1限目!
美術部の部室のなか。
部活時間ではない今の部室の平穏な空気の中、肩で荒く息をしている青年がいた。
しきりにあたりを見回している。
「・・・やっと逃げ切った。」
涼輔は「はぁ・・・」と、深いため息をつくとしゃがみこんだ。
ようやく人の相談の豪雨から逃れることができたのだ。
忠野涼輔はこの高校に入学するまえから人の相談に乗ることが多かった方だったのだが最近はひどいくらい多かった。
別に相談に乗るよと言っているわけじゃないのに自然と人が集まってくる。
彼と言う人柄が温和で真面目そうな外見のせいもあるだろう。
涼輔は実際にも文句ひとつ言わずにただ真面目に相談に乗り笑顔で返答していたので男女問わずかなりの人気があった。
だが、大抵が彼と言う友達が欲しいのではなくただ単に相談相手が欲しいだけで、彼と親しい人は少なかった。
そのせいか休み時間は一人で居ることが多かった。だが今週は特別でむしろ酷いくらいだ。
毎休み時間最低でも5人は来るし、なぜか何の接点もない先輩まで来ていた。
「・・・なにしに来たの?」
誰もいないはずの部室から女性の声が聞こえた。
「誰だ?」
振り返ってみると、明らかに怪しいものを見る目つきをした女性がいた。
学校一地味な女と噂される鈴本空だ。
涼輔と彼女は同じクラスメイトと言うことくらいしか接点がなく、たまに見かけても身長が低いことくらいしか印象がなかった。それに今までに人と話しているところなど見たことなかったので話しかけられたことに少々驚いていた。
「鈴本?なんでこんなところにいるんだ?」
「・・・それは私のセリフ。自分の部の部室にいるのがそんなに不自然なの?」
鈴本が腰に手を当てあきらかに怒りの表情を浮かべ睨みつけてくる。
そういやあいつ美術部で、ここは美術部室だったな。
「い、いや。相談に乗れとしつこい奴らから逃げててさ。」
「しつこい奴ら?」
彼女の顔から怒りの表情が消え、すぐに自分への疑問の表情へと変わった。その話し方からは想像もつかないほど表情が転々として、わかりやすい。
話をそらすためにそのまま続ける。
「なんか今日に限ってひどいんだけど何か知らない?」
「・・・・。」
一瞬怪訝そうな顔で睨まれたが、なにか思いあたることがあるらしく手をたたいて体全体で表現し始めた。
「あぁ・・・。なぜか私まで巻き込まれてたこれのせいじゃない?」
彼女は体で表現するのを無理だと悟ったのか、抱えていた鞄からそれを取り出した。
どこの学校にでもありそうな校内新聞だった。
そこの見出しには「新なんでも屋誕生か?期待の新入生、忠野涼輔と鈴本空」と、涼輔が相談に乗っているところの写真と答えた覚えのないインタビュー記事が書いてあった。
「今週の月曜の朝に配られていたわよ。号外でね。なぜか私までいるけど。」
「ちょ、俺こんなこと知らないよ。」
「私もこんなの知らなかったわよ!たぶん新聞部の連中が嫌がらせ的に書いたのを全校生徒が真に受けたんじゃない?」
鈴本が腕を組みながら「困った奴ね」と言いたげな目で見つめた。
首を振ると、その長く綺麗な栗色の髪が揺れる。地毛とは思えないほどの綺麗な髪色だった。男子の涼輔にさえ羨みそうになるほどだ。
その上悪くないルックスなので男子からは人気だった。おそらくそれがまた女子生徒達の反感を買うのだろう。
今回もそれが関係しているかもしれない。
「俺は部活はいってないから恨み買う様な覚えないんだが。」
「知らない。」
冷たく、素っ気ない反応だった。
どうやら俺のことに巻き込まれたと思っているらしい。
しばらく沈黙して向かい合いながら立っていると、鈴本が邪魔そうな顔をしていることに気付いた。
「俺、邪魔か?」
ふと邪魔そうな目で見られていたので聞いてみた。
「ええ、かなり。そこにいられると作品が書けないから。」
「え?」
一瞬何を言われたかわからなかったが、鈴本が指した指の方向を追ってみると、見事に涼輔の後ろには油絵のキャンパスが置かれていた。
「あぁ・・・。ごめん。」
「別にいいから・・・。これ以上用がないなら帰って。邪魔だから。」
「本当に邪魔したな、悪かった。んじゃ、また後で会えたら会おうぜ。」
「クラス一緒だから嫌でも会うことになるよ。」
なにげなく鈴本から再び注がれる素っ気ない言葉。
直球な感想だった。少しショックを受けたのは言うまでもない。
俺自身聞かなくても良かったことだろうけど・・・そこまで俺が嫌われているとは。
「冗談よ。」
「は?」
「そんな気難しい顔しないでよ。」
鈴本に苦笑しながらそう言われ、やっとからかわれているとわかった。
どうやら涼輔も人のことが言えず感情が顔に出ていたらしい。
少し落ち着いたところで、改めてキャンパスに描かれた絵を眺めた。薄い青色の中に白が織り交ぜてある。ただそれだけなのだがなにか深みがある不思議な絵だ。
「これは・・・もしかして空か?」
「ええ。」
「好きなの?」
「変・・・だった?」
余計なことを考えつつぼーっとしてると、少し心配そうな顔で声をかけられた。
「え?あ、あぁ。・・・じゃなくて、全然変じゃないと思うよ。空は綺麗だからね。そういえば鈴本の下の名前も<空>だよな?」
「そうね。」
それ以降、沈黙が続く。
鈴本はいつも昼食時にいないのは単に他の女子生徒から外されてるわけじゃなく、これを書きあげるためだったらしい。
結構目立っていたが、鈴本がいないことに関してみんな無関心だった。
「まだ時間あるし、なんか描いていく?私も1人じゃ飽きるし。」
予想に反するほどの明るいフレンドリーな言葉をかけられた。
やはり噂は妬みから来ていたらしい。
「ん。いいの?」
「良いよ。どうせこの部は先輩が進学勉強で忙しくなって私しかいなくなるし。」
「そうなのか。ん~・・・何描こうかな。」
真剣に絵を描くのなんて何年振りだろうか。ふと窓の外に目をやると桜の木が目に入った。
入学してから早2カ月。もう6月に入ったのにここの桜は綺麗に咲いていた。
「よし。そこの桜にしよう。」
「ん・・・」
鈴本も自分の作品に手をかけたらしく空返事が返ってきた。
初めての油絵に悪戦苦闘したのだが、ようやく慣れてきたと言うところで昼の休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
美術の授業は嫌いで取ってないが、ここで絵を描くことを終えるのが残念に感じる。
「・・・もう終わりか。」
「そうね。あ、道具はその辺に置いといていいから。」
「おう、悪いな。」
涼輔が「んじゃ、よろしく頼むぜ」と声をかけるが、鈴本は変な目で彼を見た。
「何言ってるの?片付けるのはあなた自身よ。」
「え?」
「だってまた描きに来るでしょ?」
そう言うことか・・・。まぁ、確かに中途半端だとスッキリしないな。
せめてこの絵が完成するまでここに通うことにするか。へんな追っかけからも逃げられるし。
「私、職員室に行く用事あるから。じゃあ、またHRでね。」
「あぁ、またな。」
鈴本にそう別れを告げ、先に戻ることにした。