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Darkness~やがてキュウになる  作者: かわかみれい
『やがてキュウ』・Side Story
72/77

角野英一のエピローグ

 あれから……どのくらい経ったのだろうか?

 そもそも今は、朝なのだろうか晩なのだろうか?


 うつらうつらとした半覚醒の状態で、角野英一はぼんやり思う。

 緩和ケア病棟へ移り、もう数日は経っている筈。

 痛みそのものは特にないが別に元気になる訳ではないし、とにかく眠い。


 半覚醒が覚醒になることは、もしかすると、もうないかもしれない。

 不意に思いつき、瞬間的に彼は焦る。が、


(……まあ、それならそれでもいいか。今更だよな)


 と思い直す。


 眠りが一段、急に深くなった。



 ふと気付くと彼は、若草の萌える土手に座って川の流れを見ていた。

 ああ、これは故郷の風景だ。

 陽射しのあたたかさ。川面の輝き。

 時折吹く風が、ハッとするほど鋭い。

 この感じは早春だなと、煙草を吸いながら英一は思う。


 故郷にいた頃は煙草なんか吸わなかったよなと、彼は意識の隅でぼんやり思う。

 なにしろまだ未成年だったし、人生に煙草が必要だとも感じなかった。

 煙を深く肺へ入れながら、小さく苦く笑う。

 思えばあの頃は、人生が単純だった。


 首周りがいやに暖かいと、英一は急に気付いた。

 触れてみると、柔らかな毛糸の感触がある。


 オフホワイトの細い純毛(ウール)で、丁寧に編まれたマフラー。

 クリスマスプレゼントとして、幸恵が編んでくれたものだ。

 英一にはよくわからないが、『表編みと裏編みを交互に編んで、市松模様のようにした』編み方……らしい。

 アルバイトで遅くまで外にいる英一を気遣って、せめて首周りが冷えないようにと、彼女は編んでくれたのだ。


(お返しに俺は、ちょっといいレストランで飯をおごったけど。高いのは無理だったとしても、何か……きれいな。ネックレスでもブローチでも、アクセサリーを贈れば良かったよな)


 そんなことにも気がまわらない、要するに子供(ガキ)だったのだ、当時の俺は。



 遠くから小さな声が聞こえてくる。

 英一は煙草を消し、立ち上がって声の方へ目をやる。


「英一く~ん!」


 声の主は幸恵だ。

 小さな紙を手に、転がるように駆けてくる。


「受かった、受かったよ~」


 頬を染め、一生懸命駆けてくる彼女。

 ああそうだ、今日は彼女、大学の合格発表があるんだった。


 これは決して来ることのない未来、切なくも儚い未来の夢を見ているのだと、知りながらも彼はほほ笑む。


「受かった、受かったよ! 私、4月から英一君と同じ大学に……」


 息を切らし、満面の笑みで近付いてきた彼女を、英一はやわらかく抱き留め、腕の中に包み込む。

 驚いたのだろう、腕の中で彼女の身体が硬直する。


「おめでとう。今まですごく、頑張っていたもんな」


 英一が言うと、彼女は恥ずかしそうにうなずき、ありがとうとつぶやいた。


「さっちゃん。急にこんなこと言ってあれだけど。今までもこれからも、俺はさっちゃんのことが大好きだよ」


 英一の顔のすぐ下にある、きちんと整えられた彼女の髪の上に、軽く唇を落とす。


「大好きだから……後は君が、選んでくれないか?」


 ゆっくりと彼女を腕から離し、英一は両方のてのひらで、彼の持つ最後の浄化の力を光の微小な四面体に変え、怪訝な顔で小首を傾げている彼女を、やわらかくそれで包み込んだ。



 次に風が吹いた時、若草の萌える土手には彼しかいなかった。


「おーい。【管理者・ゼロ】の『中の人』。いるんだろう?」


 吹く風へ向かい、英一は呼びかける。


「最後にいい夢をという親心は有り難いけど。……過保護すぎだよ、あんた」


 『【eraser】・スイ』の顔になり、彼は苦笑いする。


「他の【管理者】を知らないから、まあ何とも言えねえけどさ。場合によっては世界を消滅させる役目も担う【管理者】にしてはあんた、センチメンタルすぎるんじゃないか?……まあ。そこがあんたのいいところでもあるけど」


 風が一瞬強く吹き、英一の髪を乱した。


「俺は彼女に縛られていいけど。彼女は俺に、縛られる必要はない。もしあの世で彼女が俺を許してくれるのなら、俺は彼女と一緒にいたいけど。仮に彼女が、もはや俺の顔すら見たくないのなら。永遠に会えなくてもかまわないと、覚悟している」


 風が再び、強く吹いた。


「頼むから俺のそばにいてくれと、泣いて彼女にすがってもいいんだけど。彼女は頼まれると、断り切れない性格だからなあ。嫌でも我慢して、俺のそばにいてくれるかもしれない。……でもそれじゃあ、彼女は本当に幸せなんだろうかと、俺は今、思ってしまうんだ」


 だから、と英一は、春の陽射しの中でからりと笑う。


「逝く時は、ひとりで逝く」



 風がみたび、強く吹いた。

 この意地っ張りの愚か者が、という黄泉の女神の名を持つ人の声が、薄れゆく彼の意識の中、最後にやわらかく、耳へ響いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] うおおおおおおおおん!!!!(ブワッ)
[一言] 改めまして完結おめでとうございます! さっちゃんも救われてほしいなー、と思いながら読ませていただいていたので、ラストすごく良かったです!
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