EP4 普通じゃない君に
※この作品には暴力的描写、流血表現、一部性的なニュアンスを含む描写があります。苦手な方はご注意ください。
――赤い目のせいで化け物扱いされていた。
殺そうと何度も思った。それでも、誰も殺さなかった俺は、きっと“普通”なんだと思う。
そう思ってた。あの日、芽依の頬が打たれるまでは。
俺は我慢強い方だと思う。嫌な思いも痛い思いも、気がついた時には慣れてた。
でも、本当に怖いのは、“慣れる”こと自体だった。
自分が「そういうもの」だと、何の疑問も持たずに受け入れてしまったとき、何かが壊れた気がした。
目が赤い。ただそれだけのことで、俺は異物とされ忌避された。
両親がいない事も彼らの“程のいい攻撃材料”だったのだろう。出生も不明。気づけば、常田の家にいた。
「気持ち悪い」「関わると厄介そう」
言葉にされなくても、視線がそう言っていた。
たとえ虐げられても、俺は誰にも手を上げなかった。
泣きもしなかった。怒りもしなかった。
それが当然のことだと、思い込んでたからだ。
養父、常田。
あの人のもとで、俺は鍛えられた。
いや、鍛えられたというより“叩き直された”と言ったほうが正しい。
真冬の川に飛び込み、無酸素状態での耐久訓練。
崩れかけた崖を逆走し、鉄棒の上を倒立で歩き続けた。
素振り一万回、片腕での腕立て百回、反復横跳び五時間。
骨がきしみ、皮が裂け、吐いても許されなかった。
だけど、不思議なことに、俺の身体は壊れなかった。
むしろ、数日経てば元通りに戻った。
打撲も、筋肉痛も、骨折すらも。いつの間にか消えていた。
当時は、自分が“強いから”だと思っていた。
でも今思えば、それは──
俺が普通とは違ったからだ。
あとになって知った、自分の身体に流れている“ある物”が原因だったのだと思う。
常田が一度だけ、話してくれた事がある。
「…お前の体には“抗体ナノマシン”が投与されている」と。
難しいことはわからなかった。ただ、あの人は俺のことを“異常”だと知っていたんだと思う。
それでも、常田は俺を「化け物」とは呼ばなかった。
毎回、鍛錬の終わりに、同じ言葉を言い聞かせるように伝えてくれた。
「お前は強い。普通じゃない力を持ってる。それを忘れるな」
「だからこそ――その力を、支配に使うな。暴力に使うな。守るために使え。自分と、大切な人を守るためにだけだ」
その言葉だけが、俺の中でずっと生きている。
だから、どれだけ殴られても、何も言わず、耐えてきた。
それが俺の“普通”だった。
ある日、俺の“普通”が揺らぐ出来事が起きた。
隣の教室で、何やら言い争う声が聞こえた。
俺が駆けつけた時には、芽依が、数人の女子グループに囲まれていた。
「……ほんとバカだよね、あんた。なんでそんなやつ庇うの?」
その声に、背中がざわついた。佐々木。クラスの空気を牛耳っていたやつだ。
芽依は一歩も引かず、真正面から睨み返していた。
「“そんなやつ”って……涼のこと、何も知らないくせに」
「ええ。 知らないわよ、あんな気味の悪い奴。右目だけ真っ赤なんて、生理的に無理!」
「色が違うだけで人を差別するなんて、あなたのほうがよっぽど異常よ」
「……何それ? 正義ぶって気取ってんの? 自分が浮いてることに気づいてないとか、マジでヤバいんだけど」
「浮いてるとか、色が違うとか。そんなくだらない事で他人を虐げる“あんた達”の方がよっぽどヤバいでしょ」
「みんな気い遣ってんだよ! あいつがいるだけで、空気が重いの!わかる!?」
「“みんな”って誰よ。あんたが言う皆んなだって、ただ怖くて黙ってるだけでしょ」
佐々木が一瞬たじろぐ。周囲の女子たちも言葉に詰まっていた。
「あ、そうなの。あんたああいうのがタイプなんだ。 空気読めない子とキモい奴でお似合いじゃん」
「……好きだよ。だから何?」
一切の躊躇いも怯えもなく芽依は続ける。
「マイノリティを異物と決めつけて、差別して、傷つけて……それで“普通の顔”してるあんたたちは間違ってる」
「……っ!」
「あんた達なんかより涼の方がよっぽど――」
バシィン。
乾いた音が教室に響く。
佐々木の手が、芽依の頬を打った。
教室が静まり返る。
でも、芽依は目を背けなかった。
じっと、真正面から佐々木を見据え、言った。
「涼の方が……よっぽど、“カッコいい”!!」
佐々木の顔が醜く歪んだ。
「てめえぇ……!」
逆上した彼女は、カバンの奥から沢山の私物を撒き散らしながら何かを取り出した。
銀色にきらめいたそれを見て、教室にいた数人が息を呑む。
――カッターだ。
「いい加減にしろ……殺すぞコラ……」
震える低い声。目は据わっていた。完全に理性が飛んでいた。
佐々木が大きく振りかぶったその時だった。
パシッ。
腕を掴んだ。
「……やめろ」
静かな声。
居ても立っても居られなくなった俺は、気がついたらそこに居た。
いつの間にか教室に入り、無言のまま、佐々木の腕を掴んでいた。
佐々木が暴れる。俺を叩き、引っかき、叫ぶ。
「離せ!キモいんだよ!離せ!!」
それでも――俺の身体は、まるで岩のように動かなかった。
教室の空気が重くなる。誰も声を出せなかった。
芽依が、安堵のような表情を浮かべる。
でも、彼女の頬は赤く腫れていた。
その腫れを見た瞬間、ぎり、と奥歯を噛んだ。
「……行こう、芽依」
怒気を抑えた声で言って、俺は佐々木の腕を少しだけ乱暴に引いて振りほどいた。
バランスを崩した佐々木が尻もちをつく。
そのそばに、小さなシリンジが転がっていた。空っぽのまま、何も語らず。
俺たちが歩き出すのを、誰も止めなかった。
常田さんが言ってた“守る”って、これで合ってたんだろうか。この時の俺には分からなかった。
⸻
次の日、夕暮れの屋上に、俺と芽依だけがいた。
風の音すら気にならないくらい、胸の奥がざわついていた。
「……佐々木さん、NECTAR使ってたって。今朝、区域管理地庁が来たらしいよ」
「……そうか。 で? メイは昨日で懲りたかよ。 誰彼構わず絡むと危ない事もある。少しは自重しろ」
出会い頭に言葉が刺さったのは、俺のほうだった。
なんで、そんなふうにしか言えないんだろうな。
芽依が睨んでくる。
「……なにそれ。お礼言いに来たのに、開口一番それ?」
「だから何度も言ったろ、関わるなって。そもそも助けなんて頼んでねえし、巻き込む気なんて──」
「巻き込まれたんじゃなくて、私が勝手にやったの!」
声がぶつかり合う。小さな火種があっという間に炎になった。
「バカはあんたでしょ! 何でもかんでも一人で背負って、誰にも頼らないで!」
「誰も頼るなって教わってんだよ、ガキの頃から!」
「……っ」
その瞬間、芽依が顔を背けて、ふうっと大きく息を吐いた。
「……もういい。ケンカしたくて来たんじゃないから」
その声は柔らかく、どこか寂しげだった。
手に持っていたものを、ぽんと差し出してきた。
黒い布。
「……眼帯?」
「そ。これ、あげる」
「……なんで」
「見てらんないから。その目、すごく綺麗だけど……でも、みんなはそう思わないでしょ?」
俺は黙った。
「私はね、見せてるほうがカッコいいと思う。でも、隠したいって思うことも、後ろめたく感じることも、別に悪いことじゃないから」
芽依の声が優しく響く。
「人間なんだから、そういうことあって当然だよ。隠したいものは、隠したっていいんだよ。そんなの、誰だって、誰にでもあるでしょ?」
手渡された布の感触が、やけに温かかった。
芽依との距離は近かった。
制服の香りが、ふわっと風に乗って鼻をくすぐる。甘くて、柔らかくて──妙にドキドキする。
目の前の芽依の唇が、いつもより艶やかに見えて、目を逸らせなかった。
そんな俺の様子を感じ取ったのか、芽依が少し頬を染めて言った。
「昨日、私が言ったこと──覚えてる?」
「……ああ。あの、正論でボコボコにしてたやつだろ?」
「違うっ、そっちじゃない!」
ぱしん、と軽く叩かれた。
「そっちじゃなくて……さ」
視線を伏せ、恥ずかしそうに髪をいじりながら、ぼそっと言った。
「私が……リョウのこと、す、好きだって、言ったこと。…覚えてる?」
……胸が跳ねた。
正直、あの瞬間の言葉は何度も頭の中で反芻してた。
「……覚えてる。 けど、忘れた事にした……」
そう答えるしかなかった。
芽依は一瞬だけ沈黙して、苦笑した。
「ふーん、まあ、覚えてても覚えてなくてもいいけど」
それから、俺の顔を真正面から覗き込んできた。近い。シャンプーの香りが鼻につく。
「で……あんたは? 私のこと、どう思ってるの?」
今度は、逃げられなかった。
「……好きだって言われても……責任、取れない」
目を逸らしながら、しぼり出すように言った。
「俺なんかに“誰かの気持ちを背負う”資格があるのか分からないから…」
芽依はあきれたように息を吐いた。
「はあ……もう。まあ、そんな返事来るって、最初からわかってたけどさ」
そして、きっぱりと言い切った。
「でもね、私は自分が“好き”って言ったことに責任を取ってもらおうなんて、一ミリも思ってないから」
「……?」
「私の選択の責任は、私が取る。私の幸せを、他人に決めさせようなんて、絶対に思わない。……リョウだって、そうでしょ?」
その言葉が、やけに胸に響いた。
正面からぶつかって、誤魔化さずに気持ちを伝える姿。
まっすぐで、清々しくて、眩しかった。
思わず、笑ってしまった。
「……なんかさ、お前って、すげぇな」
笑ってしまったのは、羨ましさと、少しだけ自分が情けなかったからだ。
「な、なに? またバカにしてんの?」
「いや……」
「だったら笑わないでよ!」
言いながらも、芽依も笑っていた。
空の色が少しずつ夕闇に染まり、俺たちの影が並んで伸びていった。
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