虐げられ続けたドアマット令嬢が家族や婚約者に見捨てられた末に全員が没落していく中、隣国の麗しき王子に拾われ誰よりも大切に愛されてシンデレラのように幸福を掴む物語
「エレノア、またドレスを汚したの? 本当にみっともないわね」
姉のクラリッサが扇を鳴らしながら冷たく笑った。侯爵家の広間で、妹を侮辱するのはもはや日常茶飯事。周囲の親族も使用人も、誰一人としてエレノアを庇わない。
「……申し訳ありません」
謝罪の言葉を呟くのが精一杯だった。彼女は幼い頃から両親に愛されることなく、姉の影に押し込められて育った。美貌と才覚に恵まれたクラリッサと違い、エレノアは「凡庸」と決めつけられていたからだ。
――そんな彼女にも、一筋の希望があった。王太子アルベルトとの婚約だ。
幼い頃に結ばれた縁談で、これだけは自分の生きる意味になると信じていた。しかし、それもまた幻想にすぎなかった。
「アルベルト様、今日は私と舞踏を……」
勇気を出して声をかけた時、彼は眉を顰めて一歩下がった。その隣に立つのは、クラリッサ。
「悪いが、エレノア。私はクラリッサ嬢と約束をしている」
その一言で、心臓が潰れるほどに痛んだ。周囲の貴族たちは嘲笑し、彼女を「哀れな婚約者」と囁いた。
――それでも、耐えなければならない。ここで抗えば、ますます居場所を失うから。
日々を耐え忍ぶ中、決定的な出来事が訪れる。
「エレノア・フォン・グリモワール。私はお前との婚約を破棄する」
公衆の面前で告げられた婚約破棄の宣言。相手はアルベルト、そして隣には誇らしげなクラリッサの姿があった。
「お前は無能で凡庸、王太子妃に相応しくない。クラリッサこそが真の伴侶だ」
場がざわめく中、エレノアはただ唇を噛みしめるしかなかった。両親は一瞥すらくれず、「恥をかかせるな」と冷酷に告げるだけ。
「……承知いたしました」
か細い声で返答した瞬間、彼女の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
その夜、エレノアは屋敷から追放されるように荷物をまとめ、冷たい雨の中に放り出された。馬車も金銭もなく、ただ行く宛もない。侯爵家の人間にとって、彼女はもはや不要な存在だったのだ。
街をさまよい、食べ物を乞い、ついには道端で倒れ込む。雨に濡れ、身体は冷え切り、呼吸は浅くなる。
「……こんなところで、終わるの……?」
意識が途切れかけたその時、暖かな腕が彼女を抱き上げた。
「君、大丈夫か!」
低く優しい声が耳に届く。視界に映ったのは、夜明けの光を浴びてなお凛々しく輝く青年の姿だった。異国の装いを纏い、深い蒼の瞳が心配そうに彼女を覗き込んでいる。
「私はレオニード。隣国フェルディアの王子だ。こんなところで倒れていたら危険だろう?」
「……王子……さま……?」
力なく呟いた言葉に、彼は微笑んだ。その笑顔は、これまで彼女が一度も与えられたことのない温もりを含んでいた。
「安心しろ。もう大丈夫だ。君は私が守る」
その言葉と共に、エレノアの意識は闇に沈んだ。
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柔らかな寝具と陽光に包まれて目を覚ました時、エレノアは自分が見知らぬ豪奢な部屋にいることに気付いた。窓から差し込む光は眩しく、枕元には香り高い花が飾られている。
「起きたか。体調はどうだ?」
振り返ると、そこには蒼い瞳を持つ青年――レオニードが椅子に腰掛け、心配そうに彼女を見つめていた。
「ここは……?」
「フェルディア王国の迎賓館だ。君を保護してから医師に診せた。高熱だったが、もう峠は越えた」
信じられない思いで瞬きを繰り返すエレノア。これまで誰からも顧みられなかった自分を、王子がここまで心配してくれるなど――。
「なぜ……私なんかを?」
「“なんか”ではない。君は君だ。名前を教えてくれないか?」
「……エレノア。エレノア・フォン・グリモワールです」
その名を告げた途端、レオニードの表情が硬くなる。
「グリモワール侯爵家の……? だが君の姿はあまりに痩せ、傷だらけだ」
彼は拳を握り締めた。虐げられてきた事実を、言葉にせずとも悟ったのだろう。エレノアは涙を堪えきれず、嗚咽を漏らした。
「私は……ずっと不要だと言われてきました。家族にも、婚約者にも。追放され、もう居場所はどこにも……」
「違う。君の居場所はここだ」
レオニードは彼女の手を取り、真摯に告げる。
「私の隣に来てほしい。君を守り、幸せにすることを誓う」
胸が熱くなり、エレノアの頬を涙が伝った。これまで無価値だと扱われてきた自分を、これほどまでに必要としてくれる人がいるなんて――。
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一方その頃、グリモワール侯爵家では異変が起きていた。王太子アルベルトはクラリッサを妃に迎えると宣言したが、彼女の傲慢な言動は次々と問題を起こし、周囲の反感を買っていた。さらに、エレノアを追放した件が各地に広まり、民衆からの評判も急落する。
「どうしてだ! 私は正しいはずなのに!」
クラリッサの叫びも虚しく、侯爵家の領地は不正発覚で没収され、家族は爵位を剥奪された。アルベルトも王位継承権を失い、二人は哀れな失脚者として歴史に名を残すことになる。
その報せを聞いたエレノアは、胸の奥に小さな痛みを覚えた。だが同時に、過去に縛られぬ自由を感じてもいた。
「エレノア」
レオニードがそっと彼女を抱き寄せる。
「もう泣かなくていい。君は愛されるために生まれてきた。私は生涯を懸けて、それを証明しよう」
その言葉に、エレノアは静かに頷いた。過去の痛みは消えない。けれど、これからの未来は彼と共に輝くのだ。
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数年後、フェルディア王国の王宮では盛大な結婚式が行われた。花嫁衣裳に身を包んだエレノアは、かつての「悪役令嬢」とは思えないほど気高く美しい姿をしていた。
「誓うか。生涯、この人を愛し抜くと」
「誓います」
レオニードの声に応え、エレノアは幸せに微笑む。会場は祝福の声で満ち、彼女の新しい人生が幕を開けた。
ドアマットとして虐げられた日々は遠い過去。今、彼女は愛される花嫁として、シンデレラのような幸福を手にしたのだった――。