幕間
その夕刻。
宵闇に沈む、町はずれの丘へ登る道を、黒い大きなリュックを肩にかけた男が歩いている。
紺色の、量販店でつるしで売られているタイプの安っぽいスーツを身に着け、足元は白に紺の線が入ったどこにでもありそうなスニーカー。
サラリーマンのようにも見えるがもう少し砕けたムードと言おうか、どこか学生っぽい雰囲気の男でもある。
男は丘の上にある小さな一軒家の前に立つと、鍵を開けて中へ入った。
「おかえり。順調そうだな、角野センセイ」
リビングダイニングのソファでくつろいでいたのは、男が『管理人』と呼んでいる美女だ。
「まあな、学校への潜入は初めてじゃないし。クラス担任を持つ教師はさすがに今回初めてだが、【eraser】になって以来、潜入ばっかりやってんだ。いい加減、演技力も磨かれるってもんだよ。これでも元理学部、高校の数学くらいなら教えられる基礎学力もあるし。……正直、国語や英語の先生役じゃなくて、ホッとしている部分はあるがな」
言いつつ男……角野ことスイは、小さな冷蔵庫を開けてペットボトルの緑茶を取り出し、キャップを開けて一気に半分ほど飲んだ。
かなりのどが渇いていたらしい。
「で。『眼科健診』の結果はまとまった? 養護教諭の音無センセイ?」
「ああ。【ゆらぎ】に聡い子は数人、いる。男女比はだいだい1:1だから、この辺りは一般的な傾向の地域だな。検査結果が突出している子は、男子一名女子一名……」
「男子は1-5の九条マドカ、だろ?」
彼はどこか倦んだ目でペットボトルの口を閉め、管理人の向かい側にあるソファに、だらしなく座る。
「そうだが。なんだ、ひょっとしてその子がお仲間だって、お前はわかったのか?」
「別にお仲間って決まった訳じゃねえだろ? むしろ逆の可能性もある。あの子は……多分、桁外れに目がいい。俺の存在を完全に怪しんでいるのは、校内であの子くらいなもんだろうし。それだけじゃなくて、ナンつーか、その怪しみ方に慣れみたいな雰囲気も感じられるんだよな。【ゆらぎ】を、ガキの頃からちょいちょい経験しているクチだろう。一応……タグを付けておいた。というか、自分でタグを見つけ出したくらいだから、相当の潜在能力を秘めてそうだ……敵に回ると厄介だな」
管理人は美しい笑み浮かべる。
「昔のお前みたいじゃないか。ほぼ決まりだな、多分彼がお前の相棒だ」
「だろうな~」
ソファの背もたれにぐったり身を預け、スイはため息まじりにそう答える。
「なんだ、早めに目星がついたんだ、もっと喜んだらどうだ?」
管理人の言葉に、スイは眉根を寄せる。
「いや、嬉しくなくはないよ、ないけどな。なんでヤローかなあ! 校内には【ゆらぎ】に聡そうな可愛い女の子が、いないでもないのによお」
「贅沢を言うな、このセクハラ教師が。教え子に手を出す気なのか?」
呆れ果てた、という目でこちらを見る管理人へ、スイは憮然と返す。
「別に手なんか出さねえよ、いわゆる観賞用。大体俺はなんちゃって教師なんだからさ、仮に手を出したとしても超法規的に許されるだろう? もちろんお互い同意の上ってのが前提だけど……」
「……なるほど。相棒が男の子で良かった。彼はよく見ると可愛い子だぞ、スイ。お前好みというか、大きなくりくりおめめで小さめの口で、やわらかそうな栗色がかった髪の少年にしては華奢な体躯。庇護欲をそそるタイプだろう? 問題は性別だけだが、そこは目をつぶれ。同性が相手なら妊娠の心配がないからな、面倒がない」
納得したようにうなずく管理人へ、スイはさらに顔をしかめる。
「おいこら。あんたヒトを色情狂扱いしてないか? 俺は、たとえ話をしているだけ、で……」
「そういうたとえ話が出てくるところが問題だ。気分転換に、どこかで抜いてくるか? 職業倫理上、この町では具合悪かろうから、もっと大きな町へ飛ばしてやってもいい……」
「やめろ、いらん気遣いだ。……もういい」