EP1 記憶が壊れる世界で
※この作品には暴力的描写、流血表現、一部性的なニュアンスを含む描写があります。苦手な方はご注意ください。
「もしも…世界が、世界の全てが作り物だって俺が言ったら、信じるか…?」
「昨日…〈禁忌目録〉って本、読んだんだ」
やってしまった。と俺は強く後悔した。昨日の夜、養父、常田の書斎で“それ”を見てからずっと考えてた。
確かに、内容の精緻さから考えてイタズラや根拠の希薄な蔵書だとは考えにくい。
…それに、俺が感じていた“日常の違和感”と整合性が取れすぎていた。
無視するには重すぎる内容だったんだ。一人で抱えるには。重すぎた。誰かに話さずにはいられなかった。話す相手なんて一人しかいないのに。
「なにそれ?全然知らない。」
綺麗な目を軽く見開きながら芽依は続けた。
「どんな本なの?」
「…第三次世界大戦。授業で習ったろ?あの時戦争と同時期に蔓延したウイルス、ドロスウイルス。覚えてるか?」
「まあ…私授業はちゃんと聞く方だから覚えてるけど…それがどうしたの?」
「それが…その本には、捏造された虚偽のウイルスだって書かれてた」
芽依は微笑んだまま、問い返した。
「なんで……そんな嘘、つく必要があるのよ」
「パンデミックを口実に、ワクチンと称して生体管理ナノマシンを全国民に投与するためだって…」
「メイは……違和感を覚えたこと、ないか? 戦前の歴史資料によれば、年間2万人の自殺者がいたってのに、今では年間100人未満。テロや暴動、暴力装置による訴えを生まれてから見たことは?帝国内の会社の年間倒産率は?テストの点数は?たとえば、もっと宗教とか、英雄とか…“神の剣”とか…全てが、戦前の歴史資料に比べて“出来すぎている”……」
「……」
芽依の目つきが真剣な物へと変わるのを肌で感じた。
まずい。頭のおかしな奴だと思われているに違いない。またやってしまった。熱が入ると饒舌になる“癖”。俺に友達ができないのは目の色が違うだけが原因じゃない、そう再認識した。
しかし、芽依の口からは予想だにしていない返答が返ってきた。
「…………ありえない話じゃ、ないね」
ぽつりと、芽依が言った。
俺は驚いたように芽依を見た。
「え?」
「私も……ときどき思ってた。おかしいって。なんで誰も疑問に思わないんだろうって。昔、家でテレビ見てたらね、急に画面が切り替わって、何か……音だけの警告が流れたの。でも、次の瞬間には私……なにが流れてたか、思い出せなかったの。母さんも父さんも一緒に見てたはずなのに、なんのことだって…」
芽依の目が細められる。
「だから、その〈禁忌目録〉、私も見てみたい――」
「………」
「ん?メイ?」
「………ああ、あれ?」
そう呟いた次の瞬間、芽依が額を押さえ、突然に身体をよろめかせた。
「……っ、あれ、ああああれ?なあな…に……?」
「芽依!?」
俺がが慌てて駆け寄り、体を支えると、芽依は苦しげに眉を寄せたまま、力なく笑った。
「うう……ごめん、なんの話、してたっけ…?」
その言葉に、涼の背筋に冷たいものが走る。
「お前……」
芽依は見たこともないような、気の抜けた顔のまま、その口からは唾液が溢れていた。
「私……ちょっと、疲れてるのかな」
やっぱり、ナノマシンの影響だ。
思考の矛先を逸らし、記憶を遮断する、目録に書き記されていた機能。
芽依は、軽く頭を振った。
だが、次の瞬間。彼女の表情が再び強張る。
「……っ、う……!」
強烈な頭痛に襲われる。呻き声を漏らしながら、その場に膝をつく。
「芽依っ!」
抱き止めようとする俺の腕を、震えながら彼女は掴んだ。
「でも……違う。やっぱり違うの。私は、あなたを……それでも、信じたい……」
震える声だった。ナノマシンの制御を振り切るかのように、絞り出すような意思の言葉。必死に抵抗している。
「もういい……! もう、いいんだ! ごめん、こんな話して!」
芽依の耳からは、生ぬるい血が頬のラインを伝って滴っていた。
俺は芽依の肩を抱き寄せた。震える身体を支えながら、全身からじっとりとした汗が滲んでいた。
その後、俺は芽依を背負い、医務室に運んだ。
ベッドにゆっくりと寝かせると、彼女は浅く呼吸を繰り返しながら、微かな寝息を立てはじめた。
芽依の寝息は、かすかに、規則正しく続いていた。
それだけが、今この空間にある“日常”だった。
それ以外は、全部、どこかが狂ってる。
耳から流れた血。記憶の断絶。異常な頭痛。
あれが作り話であるはずがない。
彼女の“意思”だけが、唯一の証拠だった。
俺は、拳を握った。
この世界がどうなってるのか。
なぜ、俺は“統治の影響を受けない”のか。
――全部、確かめてやる。
⸻
午後、「社会」の授業が始まっていた。
「……第四層の暴力犯罪発生率は、統治前の0.007%。これは……」
ARスクリーンに次々と映し出される“平和”の光景。
笑いながら通勤する人々、整列して歩く子供たち、街角の清掃ロボットまでが、どこかで見た理想図のように整っていた。
――まるで、宣伝用のサンプル映像だ。
不自然なまでに澄んだ青空、どこまでも続く秩序。
そのすべてが、“統治の成果”として提示されている。
でも……本当に?
こんなに綺麗で、均質で、異物が何一つない“街”なんて……逆に、不気味だ
俺は静かに目を細めた。
四宮の声は、どこか遠くで流れている雑音のように聞こえていた。
芽依との昼休みの会話が、今も頭の中で何度も再生されていた。ナノマシン。統治波。意識の制御。禁忌目録に記された、現実とは思えない情報。
本当なのだろう……
芽依の頭痛、言葉の遮断、感情の抑制。そのすべてが目録の記述と一致していた。
これはもう、疑念じゃない……
確信だ
不意に、芽依が医務室から戻ってきた。教室の扉を静かに開け、何事もなかったかのように席へと腰を下ろす。
しかし俺は、その動作の端々に違和感を覚えた。
動きが重い……いや、“抑え込まれてる”みたいな……
芽依と目が合う。彼女はうっすらと微笑み、何も語らない。
そのときだった。
「……ん……」
前の席の女子生徒が、静かに机に突っ伏した。
……体調不良か?……
「長谷部さん? どうかしましたか?」
四宮が声をかけるが、返事はない。この声色には明らかな動揺が滲む。
左の生徒、右の生徒──まるで連鎖するように、教室のあちこちで生徒たちが静かに意識を落としていく。
……???…
……こんなこと、今まで……
頭の片隅に浮かぶのは、禁忌目録の一節。
──ナノマシン。精神と行動を“制御”する技術。
俺が芽依と目を合わせた瞬間、胸に冷たい戦慄が走る。
まずい!!
その刹那、右目に熱を感じた。
「っ……!」
義眼が熱を持ち、細かく駆動音を立てながら起動する。
俺は反射的に眼帯へと手を伸ばし、剥ぎ取る。
〈生体ガス検出:ナノマシンα〉
〈拡散経路:空調・換気口〉
〈特性:無臭・無色・神経抑制型〉
こんな機能が……あったのか!?
芽依も、咄嗟に換気口に目をやり、ハンカチを口元に押し当てる。
俺は教室の扉へ駆け寄った。だが──
ガチャッ。
「……鍵が、かかってる」
ドアを何度も押すが、完全にロックされている。
閉じ込められた……!
「窓……から逃げられない?」
芽依が焦るように窓を指差す
「ダメだ!ここ3階だぞ!怪我したら……走って逃げられない!」
俺は首を横に振った。
次の瞬間──
ガチャンッッ!!!
教室の窓ガラスが外側から破砕された。
空調音を割くように、黒い影が次々と侵入してくる。
「!??」
動揺を隠しきれない二人を他所に、兵士の一人がゆるりと立ち上がり、にやりと口を開いた。
「えっとー……君が涼くん? だよね」
先頭の兵士が、ガスマスク越しに声をかける。嘲るような軽い口調。
「抵抗、しないでね。痛くはしないからさ………て、あれ?立ってるのもう一人いるじゃん」
その背後から、無線の音が漏れ聞こえる。
『やはり、ナノマシンに対する耐性を確認』
『アルファの効果は限定的。情報の信憑性は高い』
涼の義眼の視界に、情報ウィンドウが展開される。
〈目標数:5名〉
〈装備:低出力スタン、ワイヤー拘束、催眠装置〉
〈装甲レベル:中程度/動作性:高/視界:クリア〉
相手は五人。装備は全て非殺傷武器。俺を子どもだと侮ってる…?距離を詰めれば、あるいは……
……勝てるのか? 本当に?
武術の鍛錬なら訳もわからないまま常田さんと毎日してた。でも。
俺には実戦経験なんてない。──それでも、やるしかない!!
「クソッッ!」
意を決して踏み出そうとした、その瞬間だった。
「な、なんだ!??」
床に倒れていたはずの生徒たちが、よろよろと立ち上がり、無言で涼たちの前に立ち塞がる。
「おいおいおい、嘘だろ………操られてる?…のか?」
兵士たちの無線がまた響く。
「ご学友を“盾”にするなど……意地が悪いですね、隊長」
「その為に、アルファを使った。佐藤啓吾の系譜だとすれば当然。お前らも絶対に油断するなよ」
……逃げ場がない
俺一人なら窓から逃げられるかもしれない……でも、芽依が……
その時駆動を続けていた義眼が、視界の隅の壁面構造を、希望の道標のように次々と浮かび上がらせた。
ほんの一瞬、息を呑んだ。
──諦めるな。ここから出る手段は、まだある
そう、確信めいた思考が脳裏に走った。
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