???://ヴィジョン
「ナナシ、おめぇ、何してんだ?」
「…ぁ、、あ、私、ですか」
「あぁ、そうだよ、お前がナナシと呼べって言ったろ?」レイは語気を強くしてそう言う。私が苦手なのだろうか。やはり、この名前は「違う」のだ。本当の名前じゃあない。咄嗟に自分の名前だと判断できない。
「わ、わからないんです。何をすればいいのか…。何せ、記憶が、からっきしなものですから…」
「…正味記憶なんて要らないだろう。まっさらな状態のが幸せなこともあるだろ?」
記憶は果たして要らないのだろうか。だとしたら、あの管理人(?)が私たちに記憶を取り戻せなんて言うのだろうか。
そも、なぜ私たちに記憶がないことを前もって知っているような顔をするのか。まるであいつが私たちから記憶を奪い取ったような感じではないか。
「…私は、記憶を取り戻したいです。なんたって、きっとその記憶の中に、思い出したいものもあるでしょうから…」
「思い出したくねぇから忘れたんじゃねぇのか?」
「…それは、、その理論で言って仕舞えば、貴方もそういう事、ということになりますよ…?」
「そういう事だろうな。ま、俺はもう既に少し戻っちまったみたいだが…」
「戻った、と?」
「まぁ、そうだな」
彼は羽織ったスーツの内ポケットになにやら手を突っ込む。出てきた手に握られていたのは、形をとどめていない、刃物のようなものだった。取手のようなところが火で溶けたのか、奇妙な形で固まっていた。
「…これがよ、俺の起きた部屋の机に突き刺さってたんだ。コイツを持った瞬間「未完成の俺」爆誕さ。知らない状態なら「まっさら」なままで居れたのにな。
まぁいろいろ考えた末によ、お前には言っておいた方がいいと思ったんだ。全く何も解らない奴には特にね。」
「ど、どうして…」
「…ま、お前にもこういう記憶を取り戻すための引き金があるってことだ。どうやらこの館は、俺らの記憶に関する物で溢れているらしいな。ま、どれがどいつの記憶かは分からねぇが。ナナシ、お前の部屋にもなんか無ぇか?」
「部屋…、そういえば、まだ何も見ていませんでした」
改めて部屋を観察してみる。所々ひび割れていて、ぼろぼろの黄ばんだ白い壁紙で覆われた部屋だ。小さいベッドとチェスト、5段の大きな箪笥に蒼色のクローゼット。
そして、赤い花の模様が描かれた、白いローテーブル。テーブルには、小さい引き出しがひとつついていた。引き出しの中には小さな紙片が入っている以外、何もなかった。まぁ、そうだろう。こんな小さい引き出しなのだ、そんな大層なものは入っていないに決まっている。
「…なんかあったか?」
「……まぁ、はい、こんなものが」
「なんだよ、ただの紙ッ切れじゃねぇか」
レイは頭をガシガシと掻きむしりながら、部屋を出て行ってしまった。
と、右手から紙切れが滑り落ちていった。
流石にゴミを床に落としておくのは良くない。拾わないと…そう思ってしゃがんだ途端、頭の中に、あまりに鮮明すぎるヴィジョンが、濁流のように流れる。
鈍器で殴られたような痛みを伴い、同時に喉に胃液がこみ上げてきた。思わず体を丸めて、地べたに倒れ込んでしまった。
動悸が激しい。頭が、喉が、焼けるように痛い。何も理解できない。私は、私は……、わたしは、患者を救おうと…
それは、心電図の無機質な音が響く、病室だった。私の手は真っ赤に染まり、そこに寝ている人は口から赤い液体を流している。
これは、一体。
頭を再度殴られたように感じられた。今度は花瓶かなんかで。
視界が狭窄していく。