九条さんの心の中には⑤
低木の枝葉をわざとのようにガサガサさせ、突然、及川さんが前へ出た。
「スマン。俺だ。後をつけた訳じゃないけど、結果的に盗み見るみたいになって、謝る。ゴメン!」
「先輩!」
茉奈もあわてて出てゆく。
九条さんはあきれたような目で、及川と茉奈を交互に見た。
「……ヒトの好きずきだから、あんまり突っ込みたくないけど。お前らさ、デートするならアミューズメントパーク行けよ。面白半分で霊園に来て、リア充気分でイチャイチャするな。不謹慎だろ?」
「ち、違います!」
思わず赤面して茉奈が否定すると、
「違う。デートじゃない。これは取材なんだ」
と、及川さんは真顔できっぱりと言い切った。
「彼女、漫研の皐月さん。ウチのクラスの葛西さんが目をかけてる、期待の1年生。彼女が次に書く予定の漫画で、戦いに巻き込まれて亡くなったヒロインを主人公が偲ぶ、墓地のシーンがあるんだ。でもそのイメージがつかみ辛くて苦労してて。じゃあ俺が付き合うからって、一緒に取材に来たんだよ」
九条さんは微妙な顔で、しばらく及川さんを見ていたが。ある程度は納得してくれたのか、眼鏡をかけ直した。
「……やれやれ。戦闘態勢解除だ」
隣にいる茉奈に、ようやく聞き取れる程度の声で及川さんは呟く。
「あん?」
九条さんが及川さんが何か言ったのが気になったのか、もの問いたげに片方の眉を上げた。
「何でもない。邪魔して悪かった。今日は……お前の大事な知り合いの、命日だったな、そう言えば。お前がここに来たの見て、やっと思い出したよ。うっかりしていたとはいえ、悪かった」
(内容は嘘ながら)真摯に謝る及川さんの姿を見て、ああ、と九条さんは軽く目を伏せる。
「他人の知り合いの命日まで、覚えてる訳ないよ。むしろ、去年のことを覚えてたお前の記憶力にびっくりだ。あの時は世話になった、及川。改めて礼を言う。死に目には会えなかったけど、お前のお蔭で葬られる前の遺体とは対面できたからな。……いい死に顔だった。それを見られただけでも、ちょっとは気持ちが軽くなったよ」
ありがとう。
そう言い、彼は、少し照れくさそうに笑った。
漫研が発行している部誌の、新年号。
短い掌編ながらしみじみと『読ませる』作品がひとつ、ある。
『レクイエムを超えて』というタイトルのその作品は、ほとんど台詞のない、キャラクターの表情とコマ割りだけで話を進めるという、かなり難しい玄人じみた表現方法が取られていた。
ストーリーは以下の通り。
幼馴染の男の子と女の子。
男の子はオカリナが上手で、女の子は男の子の吹くオカリナに合わせて歌ったり踊ったりするのが好きだった。
しかし二人の住む村に魔女が現れ、村を滅ぼした上に女の子をさらっていった。
男の子は血に染まる故郷の川にオカリナを捨て、魔女を滅ぼす為に戦士になることを誓う。
やがて男の子はたくましい戦士へと成長し、艱難の果てに魔女を追い詰める。
しかし魔女は、なんと幼馴染の女の子の身体を依代に使っていた。
激しく悩み、苦しみながらも彼は、彼女の身体ごと魔女を滅ぼす。
魔女は滅んだが結果として彼女も殺してしまい、懊悩する彼へ、あの日、故郷の川へ捨てたはずのオカリナを差し出す彼女の霊。
震える手でオカリナを奏でる彼。
在りし日のように舞い、歌う彼女。
だが無情にも、やがて彼女が旅立つ時が来た。
『僕も連れて行ってくれないか?』
そう言う彼へ、彼女は首を振る。
『いいえ。あなたは生きて。遠いいつか、きっと迎えに来るから。その日まで、生きて』
『わかった。待ってる。……待ってるよ、大好きな君』
やわらかな光の中、交わされる約束。
そこで作品は終わっている。
「……すごいマナちん。なんか、一足飛びにレベルアップしてる~。うーん、嫉妬しそう」
満更お世辞でもなさそうに葛西会長は言う。
茉奈は曖昧に笑みを作った。
あの日。
霊園から帰った後、茉奈は狂ったようにネームを組み上げ、ほぼ徹夜でこの作品の下書きを描き上げた。
その後、冬休みいっぱいかけて作画と仕上げ……場合によっては破棄して一からやり直すなど、全身全霊でこの作品に打ち込んだ。
必死に描き上げてみたけれど。
これのせいで、かえって九条さんを苦しめることにならないかと、今になって茉奈は慄いていた。
別に九条さんを慰める為に描いたのではない。
そんな押しつけがましい気持ちはない。
でも。
この作品は茉奈なりの、九条さんへの思いの昇華というかケジメではある。
しかし彼にとってはどんな理由があっても鬱陶しいであろう可能性を思い至り、なんとなく食欲も失せる昨今だった。
「皐月さん」
ある日、クラブハウスの前で声をかけられた。
九条さんだ。
一気に緊張が高まる。
「漫研の部誌、見せてもらったよ。ペンネーム『MAYジャスミン』さんが皐月さんだって聞いたけど、すごい作品を描く人だったんだね、萩尾望都の昔の短編ぽい感じのお話じゃない? そりゃあ葛西さんも注目するし……、及川が追っかけもするよね」
「……は?」
葛西先輩はともかく急に及川さんの名前が出てきて、茉奈は目をしばたたく。
九条さんは眼鏡の奥の瞳をいたずらっ子のような感じにゆるめ、言った。
「じゃあね。あのヘタレには俺からはっぱかけておくよ。もちろんどうするのかはお姫様の気持ち次第だけど」
言うだけ言うと、彼は足早に自分の部室へ向かった。
意味のわからない部分はところどころあったが、九条さんを傷付けてはいなさそうだと思い、茉奈はホッとする。
その次に、なんだかさっきメチャクチャ褒められたんじゃない? と気付き、顔が熱くなった。
(は、萩尾望都ぉ? ……マジですか?)
そもそもの話、萩尾望都を知っていること自体、すごいかもしれない。
茉奈はふと、晴れた空を見上げた。
冴えた冬空へ、光の春はそろそろ近付いてきているようであった。