九条さんの心の中には③
「……なるほど。それは思った以上のレア情報だな」
及川さんが感に堪えたようにそう言うので、茉奈はハッとした。
「え? この話って及川先輩でも知らなかったんですか?」
確かにあの場にいたのは、薮内達以外では住川さんと九条先輩、茉奈だけ……に近い状態だった。
でも、九条さんと同じクラスで同じ同好会所属の上、校内一の情報通である『お助けキャラ』・及川さんが知らないとは、茉奈は微塵も思っていなかった。
「知らなかった。住川ちゃんが文化祭の後あたりから、妙~にウチの会長様を意識してるっぽいのは感じてたけど。でも、あの子は入会当時から九条ファンだったし。憧れがいつ恋心にシフトしてもおかしくなかったから、あんまり気にしてなかったんだよね。そりゃ……この状況なら、俺が女でも惚れそうだワ」
及川さんは苦笑いする。
「ずるいよなあ、アイツ。普段はボケっとしてるくせに、こういう時はとんでもなくクソ度胸すわってて、カッコいいのよな。マジでアイツ、どっかで修羅場くぐってきたのかもな~」
そして彼は、何だか寂しそうに笑みを作って茉奈を見た。
「……で。皐月さんもお間抜けさんの二枚目っぷりにギャップ萌えした?」
「あー、いえ。あ、そこもまあ、そう…なんですけど……」
茉奈はやや目を伏せ、口ごもる。
「この間のテスト前に、私、図書館の自習室へ行ったんですけどぉ……」
さすが定期テスト前、自習室は混んでいた。
運よく窓際が空いたので、茉奈はそこへ座った。
その窓はちょうど校門側に面していて、近くに、シンボルマーク的にそびえる大きな桜の木がある。
その桜の下に、何故か九条さんがいた。
なんだかつらそうな青い顔をして、巨木の幹に額をつける形でもたれかかっていた。
どうしたのだろう、体調でも悪いのかなと思って、茉奈はそのまま見ていた。
ややあって彼は、大きな息をついた後、ふらつきながら歩きだし……図書館へ入った。
そのまま自習室へ来ると彼は、適当な席について静かに筆記用具を出し、勉強を始めた。
そこだけ見れば、ちょっと体調が悪かったけど持ち直したので、予定通り勉強しにきたという感じだろう。ただ……。
「九条さんの顔が、泣いた後のように見えたんです……」
泣くほどつらいことがあるのに、いつも通りに試験勉強をする彼。
その瞬間、茉奈の胸は強く締め付けられ……ああ、自分は恋をしていると気が付いた。
気付いたけど、彼の心には入れそうもないというあきらめが同時に湧き上がり、ノートの字がかすんで見えなくなった。
「……あの人の心にはきっと誰かがいます、なんとなくわかるんです、私。その人とはどういう訳か、九条さんは結ばれないんだなってことも、私ではその人の代わりにならないってことも……わかります。でも、それほどまでにあの人の心を縛るのはどんな人なのか、私は知りたいんです」
ご存じないですか、及川先輩。
真っ直ぐにそう問う茉奈へ、及川は白衣のポケットからメモ用紙を取り出し、さらさらと書き出した。
「超特別なレア情報、渡すよ」
彼は言うと、いつになく真面目な顔になった。
「皐月さんの探している人と、同じかどうかはわからないけど。12月20日。ヤツは九割九分、ここへ行く。ヤツにとって多大な影響を与えた人が、若くして病気で亡くなった……命日、らしいから」
自室で、癖のある字で書かれたメモ用紙をぼんやり見つめ、茉奈はため息を吐いた。
及川の言葉が頭の中を何度も回る。
「去年の秋ごろ、その人の体調が急激に悪くなったそうなんだ。ちょうど今時分、九月の文化祭も中間テストも終わった頃だったな。元々アイツはべらべらしゃべるタイプの男じゃないけどさ、その一時期はメチャクチャ無口で、ちょっと……挙動不審っぽいくらい、落ち込んでた。しょっちゅう、見舞いに行くからって同好会も休みがちだったし。期末が終わって自由登校になった、去年の12月20日。アイツのスマホへ、メッセージで連絡が入った瞬間、顔から表情が抜け落ちた。普通の状態じゃないってさすがに俺でもわかった。声をかけ、アイツの口走る病院の名前を聞き、タクシー呼んでヤツを車に押し込んだ。ついていった方がいいのかどうか悩んだけど、なんてのか……他人は関わらない方がいい気がしてそのまま送り出したんだよ。そこから終業式まで、アイツはSNSでも無言を貫いていた。さすがに終業式には出てきたけどな、声もかけづらい雰囲気で……」
(……この件に関しては他言は控えてくれって、及川先輩に繰り返し言われたけど。他の子になんか、言える訳ないよ)
軽い気持ちで他人に話していいことではない、リアルにヒトの生死が関わっているのだから。
彼があの日、桜の下で泣いていたのは。
このメモに書かれた場所で眠る人と、おそらく関係があるだろう。
(……樹林墓地、か)
それが彼の恋する人かどうかまではわからないが、そこで眠る人が彼の心の深い部分を、大きく占めているのは確かだと感じる。
(他人が関わっていい、話じゃない)
メモを折りたたみ、茉奈は机の引き出しにしまった。
他人が関わっていい話じゃないと、自分に何度も言い聞かせながら。