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エピローグ~あなたは確かにそこにいた②

 それからしばらくは、後から考えると楽しかったかもしれない。


 彼女が消えた後にリビングへ行ってみると、言われた通りそれなりの厚みがあるA4サイズの冊子があった。

 【home】で今後、使える機能と使えなくなる機能について。

 【home】を含めた『丘』の管理について。

 また、角野英一の、現実リアルにおける戸籍等の準備は済んでいるので、それを起動する方法なども書かれていた。


 ふたりでわいわい言いながらそれらを確認し、今後の方針を決めてゆく。

 結果、スイはしばらく【home】に住み、自活の訓練がてら【home】の管理をすることになった。

 ……しかし。

 彼は家事がまったく一切、本当に、出来ないことがすぐわかった。

 それこそ、これまで炊飯器でご飯を炊いたこともなければお茶ひとつ入れたこともない。

 洗濯機で洗濯したことも、掃除機で掃除をしたことも。

 何もかも一切合切、経験自体ろくにない……のだった。


 そもそも【home】には自浄機能があるので何もしなくてもある程度は清潔が保たれるが、【管理者・ゼロ】が不在の【home】に完全な自浄機能はない。

 住人か管理人がいて、ある程度以上の管理をしないと現実の家ほどではないものの、だんだん傷んでくる。

 だからしばらくはスイが【home】に住んで管理することになったのだが……管理以前の問題が次々と、一週間ほどで発生してきた。

 むしろ、スイが【home】で住む方が家が傷むのでは?と言いたくなるくらいだ。


 スイは今まで、様々な職業に就いてきた『潜入』の経験上、限定的な技術や知識は妙にあるが、普通の人が普通に知っていたり出来たりするであろうこまごまとした日常的な家事分野の技術や知識は、ほぼ空白だった。


「先生……このレベルだと現実リアルだったら一人暮らし、ほぼほぼ無理だと思いますよ」


 ため息まじりに円が言うと、スイは愕然としていた。

 円だって決して家事能力が高い訳ではないが、スイの場合は高い低い以前、『ない』のだからどうしようもない。

 放課後あるいは休日、時間を見つけて円は、スイに家事の指南をする。

 そのお返しにとスイは、数学や物理を教えてくれるようになり……期末の成績が大幅アップしたのは、また別の話である。



 夏を過ぎ、こおろぎの鳴き声が大合唱になった頃。

 スイは倒れた。



 円が付き添って病院へ連れて行き、紹介状を手に大きな病院へ行って検査をし、結果彼の全身に癌が見つかった。

 緊急入院になり……怒涛のあれこれの果て。

 現在に至る。




「九条君」


 少し息切れしながら彼は言う。


「実は近いうち、緩和ケア病棟へ移ることになった」


 いつかくる話だとは思っていたが、いよいよかとマドカは息を呑む。


「今までだって似たようなものだったけど。身体の痛みを失くす方向へ、完全に舵を切ることになる。君にはものすごく世話になってしまったね。改めて礼を言うよ、本当にありがとう」


「いえ……」


 それ以上、言葉は出なかった。


 スイは少し困ったような感じでゆるっと笑った。

 もともとやせ気味だったのにさらにやせ、顔もひとまわり小さくなってしまった彼だが、ほほ笑む顔は晴れ晴れとしていて、なんだか遠足を待つ少年のようでもあった。


「九条君。【Darkness】との最後の闘いのこと、もちろん覚えているよね?」


「え?……あ、はい。もちろん」


 急にそんな話が出てきて、円は内心首をひねる。


「あの後。【home】が大変になってしまったから、ずっと言えずにきたんだけど。この闘いが終わってもう一度君に会えたら、君に、こんな風に礼を言おうと思っていたんだ」


 そこでふと、彼は頬を引いた。


「『君は最高の相棒であり、最高の【eraser】で……最初で最後、そして最高の、本当の意味での俺の教え子。

 君と出会えた幸運を、人生で一番感謝している』と……」。


 一瞬、彼の目が潤んだ。


「その気持ちは今も変わらないし、むしろ君は、俺の教え子というより恩師なのかもしれないとも最近、思うようになってきたくらいだ。俺は……いろいろと間違いや遠回りをしてもたもたと生きてきたけど。君と出会えたことで、そのすべてが無駄ではなかったのだと、人生の終わりに思えるようになった。……ありがとう」



 それ以上、円は耐えられなくなった。

 唇を噛みしめ、うつむいて涙を呑むことしかできなかった。

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