Ray//: 『Edge』
目が覚めて、1番初めに見たものがあまりにも鮮烈に脳に焼き付き、タトゥーのように痛く掘り込まれてしまった。
ナイフは、机上に突き刺さっていた。
付着した赤黒い何か。錆びてボロボロになった刃先。じゅわじゅわと泡立った形跡がある持ち手。その全てが何かを、全てで表現し、そこに鎮座している。
決して持とうとしたわけではない。ただ、思想とは反面に、俺の右手はそのナイフに手が伸びるのだ。ぼこぼこした感触。ナイフを引き抜き、同時に俺の口角は不気味に吊り上がる。
そう、俺はきっとこれで人を殺したのだ。
何人も、何十人も。
ナイフは依然右手に収まっている。柄の部分は溶けかかってボコボコしている筈なのに、気持ち悪いくらい右手に馴染んでいる。先程収集がかかった時はここに置いて行ったが、持っていなかった間はなかなか落ち着かなかった。
「…レイさん」
ふと、ドアが開き、白いワンピースに身を包んだ小柄な女性が部屋を覗いてきた。
「…なんだ」
確かこの人はソフィーと言ったか。ずっと浮かない顔をしているが、まあこんな変な所にいるのだ。仕方のないことかもしれない。現に、俺も未だにここにいる理由が全く分からない。
「いえ、この部屋には何があるのか、と。」
「…あるとしたらこのナイフくらいだぜ。ま、お嬢ちゃんには危険すぎるか。」
「そんなこと言わないでくださいよ。おそらくこの先、少しは一緒にいるのですから仲良くしましょう?」
「生憎こういう性格のみたいでな。
そんで、そっちには何かあったのか?」
「いいえ、特にめぼしいものは。」
「へぇ」
「聞いておきながら無愛想ですね。」
「…嫌なら出て行ったらどうだ?」
なかなか生意気な奴だ。
しかしまぁ、このナイフはもう何も切ることはできないだろうし、見逃してやろうか。
…ああ、きっとこういう軽いノリで俺は人を殺していたのだろう。
いや、しかし、今はまだ目を瞑っていよう。見えない方が幸せなことの方が多いだろう。
「そうだ」
ソフィーは、おもむろにそう言う。
「そういえば部屋にメモ帳があったのですよ。引き出しが二重底になってましてね。開けたら10冊も20冊も在ったのですよ。見にきません?」
「…興味ない」
「メモの中にあなたの名前が出ていましたよ。」
「"Rey"なんてありふれた名前だろう。
もう良いだろ。少し1人にさせてくれ」
「…そう」
なんとも変な奴だ。
しつこいのもあるが、あの何も知らないまま元気でいられるその心がとてもうざったくて許せない。
いや、数時間前までは、俺も「そう」だった筈。
脳みそで感じ、想い、そして考えることをしようとしなかった。
しかしそれは、この赤黒いナイフを持った時から瓦解していた。ナイフを持つこと即ち、俺の脳みその奥に居た記憶が雪崩のように流れ込み、思い出させたのだ。
つまりこのナイフは、記憶を呼び起こす「トリガー」と言って差し障りないだろう。
「…トリガー、、」
なんともエッジの効いた気持ちが悪い呼び方だ。
…なんとなくだが、俺がこの建物に居る理由が分かったかもしれない。
きっと、こういう「トリガー」を探すことが目的なのだろう。不自然に欠落した記憶を、虫に喰われて無くなってしまった記憶を、「トリガー」を見つけることによって思い出させるのだ。
おおよそ、自分にとって大切であろう記憶を。
…なぜ?
あの管理人は、なぜそれを俺たちにさせたいのだ?