47-1. エピローグ SIDE 魔王
木々の生い茂る森深く、下草をふみわけてガサガサと音を立てながら歩く二つの影があった。
どちらも小柄な少女であるが、片方は鈍色の鱗に体を覆われ、黒い頭髪もあいまって全体的に硬質なイメージを与えた。
もう一人は、白い体毛が体表に生えそろい、その中で頭部にはえたねじくれた黒い角だけが目を引く容姿をしていた。
「ほら、そこ足元気をつけて、鏡」
鱗の生えた少女が、もうひとりを気遣うように声をかけると
「う、うん。わかったよ、葉月」
白い少女は頼りない足取りで後ろをついてきた。
「はあ、さすがにこの森の中を探すのは難儀ね。お昼時だし、休憩にしようか」
そういうと少女は近くの倒木に腰掛けた。もうひとりの少女もおずおずといった様子で、ちょこんと隣に座った。
「さあて、今日のおひるは何かしらね」
少女が手をかざすと、空間の揺らぎが生じ、中から籐であまれたバスケットがでてきた。
「おお、今日はサンドイッチか。ほら、鏡もすきなのとってとって」
もうひとりに差し出し、遠慮がちに食べ始める様子をみていた。
(う~ん、やっぱり違和感しか感じないな)
少女は内心で苦笑しながら、いままでのことを思い出していた。
異相境界をぬけると、緑が一面に広がる土地に出た。
「これが、異世界か……」
目の前に広がる光景に目を奪われながらも、周囲への警戒をしたが、特に脅威となりそうなものはなかった。
「広崎、ほら、異世界についたわよ」
「………」
異相境界が完全に閉じたことを確認してから、広崎の拘束を解除して声をかけたが、特に反応はなかった。
地面にへたりこみ、虚ろな目をしながらうつむいていた。
「はぁ、さっきまでの威勢はどこにいったのやら…」
その様子をみながら嘆息し、とりあえず周囲を見て回ることにしたが、こんな状態の広崎を放っておくこともできずに、連れて行くことにした。
「ほら、広崎、いくよ立って」
やはり反応しない広崎の手をとって、引っ張り上げて立たせると、ぼんやりとした表情のままわたしの後をついてきた。
警戒しながら、周囲を歩いて回ると、元の世界でみかけるようなネズミや鳥などの小動物を見かけた。
空気も体に影響を与えるようなものはなく、問題なさそうだった。
大きな違いといえば、空に浮かぶ月が2つあったり、魚が空を泳いでいることぐらいだった。
トビウオのような虹色に輝くひれをもった魚が宙を泳いでいる光景は、水族館のようだった。
魚をみておいしそうと反射的におもうのは日本人特有の反応だろうかと苦笑しつつ、後で捕まえて食べようと思った。
異世界初日は森で夜を明かして、次の日は空を飛んでの探索を始めた。
空は晴れ渡っていて、太陽の光をあびながら空の散歩を楽しんだ。
やがて、眼下には森を縦断するように石畳で舗装された一本の道が続いているのを発見した。
「もしかして、あれって道かな?」
「………」
その発見をとなりを飛ぶ広崎に聞いたが、反応はなかった。
「むぅ、まあいっか。あの道の上をすすんでいくよ」
たどっていくうちに、道をあるく人がみつかるだろうと思っていたが、一人としてみかけることはなかった。
森を抜けると、一面にひろがる畑のようなものが見えた。
ぽつぽつと民家のような建物も点在していて、ここはどうやら農場地帯のようだ。
しかし、人の気配がまるでなかった。
良く見ると畑は雑草がはえ、荒れた状態で放置されていて、民家にも人の気配が感じられなかった。
「うーん、どういうことだ? もしかして、日本の過疎地帯みたいに廃棄された村なのかな。広崎は、どう思う?」
「………」
奇妙な光景に頭をひねりながら、となりの広崎に聞いてみたが、返事はなかった。
日が没し始めていたので、無人の家を拝借して泊まることにした。
なかは荒れた様子はなかったが、ほこりがたまっていて長年使われていなかったように見えた。
夕飯は空を泳いでいた魚をつかまえて、手を赤熱かさせてグリルのようにじっくり中まで焼いたものを食べた。
味は白身魚のものだったが、磯の風味がなかったため少し物足りないものだった。
広崎にも焼いた魚を、民家にあった皿にのせて渡したがじっと見つめるだけで食べようとしなかった。
「ほら、あーん」
スプーンのような食器ですくって口の前に持っていくと、広崎は口をあけてついばむように食べた。
(なんていうか、ヒナにえさをあげる親鳥になった気分ね)
次の日も道をたどるように上空を飛んでいると、建物が密集している街がみえてきた。
「お、あれは…… 広崎、あそこの近くに降りるよ」
いきなり、上空から降り立っても住人に警戒心を与えるとおもい、近くから徒歩で街に入ることにした。
理性とは裏腹にすぐにでも街に飛んでいきたい衝動が、自身のうちからあふれてくるのを感じていた。
街をみた瞬間、胸をしめつけられるような郷愁を感じ、『早く早く』という声が頭で響いていた。
街にはいり、中の様子をうかがった。道は石畳で舗装され、レンガ造りの家が立ち並び、以前テレビでみたことのある北欧のような町並みだった。
広い街中を見て回ったが、やはりガランとして人の気配が感じられなかった。看板を軒先に掲げた店はしまっていて、往来に人をみつけることもできなかった。
どうしたものかと立ち止まって首をひねっていると、声をかけてくるものがいた。
「もしかして、あんたらも、避難して方たちかな」
声のしたほうを振り向くと、そこには緑色の肌をもつゴブリンが立っていた。
警官の制服のようなかっちりした服に身をつつみ、警戒するような目つきでこちらを見ていた。
不思議なことに初めて聞く言語だったが理解することができた。これもとりこんだ異界のマナの影響なのかもしれない。
「えーと、はい、そうです、森の方から着ました」
「そうかそうか、遠いところから大変だったろう。ほらこっちについておいで」
相手の話に乗る形で話すと、ゴブリンは警戒を緩めて優しそうな口調でわたしたちを手招きした。
相手の見た目はこどものような背丈だが、所作や言動はおじさんのものだった。
「期待させているところ悪いけど、街の住人たちも大分やられちまっててな、まあ、なんとかかんとかうまくやってるよ」
ゴブリンのおじさんは世間話のようにとつとつと話しかけてきた。
「そうですか。わたしたちも事情がよくわかってなくて、街はどうなっているのですか?」
「おまえさんも知ってるとは思うが、例の奇病のせいで体調を崩す人間が続出しててなぁ。いまでは大半の人間が動けない状況だ。加えて、魔物が襲ってくるせいで、市役所や病院にみんな篭城しているよ」
おじさんの話にでてきた“奇病”や“魔物”という単語は、まるっきりわたしたちの世界の状況と同じだった。
異相境界によるマナの行き来による影響とみて間違いないだろう。
「そういえば、おめえさんがた見たことない種族だけど、どこの出身なんだ」
「う~んと、ここから遠いところですよ」
「ふーん、そうか。まあ、ここにはいろんな種族がいるが、仲良くやっていこうな」
ゴブリンのおじさんは人好きのする笑顔を浮かべた。元の世界だったら、それはこちらを嘲笑するものや好戦的なものであったが、目の前にあるものは暖かさにあふれたものだった。
やがてついた先は、ひときわ大きい建物で、周りを強固な石壁で囲まれた病院だった。
入口はバリケードで封鎖されていて、ゴブリンのおじさんが合図すると、中の人間がバリケードをどけて隙間を開けくれた。
中にはいると、バリケードを守っていた巨体のオーガが声をかけてきた。
「おや、新しいひととはめずらしいね。ここなら安全だから、安心してくれ」
「おいおい、いきなりそんな図体をもつやつが近づいたら、嬢ちゃんたちがおどろくじゃねえか」
「いえ、そんなことは、お気遣いありがとうございます」
オーガのおじさんにぺこりと頭をさげると、笑顔で返してくれた。
ゴブリンのおじさんについて建物の中にはいると、そこにいたのは苦しそうにうめく人々だった。
まるで、野戦病院のように床に簡易的なベッドをつくって、そこかしこに寝こんでいるひとがいた。
「まあ、ごらんの有様だ。まともにうごける人間もあまり残っていない」
わたしが口をつぐんで倒れている人々みていると、ゴブリンおじさんがつらそうな口調で語った。
「あの、わたしにお手伝いできることはないでしょうか?」
「そうか、すまねえな。人手が足りてない状況だから本当に助かるよ。おい、エルーシャ、エルーシャはいねえか!!」
ゴブリンのおじさんは大声でだれかの名前を呼んだ。
「なんだい、うるさいね、ゴズ!! 病院では静かにおしよ」
荒っぽいセリフと裏腹に、でてきたのはほっそりとした体のエルフだった。白い肌に清潔そうな白い服をきていて、金色の頭髪がとても印象的だった。
どうやら、ゴブリンのおじさんの名前はゴズというようだ。
「この子が手伝いっていうから、色々教えてやってくれねえか」
「おや、そうかい。あたしはエルーシャ、ここの病院のナースさ。よろしくね」
「結城っていいます。よろしくおねがいします」
「んじゃ、おれはいくからな」
明るい口調でいってくるエルーシャさんに挨拶をすると、ゴズさんは自分の仕事があるといって離れていった。
「ユウキちゃんか、いま年はいくつなんだい?」
「11歳です」
「わかいねぇ。そっちの子は妹かい?」
「ああ、彼女は、う~んと… 友達です」
エルーシャさんがわたしの後ろをうつむきながら無言でついてくる広崎に目を向けた。彼女との関係はなんていえばいいかわからなかったので、とりあえず無難に答えておいた。
「そっか、大変な目にあったみたいだね」
エルーシャさんは広崎に優しげな目を向けた。
魔物の被害で家族や知人を失って心に傷をおったひとたちが大勢いることを、エルーシャさんは悲しそうな口調で語った。広崎もそのうちの一人だと思われたのだろう。
「それじゃあ、ついたばっかりだし、今日のところはやすんでな。明日からがんばっておくれよ」
エルーシャさんに案内されたのは女性用の寝室で、大部屋に簡易ベッドが並べられていた。
エルーシャさんは再び仕事にもどるために離れていき、わたしは部屋の中にはいった。
「ん~? あれ、見ない顔だねぇ」
ベッドのひとつで寝ていたリザードマンの女性が、寝返りをうちながらおっくうそうに声をかけてきた。
「すいません、おこしちゃいましたか。今日きた結城と広崎です」
「そっか~、ちょっと具合がわるくて横になってただけだら、気にしないでねぇ」
リザードマンのおねえさんは、ねころがったまま手をひろひらとさせた。
その顔色は悪く、そして、体内のマナがかなり減っているのが分かった。
「おねえさん、ちょっといいですか?」
「ん? なんだい」
「具合がよくなるおまじないです」
「ははっ、それはいいね。やってみておくれよ」
力なく笑うおねえさんの鱗につつまれた手を握ると、体の中にあったマナの一つが手をつたって流れ込んでいくのを感じた。
「あれ? なんだか、ほんとに具合がよくなってきた気がするよ」
さっきまで青白かった顔色に血色が戻ってきていた。おねえさんはお礼をいった後、やすらかな寝息を立て始めた。
次の日からエルーシャさんについて回りながら、自分の中にあるマナを返していった。
1週間たったころには、病院にいた人の分をすべて返し終えた。
「不思議なこともあるもんだね。急にみんな体調がよくなって」
「みなさん元気になったようでよかったです」
かつての賑わいをもどしたように、病院内で元気に動き回る人々の姿をみながらエルーシャさんが首をひねっていた。
「で、あんた、なにやったんだい。白状おしよ」
「きっとエルーシャさんの努力のおかげですよ」
詰め寄ってくるエルーシャさんにごまかすように返事をすると、目を細めてじっとわたしをみていた。
天災だと思っていたものが人の手によるものであるという事実をしったとき、人々がうけるダメージを考えると真実を教えることがいいことだとは思えなかった。
「まあ、いいか。みんな勝手に治ったってことにしておくよ。あんたがやったって知ったらへんな気を起こすやつがいるかもしらないからね」
そういいながら、わたしから目線をはずした。
「お気遣いありがとうございます」
「あんたもその年で妙に落ち着いてるところがあるし、いろいろあったんだろ」
心配するように見てくるエルーシャさんに一つきいておかなければいけないことがあった。
「みなさん、自分の家に帰りたがっているようですが、魔物には襲われないのですか?」
「前なら街中にも現れたんだが、見回りしてる連中が街中で見かけなくなったっていっててね」
ゴズさんは街の見回りをしていたときにわたしたちを見つけたのか。となると、ゴズさんに聞けば魔物のことをおしえてくれそうだ。
空いた時間にゴズさんを見つけて話しかけた。
「魔物について知りたいだって?」
「魔物の特徴と出現場所を教えてもらえないでしょうか」
「まあ、ここで暮らす以上しっておいたほうがいいよな。魔物の姿は体に鱗も毛もはえてなくて、一番の特徴は目が乳白色に光っていることだな」
ゴズさんの説明をきくと、それはまるで、元の世界の人間の特徴だった。
「今までは街中にも現れてたが、最近になって森の方に引っ込んでな。こっちとしては危険がなくなって助かるが、やつらがなにをしてくるかわからず警戒してるところだ」
「森の方ですか」
「ああ、やつらには妙な力を使って襲ってくるからな。おまえらもあいつら見つけたらすぐに逃げるんだぞ」
ゴズさんにお礼をいってその場を離れた。
次の日、エルーシャさんに用事ででかけることをいってから、森の探索に出向くことにした。
後ろには広崎が無言でついてきていて、危ないから残っていろといったが受け入れる様子もなかった。
(いた、あれが魔物か……)
しばらく森の中を探し回り、やがて奇妙な生き物を見つけた。
肩のあたりまでのばした黒い髪の毛で風に受けながら、ぼーっと立っている制服姿の女の子がいた。
元の世界ならどこにでもいる存在だったが、この世界では違和感しか感じなかった。
近づいたわたしにむける目は、話に聞いたように乳白色に染まっていた。
口元がもごもごとうごき、なにかの音を出していた。
『カ、カ、カエリ、タイ』
たどたどしい口ぶりで「帰りたい」という言葉を発しているのが聞き取れた。
魔物はこちらにむけて手をむけると『ギュポッ』という音と共に空気の塊をぶつけてきた。
衝撃で体を揺さぶられたが、地面に足の爪をつきたてて踏ん張った。
「まってて、いま元の世界にもどすから」
指を鋭利な刃物に変化させて、魔物に走りよった。空気の塊が連続して撃ち出されるが、大きく上に跳び上がって回避した。跳んだ先にあった木の幹を足場にして、すばやく魔物の背後に降り立ち指の先端を胸に突き入れた。
ずぶずぶと腕ごと体内にはいっていき、指の先端に探していたものが当たったのを感じた。
腕を一気に引きぬき、体内にあった魔石を摘出すると、血にまみれながらも乳白色の光を放っていた。
「さあ、元の世界におかえり」
足元に空間のゆらぎをつくりだし、手に持った魔石を落とした。
送った先では兄たちが受け取っただろう。
地面に倒れている魔物の遺体の表情は苦しげで、このままさらしているのは忍びなかった。
手を巨大な獣の顎に変化させて、残った遺体を飲み込むと、そこには血だまりが残っているだけだった。
それから、街と森を往復する日々が続き、あるときエルーシャさんが弁当を渡してきた。
渡すとき「あんまり無理するんじゃないよ」といわれ、森にでかけていることは見透かされていたようだ。
森の中を探索しながら、いつものように後ろをついてくる広崎に声をかけた。
「広崎、そこ足元きをつけてね」
「……鏡」
「え?」
「……わたしのことは鏡ってよんで」
久方ぶりにきいた広崎の声に驚きながら、広崎の方をみると、おどおどとした様子で上目づかいでこちらを見ていた。
「わかった、鏡」
それからの鏡は、母鳥についてくるひなのようにわたしの傍にずっといて、わたしの姿が見えないとおろおろとあたりを見回す姿が見られた。
以前の攻撃的な態度とは真逆な様子にとまどいながらも、たぶんこれが榎本さんと出会う前の姿なんだろうなと思えた。
やがて、街の付近にいた魔物をすべて送り返したことを確認し、わたしは次の街に向かうことにした。
エルーシャさんやゴズさんに別れの挨拶をしにいった。
「街の住人も元気になって、魔物もいなくなった。せっかく、安全になったんだから、もっとここにいろよ」
「すいません、どうしてもやりたいことがあるので」
「そう、無理するんじゃないよ」
心配そうな顔をするエルーシャさんやゴズさんに手を振って街から去った。
――そう、今度は罪悪感なんかじゃなくて、わたしがやったことに対してどうすればいいかを考えて、自分も含めてまわりが笑顔になるように動いていこう
そして、せっかく異世界にきたのだから、この世界を満喫しよう。
青空に向けて手を突き出しながら、無性にこの言葉を口に出したくなった。
「さあ、世界がわたしを待っている!!」
急に大声を出したわたしを驚いてみていた鏡も、おずおずとわたしと同じように空に向けて手を突き出した。
次は兄側のエピローグです




