた。


「俺もあんな具合に春香さんがなると思わなかったから、心配だった」

「んもー、それなら早くそうだって言ってくれればいいのに」


 唇を尖らせた柊木ちゃんに、そっとキスをする。


 なんか照れくさかった。


 今思えば、夏海ちゃんはどう考えても笑ってたもんなぁ……。

 あれは、俺と柊木ちゃんが同じ反応してたからなんだろう。


 あとで、お礼を言っておこう。

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