九条さんの心の中には④
「気持ちは嬉しいけど。ごめん」
今日、一人の女の子が玉砕した。
クラブハウスの陰。
住川さんと九条先輩だ。
ちょうど文化祭の日に、彼女が薮内達に絡まれていた位置だった。
風向きのせいか、さほど大きな声でもないのに茉奈の耳は、彼らの声を拾っていた。
その現場だって茉奈は別に、見たくて見た訳ではない。
茉奈がいつも座っている場所が、あの日、たまたま覗き込んだ場所に近かっただけである。
窓を細く開け、年明けすぐに発行する予定の部誌に乗せるイラストを、彼女は描いていたのだ。
室内には他にもチラホラ会員はいたが、皆ちょうど自分の作品に集中していたので、このことに気付いたのは茉奈だけのようだった。
住川さんが何を思って、ここで告白したのかわからない。
何故また、このあまり縁起のよろしくない(としか、茉奈には感じられない)場所で、わざわざ告白したのだろうか?
いかにも失敗しそうじゃん。
「九条先輩が私に興味がないこと、わかってます」
住川さんはふるふると肩を震わせ、言う。
「興味ないから……惹かれたのかもしれません。見た目だけで寄ってくる、怖い人達と先輩は違うから……」
困ったように彼は眉を寄せた。
「まず見た目で惹かれること自体は、全然アリな話だと俺は思うよ。きっかけは見た目でも、そこからお互いを知っていけばいいんだし」
彼女は首を振る。
「見た目で寄ってくる人は、私の見た目だけが好きな人が大半です。そういう人は私の中身なんか、どうでもいいんです」
「住川さん、それは……」
彼女はかたくなに首を振り、言った。
「慰めはいいです、先輩。少なくとも今まではそうでしたから。でも……」
ふふっと、虚しそうに彼女は笑う。
「どうして。好きな人からは好かれないのに、好きでも何でもない人は寄ってくるんでしょうね? なんだか……生きてるのが虚しくなってきます」
「そんなこと言うな!」
思いがけないほど強い口調なのに、住川さんはビクッとした。
彼はハッとした顔をして、ああごめんと謝ったが、続ける言葉には力がこもっていた。
「住川さんがそう思っちゃうこと自体は、なんとなくわからなくはないけど。でもね、それでも。たとえ居たかったとしてもこの世に居られなかった人に対して、その言葉はやっぱり、不遜だと俺は思う」
硬直している彼女へ、九条さんはすまなさそうな笑顔を作る。
「あ……ごめん、えらそうなこと言って。でも……俺の好きだった人はもう、世界のどこにもいないから。ちょっと、ムッとしちゃって」
「……先輩の恋人は。お、お亡くなりになったのですか?」
ささやきに近い声でそういう彼女へ、九条さんはやるせなさそうに首を振る。
「恋人じゃない。俺の、永遠の片思い。第一……どこにもいない人だし」
そう言って彼は、儚く笑んだ。
さすがに住川さんも、もう何も言えないようだった。
茉奈はため息を飲み込み、開けていた窓を静かに閉めた。
そして。
12月20日。
茉奈は朝早くから、『及川メモ』の情報にある霊園へ向かった。
幸い、今日は天気がいいし、吹く風も穏やかだ。
クリスマスが近いとも思えないくらい、暖かい。
いつまで待つかわからない身に、この気象条件は有り難い。
ただ……
(私、何やってるんだろう? 何がしたいんだろう?)
自分でもわからない。
ここで、亡き人を偲ぶ彼を見て、自分は一体どうするつもりなんだろう?
単に、あきらめるきっかけが欲しいだけ?
それとも。
今日ここで万が一、彼の気持ちにケジメがついたなら、自分がその空席を埋めるべく頑張る為なのか?
どちらも少しは当たっているけど、どちらも不正解な気がする。
どのくらい経っただろうか?
陽がずいぶん高くなって、なんとなく眠くなってきた頃だ。
「皐月さん」
と、急に呼びかけられ、茉奈は飛び上がる。
「どうぞ」
そう言って渡されたのは、温かい缶コーヒー。
目を上げると、『千田高のお助けキャラ』・及川さんがいた。
「え? 及川せんぱ……」
言葉の途中で、彼は口の前で人差し指を立てて『静かに』とささやいた。
「霊園の入り口に、ターゲットがいる。水を汲んでるみたいだから、その間にターゲットの目的地へ先回りしよう」
「えええ? 先輩、どうしてここへ……」
当然の茉奈の疑問に及川は、少し困ったような後ろめたそうな、微妙な感じに笑ってみせた。
「うーん。アフターケア、かな?」
(アフターケア?)
首をひねりつつも彼に促されるまま、茉奈は、霊園の奥へと進んでいった。
低木の茂みに腰をかがめて待つことしばし。
小さなバケツを手にした、地味なフリースのジャケットに黒のジーンズの九条さんが、小道をたどってきた。
そしてとあるモミジの木の前に立つと、備え付けの花瓶に持ってきた花を活けた。
しばらく彼は、ぼんやりシンボルツリーを見ていたが、ゆっくりした動作でジャケットのポケットを探り、鈍い銀色に光るライターと、てのひらくらいの大きさの箱を出した。
線香か何かかなと思っていたら、煙草だった。
どことなくぎこちなさは残るがそれなりに慣れた仕草で、箱から一本、紙巻を出してくわえ、銀色のライターで火を点けた。
似合うとまでは言わないがそれなりに様になった雰囲気で、彼は、煙を深く吸いながら、葉がほとんど落ちたモミジの木を見ていた。
紙巻を一本吸い終わると、もう片方のポケットから携帯灰皿を出し、吸殻をしまった。
そしてその一連の儀式のような喫煙が終わると、彼は何故か眼鏡を外し、真っ直ぐ、茉奈と及川が身をかがめている低木へ視線を向けた。
「そこで何してるの? 俺に、何か用?」
怒ってはいないものの機嫌が良いともいえない冷ややかな声が、冬晴れの、穏やかな昼の空気を切り裂くように響いた。