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37. 妹(2)

 家でゆっくり過ごしていたら、あっという間に休みは終わり防衛大に戻る日がきた。

 玄関から出ようとする俺を寂しそうに紬がみていたので、頭をぽんぽんと優しくなでたら、頬を染めながら嬉しそうに目を細めていた。

 

「いってくる、今度は正月休みに帰ってくるよ」

 

「うん、待ってる。いってらっしゃい」

 

 防衛大にもどるとまた訓練や、授業などの忙しい日々が続いた。それに加えて、同室の先輩や、校友会のメンバーと語り合うことが多く、様々な考え方に触れることができた。

 そんな中でも、神埼だけは相変わらず他の学生とは違う飄々とした雰囲気をまといながら、俺に絡んできていた。

 

 ある日、神埼と雑談をしているときに質問したことがあった。

 

「おまえ、なんで防衛大にきたんだ?」

 

 神埼の気質的に、規則に厳しく縛られる防衛大はあまり向いてないような気がして、ふと聞いてみることにした。


「ん~、そりゃあ、おまえ、学費がかからない上に給料もらえて、国家公務員になれるんだぜ。こんなお得なところはないだろ」


 金銭面という点で自分と同じ理由だったのは意外といえば意外だが、リアリストな神埼らしいとも納得できた。


「それに、防衛大卒だと色々コネがきくらしいからなぁ、おれ将来会社立ち上げたいんだ」


 ニヒヒと笑いながら神崎は自分の夢を語っていた。


「将来の夢か……」


「榎本は、なにか将来やりたいことってあるのか?」


 神埼に聞かれたが、将来なんて特に考えたことがな

かった。

 紬との生活を守ることだけを考えていて、紬が無事に大人になって幸せになってくれればいいなということを漠然と思い浮かべていたぐらいだった。


「特にないな」


「ずりーよ、おれだけにしゃべらせるなんて」


 妹のことを話したら絶対にからかってくると思って話さずにいると、神埼はくちを尖らせながら不平をいっていた。

 

 防衛大での日々は、厳しい訓練や、教官や先輩に怒鳴られることなどきつい部分もあったが、その代わり得られたものが多い濃密な時間だった。



 2年がたち、俺が20歳、紬が15歳となり、紬の中学卒業と進学の時期が近づいてきた。

 進路のための三者面談があるときいたので、休みをもらって紬の中学校に向かった。


 面談場所は紬の教室で、紬と並んですわり、対面に担任の教師が座っていた。

 教室のなかには春の柔らかな日差しが差し込んでいたが、俺は保護者の立場として参加することに緊張していた。


「どうも、紬の兄です」


「はじめまして、よろしくおねがいします」


 担任の教師だという中年のめがねの男が、丁寧に礼を返してきた。


「お兄さんは防衛大に通ってらっしゃるそうですね。さすが動きがきびきびしていて見ていて身が引き締まりそうです」


「いえ、自分などただの学生の身分です」


「ははは、ずいぶんとしっかりなさっているようでご立派ですよ」


 この教師は話上手なようで、徐々に気がほぐれてきた。


「それで、妹さんの進路の話になりますが、本人からは高校にいかずに、就職したいと伺っているのですが、お兄さんとしてはどのようにお考えでしょうか?」


「なに? ほんとうか、紬」


 初めて聞かされたことに、紬のほうに頭を向けながら質問した。


「うん、わたし早く社会にでたいの」


「まだ、蓄えはあるんだ。公立の高校にいくぐらいなら平気だぞ」


「それでも、わたしは働きにでたいの」


 紬は頑として自分の主張を曲げそうもなかった。


「うーん、どうやらお二人のご意見は違ってらっしゃるようですね。榎本さん、あなたはまだ若いのです。生き急ぐ必要はないのですよ。私としては高校に進学することをすすめたいです」


「そうだぞ。とりあえず高校にはいっとけ」


 教師の言葉にのるように、なんとか説得しようとしたが、急に紬が立ち上がった。


「お兄ちゃんのバカ!! わたしの考えなんて少しもきいてくれない」


 顔を赤くして涙目になりながら大声を上げると、紬は教室を飛び出していった。


「おい、紬!! すいません、失礼します」


 困惑する教師に一言断りをいれてから、追いかけていった。

 廊下を走る紬は階段を駆け下りて玄関口の方にむかっていた。

 紬の足は思ったよりも早く、なかなか追いつけなかった。


「ああ、くそ」


 俺は来客用のスリッパを脱ぎ捨て、ソックスで廊下を踏みしめて全力でダッシュした。

 玄関口をぬけて、足が土で汚れるのに頓着せずに外にでて、ようやく紬に追いついた。


「おい、一体どうしたってんだよ」


 紬の肩をつかんで振り向かせると、ハァハァと息を切らせながら、涙目でこちらをにらんできた。


「いやなの……」


「なにがだよ?」


「わたしが、兄さんの負担になってるのがたまらなくいやなの」


 紬はせきを切ったようにしゃべりだした。


「お父さんとお母さんに迷惑をかけて、さらに兄さんにまで負担をかけている。兄さんも二人みたいにいなくなるんじゃないかって、だれもいない家でひとりぼっちで生活してするのにもう耐えられないんだよ。兄さんにわたしの気持ちなんてわからないよ!!」


 大声でいいきると、紬は嗚咽をもらしながらしゃがみこんだ。そんな紬に俺はなんて言葉をかければいいかわからず、言葉につまっていた。


「紬、あのな……」


「ごめん、変なこといって…… 先生にも謝りにいかないと」


 紬は立ち上がり、顔についた涙の跡をぬぐった。

 それから、なにかを我慢するように口を真一文字に引き結びながら、校舎に向かっていった。


 教室にもどった紬は教師に頭を下げて謝り、高校に行くといった。

 三者面談が終わり紬と一緒に帰ったが、二人の間には気まずい雰囲気が流れていた。


 家に着くと、紬は自分の部屋に引きこもった。

 俺はどうすればいいかわからず、居間のソファーに深く腰掛け天井を見つめていた。

 

 あんなに自分の感情を露わにした妹を見たのは初めてだった。いつも素直で明るい妹だと思っていただけに、戸惑いを覚えた。

 頭のなかを考えをこねくり回しながら、いままでの妹とのやりとりを思い出していた。


 気がつくとすっかりあたり暗くなっていて、電灯もついていない部屋の中は暗かった。


 階段を上り、妹の部屋の前に来た。

 コンコンとドアをノックしたが、返事はなかった。ただ、中でなにかがごそごそと動く音がしたので、妹がいるのはわかった。


「紬、そのままでいいから聞いてくれるか。俺にとっておまえは大事な妹だ。父さんや母さんに代わってお前を守っていかないといけないと思っていた。でも、おまえにとってそれが負担になってるみたいだし、おれはおまえを……」


 そのまま言葉をつなげようと思ったがいい言葉が思い浮かばず、少し考えてから言葉を発した。


「おれはおまえを、家族でもあり対等な存在として支えあっていければと思ってる」


 なんとか、言葉にしてみたが、扉の向こうからは特に反応はなかった。


「あーまあ、そんな感じだ。すまん、うまく言葉にできなかった」


 気恥ずかしさも手伝って、俺はそそくさとその場を離れた。

 

 次の日の朝、自分の部屋で身支度をととのえてから居間にでた。


「おはよう、兄さん」


 そこには、普段どおりの態度で挨拶をしてくる紬の姿があった。


「ああ、おはよう」


 紬が用意した朝食を二人でもそもそと静かに食べた。

 ちらりと紬の様子をうかがったが、昨日みえた不安定さは見られなかった。むしろ、どこか上機嫌な様子にみえた。


 朝食を食べ終えて、玄関に向かおうとしたところで紬が声をかけてきた。


「兄さん、わたし負けないからね。絶対に、認めさせてみせるから!!」


 妹は決意を秘めた目をしながらこちらを見つめていた。その表情は、初めてみる力強いもので、瞳に吸い寄せらそうだった。


「そうか、がんばれよ。待ってるからな」


 決意の内容はわからないが、妹の変化が楽しみに思えた。

 

 それから月日は経ち、紬は近くの公立高校に合格し、お祝いに時計をプレゼントしたら嬉しそうに受け取ってくれた。

 俺も2学年に進級し、自らの訓練に加えて後輩の指導もするようになり、生活の変化はめぐるましかった。


 休日に家に帰ると、紬は嬉しそうな顔で出迎えてくれた。以前みせていた甘える仕草はなくなり、落ち着いた雰囲気を見せるようになっていた。

 紬に負けないように、俺もがんばろうと思った。


 夏の暑い中での訓練ではゲロを吐きそうになった。


 秋の学園祭では、準備でてんてこ舞いになったが、当日に見に来た紬が喜んでくれたのが一番うれしかった。

 そのとき、神埼に妹といるところをみつかり散々からかわれたので、みぞおちに一発お見舞いしておいた。


 冬になり新潟ではじめてのスキーを体験すると共に、雪の中を歩く訓練のしんどさを味わった。

 

 さらに季節はめぐり、防衛大学の卒業を迎えた。

 卒業式では同学年の仲間とともにくぐりぬけた厳しい訓練を思い出し、不覚にも目頭が熱くなった。

 式の終了とともにみなが一斉に制帽を天井にむかって放り投げた。歓声をあげながら喜びあい、それぞれの配属先への別れを惜しみあった。


 俺の配属先は陸上自衛隊となり、防衛大卒業後、さらに幹部候補生学校で専門的な知識と技術を1年間かけて体にたたきこんでいく。


 神埼は任官拒否をして、民間の企業に就職するといってあっさりといなくなった。最後まで、マイペースを貫いて、あいつらしいなと呆れ半分に感心もした。

 

 しかし、気がかりだったのは、これから向かう幹部候補生学校の場所だった。福岡県にある前川原駐屯地が学校の所在地であるため、いままでのように家に帰ることができそうもなかった。

 紬におずおずと切り出すと、あっさりと「がんばってね」といわれただけだった。


 なんというか、妹は高校にはいってから大きく変化していた。高校の文化祭にいったときに紬の様子をみていたが、クラスメイトたちにきびきびと指示をだし、後輩からは面倒見のいい先輩として慕われている様子だった。

 若干の寂しさを感じつつも、最初に会ったころ感じた紬のしっかりさが伸びていっているようで安心できた。

 

 はじめてきた九州の土地に新鮮味を感じながら、幹部候補生学校での訓練がはじまった。


 防衛大のときにくらべ野外での訓練がふえ、偵察、陣地の構築、小銃にくわえて機関銃など陸上自衛隊の装備火器の取り扱いの習熟、通信など、実際の部隊で行われる作戦行動を学んでいった。


 さらに、部隊を指揮するための計画や命令を運用する方法を学び、10名前後の小隊にたいする指揮要領を訓練していった。


 部隊の人間の命を預かるということに責任感と、間違えは許されないという重圧に胃がきりきりと痛みそうだった。

 こんなとき神埼なら飄々とこなしていきそうだと思いながら、あいつの得意げな顔を思い出すと少しは気がまぎれた。

 

 苦しい1年が過ぎ幹部候補生学校の卒業を迎えることができた。

 同時に紬も高校を卒業し、家に帰ると二人でお祝いをした。

 

 防衛大学を卒業後、三等陸尉に任命され陸上幕僚監部での勤務となった。おれはいわゆる背広組といわれる市ヶ谷駐屯地での内勤となった。

 任された仕事は、装備の管理や運営に関する仕事であった。前線で体を動かすより後方で裏方作業をするほうが性にあっていたようで、仕事は楽しかった。

 

「ただいまー」

 

「お帰り、兄さん」

 

 家にかえってきた俺を出迎えたのは、カーディガンをきて大人っぽく落ち着いた服装の紬だった。

 紬は高校卒業後、看護学校への進路を決めて都内の学校へ通うことになり、また一緒に家で住めるようになった。


 穏やかに日々はすぎていった。


「おはよう」「おはよう」

「いってきます」「いってらっしゃい」

「ただいま」「おかえり」


 挨拶をすれば返してくれる。ただただそんな日常が心地よかった。


 晩御飯では、紬が看護学校で見てきたことを楽しそうに話していた。医療の知識だけでなく、患者とのコミュニケーションのために心理学や社会学まで授業でならってるというのは以外だった。


「今度、お寺に研修にいくんだ」


「え、寺? 旅行じゃなくて研修なんだよな」


「うん、おもしろいでしょ。なんでも座禅するらしいよ」


 警策でたたくまねをしながら、楽しそうに笑っていた。


 3年間が過ぎ、学校を卒業した紬は看護師となった。

 家のなかで支給されたナース服を披露していた。


「どうかな?」


「なかなか様になってるじゃないか」


「そ、そう、ありがとう」


 紬は照れながら、ほおを掻いていた

 去年、紬は成人を迎え、小柄で穏やかな笑顔を絶やさず、見るものに安心を与えるような女性に成長していた。

 きっといい看護師になれるだろうと、後で両親に報告に行こうと思った。


(父さん、母さん、俺たちは無事にやれているよ。紬も立派に育って、自分の道をすすめている。だから、安心しててくれ)


 

 だが、そんな平穏な日々は突然に終わりをつげた。


 現実世界ではありえない怪物“魔物”が跋扈する世の中になり、世界は一変した。

 自衛隊は各地に出没する魔物の対応に追われ、俺も避難所の警備のために派遣されることになった。


 紬も医療従事者として避難所に派遣されることが決まった。幸いだったのは、二人とも派遣先が偶然にも同じことだった。

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