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7. 包丁と夢の中

 よく晴れた日の下、兄と一緒に学校まで歩きながら登校した。

 少し前の兄はなにか疲れたような表情だったが、最近は前向きになったようでうれしかった。


「じゃあ、またな」


「……うん、またね」


 校門前で別れて、わたしは初等部用の校舎に向かった。


「おっす!!葉月ちゃん」


「……おはよう、美里」


 わたしが席にすわってボーっとしていると、登校してきた美里が、ポニーテールをゆらしながら挨拶してきた。


「なぁなぁ、今日の調理実習たのしみだな」


「……うん」


 今日は家庭科の時間で調理実習をすることになっている。


(だいじょうぶ、もうあれから2年以上たっているんだから)


 2時限目の授業の終わりをつげるチャイムが鳴り響き、担任の先生が教室から出て行った。


「おっし、やっときたぞ家庭科の時間!!」


 美里が機嫌よさそうに、家庭科室に移動するための準備を始めた。


「たのしみだなぁ、野菜炒め、昼休み前に食事があるとか夢のようだぜ」


 すでに食べることを想像しているようで、よだれをたらしそうだった。


 家庭科室で班ごとに分かれて、調理台の前に立っていた。わたしの班は女子4人で、調理台の上には、人数分の野菜と肉がおかれていて、美里がキラキラした目でみつめていた。

 他の女子は持ってきたエプロンのかわいさをおたがいに褒めながら、おしゃべりをしていた。


 黒板の前にたった家庭科の先生が、みんなに聞こえるように声を出した。


「はーい、それじゃあ、いまから野菜炒めを作りますね。みんな、調理台の上にお野菜とお肉は人数分ありますね」


「はーい、ありますありま~す」


 わたしと同じ班の美里が、先生の言葉に元気よく返事をしていた。


「それじゃあ、班の中で分担を決めてお野菜を切っていってください」


 まずは野菜を洗うところから始めた。

 キャベツ、ニンジン、ピーマンを洗っていき、ざるにあけた。


「うえええ、ピーマンとニンジンかよ」


 美里が野菜をつまみながらイヤそうな顔をしていた。


「美里ちゃん、好き嫌いしてると大きくなれないよ」


 班の女子がそんな美里をみながら笑っていた。

 野菜を洗い終えて、次に適当な大きさになるように、班のメンバーが順番にきっていく。


「それじゃあ、わたし切るよ」


 班の中でも、日ごろから親の手伝いをしているらしい子が野菜をきりだした。

 ストトトトトトと軽快な音を立てながら野菜が切られていった。


『葉月……』


 包丁をもって野菜を切る姿をみていると、何か声が聞こえた気がして、同時に少し気分が悪くなった。


「次は葉月ちゃん、切ってみる?」


「……う、うん」


 きっていた子が、わたしと野菜切る役を交代した。


「おー、葉月がんばれー」


 包丁を手渡され、まな板の前に立つとさっき聞こえた声がよりはっきりと聞こえてきた。


『葉月、どうして……』


 さらに、気分がわるくなったが我慢していると


「葉月ちゃん、なんだか顔色悪いけど大丈夫?」


 わたしを心配して聞いてきた子の顔が、母の顔と重なるように見え、母の口が動いていた。


『葉月、どうして置いていったの』


 とうとう、わたしは気分がわるくなり、なんとか包丁をまな板の上においたところで、意識が途切れた。



 夢をみていた。なんとなく、ああ、これはまたあの夢だとわかった。


 夢の中で、小学校が終わって帰宅すると、お母さんがお帰りといって出迎えてくれた。

 ちょうど父も起きたようで、寝室からでて居間に入ってくるのが見えた。


「ふぁああああ、おはよう」


「もう、お父さんったら、3時だよ」


「お、そうか。いやあ、よくねた」


 そういいながら、ゴキゴキと首をならして洗面所に向かっていった。


「葉月、手をあらってらっしゃい。おやつがあるわよ」


「ほんとう?やったぁ!!」


 家に帰ってからいいにおいがただよっていたので、わたしは喜んで洗面所にむかった。

 おやつはマドレーヌだった。母は菓子作りが趣味でよくおやつをつくってくれていた。


「おお、これはうまいな」


「あー、ずるーい」


 先に父がテーブルについて、マドレーヌをほおばっていた。


「おいしい!!」


 母のつくるお菓子は、そこらの菓子屋に負けないぐらいおいしかった。


「ふふっ、おいしさのひみつはね。砂糖といっしょにハチミツをいれることよ。そうするとしっとりするのよ」


 母は微笑みながら、マドレーヌを食べるわたしと父をみつめていた。


「あー、うまかった。かあさん、晩御飯はなんだい」


「食べたばかりじゃない、もう晩御飯をきにするなんて」


 母は笑いながら父と話していた。父と母の中は良好で、ときどき二人でどこかに出かけていた。


「おにいちゃんも、いっしょに食べればよかったのになぁ」


「あいつは難しい年頃だからなぁ、ほっといてやるのが一番だよ。おれもあのころはなんとなく親がうっとうしく感じたもんだよ」


「えー、わたしはお父さんもお母さんも大好きだよ」


 それはうれしいなといって笑い声を上げる父につられてわたしも笑った。


 テレビを見ていたら、夕方になっていた。母が夕飯の支度のために、包丁で切る音が部屋に響いていた。


「なんか、表のほうが騒がしいな?」


 父が玄関のほうに顔をむけた。すると……


『ドガァッ!!』


 玄関扉に何かを叩きつける音が響いた。

 父と母は顔をこわばらせた。

 居間のガラス窓から外をのぞくと、緑色の肌をした子供ぐらいの醜悪な面構えの怪物が3匹いた。


「葉月!!押入れの中に隠れていなさい!!」


 父は焦った声をだしながら、寝室の押入れの中にわたしを押し込んだ。

 わたしは、押入れの隙間から居間の様子をみていた。

 怪物たちは玄関からまわりこんできたようで、居間のガラス窓に手に持っていた棍棒をたたきつけた。


『ガッシャァァァン』


 ガラス窓はこなごなに砕け散り、居間の床に破片がちらばり夕日をあびてキラキラと光っていた。

 わたしはぶるぶると震えながら、押入れのふすまの隙間から、家の中に怪物たちが上がりこんでくるのをみていた。


「なんだね、君たちはすぐにでていきなさい!!」


 父が母をかばうように前にでながら、怪物たちにむかって大声をだした。

 だけど、怪物たちは気にせずに父にむかって近づいていった。


 母が必死な形相をしながら、怪物たちとの距離を大またで一気につめると、手に持っていた包丁を怪物にむけて突き刺した。


『グェアッ』


 怪物の肩にささったが、怪物は怯んだ様子もなく、むしろ母に怒りの矛先をむけたようだった。

 母は怪物に刺さった包丁から手をはなし、恐怖に顔を染めながら後ずさった。


「母さん、にげろ!!」


 父が怪物を羽交い絞めにして、母を逃がそうとした。しかし、残りの怪物が父に近づき、つぎつぎと棍棒を振り下ろした。

 肉をかたいものでたたく音が響き、そのたびに父のうめき声がきこえた。


「あなた!!」


 母は父をかばうように怪物たちの前に立ちはだかった。

 今度は、標的を母にかえて、まるで笑うように顔をゆがませながら近づいていった。


「やめてよぉ!! お父さん、お母さん」


 わたしはこらえきれず、押入れからとびだして、手をふりまわしながら突進していった。

 偶然に手が怪物の頭に当たった。


『ギャギャ』


 すると、怪物がゆっくりとこちらを振り向き、恐ろしい顔を向けた。


「ヒッ」


 わたしは、ギラギラした殺意にみちた目をみて体がかたまってしまった。


「葉月!!なにをしてるの!!」


 母が悲痛な声を上げながら、怪物たちにむかっていった。

 父も血まみれになりながら、怪物たちにむかっていった。


 怪物たちは父と母をむかえうち、棍棒で滅多打ちにした。


「う、あ、あああ……」


 わたしは体を硬直させながらその様子をみていた。


 そして、血まみれになった顔の父と母の顔がこちらをむいて口を動かしたのが見えた。


『 ―――― 』


 わたしは、はじかれたように玄関に向かい、はだしのまま外にでて逃げ出していった。


「あ、アアアアァァァァァ」

(逃げなきゃ、逃げなきゃ)


 とにかく必死になって街から出る道をすすんでいった。

 まちのはずれまでくると、自衛隊のおじさんに傷だらけになった足の手当てをしてもらった。そのあと、他の人と一緒に移動用のトラックに乗せられて、となり街の学校の体育館についた。


 わたしは、体育館の隅のうすぐらい場所で膝をかかえながら、さっきまであったことが目の前にうかんでは消えて、繰り返し同じ光景をみていた。


 どれぐらいそうしてたかわからないが、近くで耳慣れた声が聞こえた気がした。

 声の方向に顔をむけると兄が心配そうな顔をして立っていた。


「親父とお袋は―――」


 その言葉をきいた瞬間、またあの光景が目の前に浮かんできた。


 その後、兄につれられて避難所からギルド局の宿舎というところにきた。


 その間、特に何も感じなかった。


 いつも目の前にうかんでいるのは、逃げるときに見た母と父の顔だ。

 あのとき、何をいおうとしたのかいまだにわからない。


 最近では、夢の中で同じシーンを見ると父と母の声がきこえるようになった。


「どうして、逃げた」


「置いていくなんて、ひどい子ね」


 そうだね。わたしはひどい子だ。罰を受けなきゃいけないよね。

 意識が戻ると、わたしは保健室のベッドの上で寝ていた。


(やっぱり、だめだったか……)


 はじめて魔物におそわれ両親が死んだ日から、包丁をみると気分が悪くなってしまう。

 そんな日は、たいていあの夢をみていた。



 ●○●○●○



 葉月が倒れたと担任から聞かされて、初等部校舎の保健室に足早に向かった。


 ガラリと音をたてて焦りながら戸を開けると、そこにはベッドに寝ている葉月と、ベッドの横で泣きそうな顔をしながらイスに座っている美里がいた。


「リョースケェ~」


「美里、なにがあったんだ」


「うぅぅ、ひっく、ひっぐ」


 オレに目をむけた美里は、決壊したように涙と鼻水を流しながら泣き出した。

 その姿をみていると焦っている気持ちがおさまってきた。


「あー、もう、ほら、鼻かめよ」


 近くにあったティッシュ箱をとって美里に渡した。

 美里が派手な音をたてながら鼻をかんでいると、葉月がむくりと体を起こした。


「おい、葉月、体は大丈夫なのか」


「……うん、大丈夫、ただの、貧血だから」


 その後、養護教諭がもどってきて、葉月がおきたことを告げると、早退することになった。


「おい、ほんとに一人で大丈夫なのか?」


「……兄さんは、まだ授業、残っているでしょ」


 いまの葉月はいつにもまして、だれも寄せ付けないような雰囲気をだしていた。


「わかったよ、無理すんじゃねえよ」


「……ごめんね、兄さん」


 どこかつらそうな様子の妹に何もすることができない自分がふがいなかった。

 葉月が帰った後、葉月の担任からことのあらましを聞いた。

 調理実習中に、包丁を握ったときに顔色が悪くなり、倒れたらしい。


(あいつにとって、包丁に何かの意味があったのか……)


 魔物の襲撃から逃げて、避難所で葉月と一緒に生活を始めるようになり、いままでとまるで違う葉月に戸惑った。

 以前は、なにかあると笑ったり泣いたり感情表現が素直だったが、常に無表情でほとんどのものに反応をしめさないようになった。

 だが、避難先で炊き出しの手伝いをしていたとき、手伝いのおばさんが包丁をもって食材を刻んでいる姿を見たとき、葉月がひどく怯えた表情を示した

 。

 そのときは、まだ精神が安定してないせいだと思っていた。だけど、今回のことでどうやら包丁が原因だとようやく理解できた。

 それと、夕食時は絶対に料理を食べようとしない。食べても、ブロックタイプの栄養食など、あまり人間味を感じさせないようなものだけだった。


(葉月、おまえはあの日なにを見たんだ……)


 まだ小さい妹の心中を考えると、とてものんびりと授業を受ける気にはなれなかった。



 ●○●○●○



 学校から早退し、宿舎にもどったが気分が落ち着かなかった。

 あの夢を見た日は心がザワザワと落ち着かなくなる。焦っているように、なにかしなくてはという考えが止まらなくなる。

 追い立てられるように宿舎をでて、足早にあてもなく街中を歩き回った。


 どれぐらい歩いただろうか、いつのまにか川の近くまできていた。歩き回ったおかげでいくぶんか気分がましになっていた。

 あたりを見回すと、建物の壁には穴があき倒壊寸前の状態であったり、路上には乗り捨てられた車が放置されて、人の気配がしなかった。おそらく魔物の被害のせいで放棄された区域だろう。

 川沿いは歩きやすいようにレンガがしかれた散歩道として使われていたのだろうが、今ではところどころヒビがはいりレンガがめくりあがった無残な様子となっていた。道の脇におかれた休憩用のベンチの中で比較的無事なものを見つけたので、ホコリを払ってから腰をおろした。

 水面に浮かんでぷかぷかと揺られている水鳥の姿は、魔物の存在などとまるで無縁のように静かなものだった。

 しばらくボーっと川をながめていると、不意に横から声をかけられた。


「嬢ちゃん、こんなところでなにしてんだ?」


 声のしたほうを向くと、そこには黒い髪を荒っぽく短く切った長身の30代ぐらいの男性がたっていた。ところどころほつれの見える服をきていたが、清潔なみなりをしていた。


「……散歩」


 わたしが短くこたえると、こちらをじっと見てからやれやれといった調子で首を横に振った。


「もしかして、迷子か」


「……ううん、おうちは、もうない」


「そうか…… このへんは危険だ、性質の悪い連中ばかりが住み着いている。よくないことをかんがえるヤツもいるから、さっさとはなれろ」


「……おじさんも、あぶないひと?」


「そうだな、おれはあぶねえやつなんだ、子供だろうと容赦しないぜ」


 そういって、歯をむきだしにしてきたおじさんは、鬼のように見えた。

 そんなおじさんをじっとみていると


「ちっ、なんだよ、全然こわがらねぇな、おまえ。かわってるやつだな」


 おじさんはすねたような口調でいってきた。


「……おじさん、そろそろ、いくね」


「ああ、もう、くるんじゃねえぞ」


 川沿いに歩いていくわたしの背中を、おじさんが後ろから見送っていた。


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