柊木の母3
「ええええええええええええ!? オッケーしてるううううううう!?」
夏海ちゃんも驚きの結果だったらしく、またソファの上でひっくり返った。
「夏海。何度言えばわかるんですか。はしたなく大声を出さない」
「あ、はい……け、けどお母様、いいのですか……?」
「あなたのご友人なのでしょう? あなたが疑うというのもおかしな話でしょうに」
「そう、なんですけど……」
二、三回前のタイムリープ解除時は、夏海ちゃんがひーパパを説得し同棲することができた、という未来だった。
そのとき、ひーママは反対で、その理由は仮にも教師と生徒が付き合っていたという事実を世間体の都合で認めなかったからだって話だ。もしくは自分の選んだ相手じゃないから、という理由。
あれからまた戻って過去を変えてきている。
だから、ひーママの考えが変わるのは別におかしいわけじゃない。
「よかったね」
小声で夏海ちゃんが言ってくれた。
よかったのはよかったけど……。何か違和感を覚える。
こんなに大声を出すなとか、はしたない、とか口にしているひーママが、教師である柊木ちゃんと生徒である俺の交際を許すばかりか、もらってくれって……。
大切な娘を会って四、五分の俺に任せるって、おかしくないか?
「あの、本当にいいんですか?」
「真田さんが、不要というのであれば受け取る必要はないんですよ?」
「そんなわけないじゃないですか。これから、その……ずっと一緒にいてほしい……素敵な女性です」
本人がいなくてよかった。
今の俺の照れ具合を一か月くらいネタにしそうだ。
「わぁあ……超愛してるじゃん……っ」
夏海ちゃんも俺のセリフに照れまくってた。
改めて言うなよ、恥ずかしいから。
「愛されるというのは、女のひとつのステータスです。春香はいい人と出会いましたね」
ひーママのこの笑顔を俺は知っている。
柊木ちゃんの愛想笑い、作り笑顔にそっくりだった。
腹の中はわからないけど、本題だ。
「春香さんとケンカしていると聞いたんですが……仲直りはされないのですか?」
「する必要はありませんよ」
ぴしゃり、とシャットアウト。これ以上話はしたくないって言っているように聞こえた。
たぶんここだ。俺の違和感の元。
「親の言うことを聞けないような娘に育てた覚えはありませんから。どこへなりとも行けばいいのです」
「……そんな言い方しなくても――」
俺だから交際をオーケーしたってわけじゃない。
別に誰でもよかったんだ。
要はこの人、柊木ちゃんに関心がないんだ。
「空き巣君……深入り禁物……」
夏海ちゃんが服を引っ張って小声で注意してくれるけど、ひーママは柊木ちゃんの気持ちをひとつも知らない。
「大学を卒業し、HRG社に入り社会を学んで良縁を結ぶ――本当は今ごろ子供の一人でもいなければおかしいのです」
「おかしくないです。春香さんがやっていることは、一般的なことです」
「柊木は一般的な家ではありませんので」
くそ。
お上品に言いやがって。
「三条家とも良縁を結べそうだったのに、仕事はやめない、HRG社でも仕事はしない、決められた相手と結婚はしない――それでは、通らないんです。大人になって収まるかと思った我がままも、増長するばかりで。言うことの聞けない娘は柊木には要りません」
要りませんって、俺の柊木ちゃんを物扱いすんな。
キレそうだけど、俺が出しゃばっちゃ仲直りも何もない。
「春香さんは、自分がやってきたことに後悔はしてないと思います。けど、あなたたちの言うことに背いてしまったことに関して、少なからず罪悪感を覚えています。きちんと話し合いをしたかったんだと思います」
「春香がそう言っていたんですか? この前戻ったときはそんな素振りはありませんでしたが」
「いえ、直接は……言ってません」
それ見ろとでも言いたげに、ひーママが顎を上げた。
「お見合いの話をすればいきなり帰ろうとするし、それでは先方にも失礼だから、『引きとどめる』しかないないじゃないですか。話し合おうとする態度は、微塵も感じられませんでしたが」
「じゃあ何でこの前戻って来たんだよ! お母さんと今の関係はマズイからって思ってたからだろう!?」
頭に血が上っているのがわかった。
俺が思っている以上に声がデカくなっているのも。
けど、止まらなかった。
「反抗して自分の道を進んだことに、ちょっとでも親に悪いと思っているから、今日もこの家に帰ってきたんだよ!! 機会があれば話し合う気でいるんだよ。あしらわれたり拒否されたりすんのが怖えんだよ。でもあんたがそんな態度のままだから柊木ちゃんは勇気が出ねえんだろうが!!」
立ち上がりそうな俺を、夏海ちゃんが服を引っ張ってなだめてくれる。
「あ、空き巣君……、落ち着いて。どうどう、深呼吸だよ、深呼吸。あ、紅茶おかわりは――」
「今いい。ごめん」
「だ、だよね……」
ふー、ふー、と興奮気味に吐く息の音が聞こえる。
いつの間にか俺はめちゃくちゃ怒っていたらしい。
驚いたような表情でひーママは俺を見つめて、間を取るように、カップを傾けた。
「もう二四にもなりますし、他人が手をつけた女など、よそ様もほしがらないでしょう。柊木のための使い道は嫁に行くことしかありませんし」
「物扱いするな! あんたが育てたあんたの娘だろう! ……お陰様で、結婚するまでは性交渉禁止ってことになってるんで……ま、まだ何もしてませんから……」
「最後のほう、すごい声ちっちゃい……」
シリアスな場面なのに、夏海ちゃんが吹き出す寸前だった。
「あの、誤解しないでもらいたいんですけど、清廉な交際をさせていただいてますので……」
「声ちっちゃ。さっきとは別人なんだけど」
う、うるさいな。
ほうっておけば、ずっと冷戦状態で会話をする機会もないままあの未来へ進んでしまう。
ひーママは、柊木ちゃんのことをなんにもわかってない。
ようやく俺は落ち着きを取り戻した。
「お母さんはもしかすると春香さんへの関心が薄いのかもしれません。けど、春香さんはそうじゃない。理解した上で、面とむかって会話をしてあげてください」
わかってくれたのか、ひーママが穏やかな笑みを浮かべた。
「お手付きでないということなら、あなたをどうにかすれば、春香は言うことを聞いてくれるかもしれませんね」
そうかもしれないけど、笑顔でなんつーこと言うんだよ。
ぞっとしていると、夏海ちゃんがテーブルをバァン! と叩いた。
「――そんなことをしたら、ウチが絶対に許さない。ママと仲が悪くてもいい。仲直りなんて別にしなくってもいい。春ちゃんが幸せなら、ウチはそれでいいと思ってる。けど、それを邪魔するんなら、ウチは誰であっても許さない」
「冗談ですよ。言葉遣い、あと目つき。やめなさい」
「はい」
ひーママが俺に視線をくれると、口元がゆるんだ。
「夏海をずいぶんと上手く取り込みましたね」
「春香さんが幸せだってことでしょう? それに、取り込むも何も、友達なんで」
「お気を悪くしたのならごめんなさい。人望がおありなのですねという誉め言葉です」
にしては棘が多い言葉だったけどな。
「春香とのこと、真田さんが本気というのであれば、もちろん反対などいたしません。これは、さっきとは違うきちんと考えた上での判断です」
「それは、どうも、ありがとうございます」
俺が頭を下げると、人差し指を立てられた。
「ひとつ、条件があります。先ほどの物怖じしない強弁、容姿、礼儀作法、人望――あなたが気に入りました。……いずれ必ず、柊木家に婿にくること。もしくは養子。それが、春香との交際と結婚の条件です」
「わ。すごい無茶ぶり……」
目を丸くした夏海ちゃんが、ひーママと俺を交互に見る。
「あ。そんなことでいいんなら、大丈夫ですよ」
「早っ、軽っ」
別に、うちに嫁にきたところで、真田家に何かあるってわけでもないし。
ま、ちょっとマスオさんになって肩身は狭くなるかもしれないけど、それだけで柊木ちゃんとの交際、結婚が認められるんなら、安いもんだ。
「別に、相手は夏海でもいいのですよ?」
「お母様っ」
顔を赤くした夏海ちゃんが、またテーブルを叩いて抗議の音を上げた。さっきよりはずいぶんと弱い物音だった。
こうして、怪我の功名ともいうべきか、俺はひーママに気に入られた。