せんせいのむかしばなし
訓練の合間――休憩時や食事の時間など――に、マドカはスイの昔話を聞く機会がちょいちょい、あった。
基本、彼はあまり昔のことを話したがらないが、その時の気分次第で思いがけない話をしてくれることもある。
これは、そんな時のエピソードのひとつだ。
「先生って、今までどんな職業の経験があるんですか?」
「リアルのアルバイト経験なら、高校時代、道路工事の日雇いの作業員にビルの清掃……手当たり次第、時間の許す限り色々とやったなあ。潜入に関してなら……」
「あ、いいですね♪潜入の話♪。後学のため是非♪教えて下さい!」
「潜入の話が君の後学になるのか? まあ……いい。まず一番最初は、大学生としてとある私立大学に潜入したな」
「お、ひょっとして『白い巨塔』的な争いがあって、その裏で【dark】が暴れまくっていたとか?」
「ははは、残念。教授陣に関しては、そりゃあそれなりにいがみ合いや対立はあっただろうけど、大したことはなかったみたいだな。【dark】が絡んでいたのは学生サイドでね、とある新興宗教団体が信者獲得のためにこっそり大学で活動していて……そこに【dark】が絡んでいたんだ。当時俺は、田舎から出てきた大人しい学生として潜入してね。アチラが声をかけてくるのを待って……、集会に参加して、浄化した」
「一番印象に残ってる潜入は何ですか?」
「うーん……ホストとしての潜入、かな」
「はあ? ほすと? ほすとってあの……ホストですか?『夜王』とかの世界の……あの?」
「そう、そのホストだ」
「……マジ? うそー! 先生がホスト? ははっ、似合わね~!!」
「なんだよ、笑うな。似合わないのは承知の上だ。だけどな、言い訳させてもらうけど当時の俺は21~22でまだ若かったし、最初はホストじゃなくてアルバイトの黒服としての潜入だったんだよ。でも、当時店でツートップの一人だった北斗さんっていうホストに気に入られてね。『アキラ』って源氏名で、彼のヘルプにつくようになって……北斗さんのお客は玄人筋のおねえさんが多かったせいか、スレてない感じがカワイイとか癒し系だとか言われて……」
「ぶふっ。ぎゃっはっは!」
「……この話はもうやめだ」
「わ、すみませんごめんなさい。その話、もっと聞かせてください!」
「ホストをやったということは……まま、枕営業、とかの機会も、あったんですか?」
「なんだその異様な食いつき方は(童貞め)。そりゃ、ああいう世界だからな。キワドイお誘いは確かにあった」
「で、美味しくいただいたんですか?」
さらに身を乗り出すようにそう問うマドカへ、ややあきれたようにスイは一瞥をくれ、煙草に火を点けた。
「阿呆。そんな訳あるか。どっちかというと、そういうのをサラッと上手くかわすのも仕事のうちだよ。俺の兄貴分の北斗さんは、枕営業に関して特に厳しくてね。新人がうかうかとお誘いに乗ったりしたら、マジで絞められるからな。ホストとは思えないくらい、けっこうな武闘派だったし」
「武闘派のホスト……そ、そうなんですね(いるんだそんな人も。怖っ)」
「潜入期間中に、仕事とは関係ないところで女の子と知り合ったことはあるけど。基本、俺は深入り出来ない立場だからな。期間限定で潜入している身だ、そういう男は相手に責任取れないだろう?」
「あ……ですね、確かに」
そこに思い至り、マドカは目を伏せる。
継続的な人間関係が築けない立場というのは、なかなか虚しいかもしれないなと改めて彼は思った。
「ワンナイトラブ的な出会いが皆無だったとまでは、さすがに言わないけど。俺は元々、恋愛に関して器用な方じゃない。そういうのは後でメンタルにクるから出来るだけ避けてきた。君が聞いて面白い、あるいはそれこそ『後学』になる、エロ話や恋バナはないよ」
短くなった紙巻を携帯灰皿へ入れると、スイは立ち上がった。
「さ、休憩終わり」
「……はい」
『【eraser】・スイ』は結局、田舎の生真面目な優等生・『角野英一』なのだ。
小粋な恋の狩人とはいかないらしい。
仮に……マドカが彼の立場だったとすると。
きっと同じように生きただろう。
自分が出来ないからこそ先輩に期待した部分もあったのだが。
現実は、そうそうフィクションのようにはいかないものらしい。
なんだか……、ちょっと切ない。