7 やがてキュウになる⑫
「……は?」
意味がわからない、という顔をする彼女。
数十年の時を経て告げられた、間の抜けた愛の告白。
「聞き流してくれてかまわない。これは、所詮俺の自己満足にすぎないからね。でも、このまま黙って墓まで持って行っても腐るだけだ。笑われようが莫迦にされようが、言わずに逝くのは……ごめん本当に自分勝手だよな、言わずに逝くのはすっきりしないんだよ。せめて風に曝して、風化するままに消したくなったんだ」
はにかんだような困ったような、どことなく眩しそうな顔で男は言った。
少年じみた表情でもあった。
「君が好きだ。十二歳の頃、椿の花の色に気付いた時から、君はたった一人の、俺の特別な人なんだよ。君の不幸せに長い間気付かなくて、本当にごめん。気付いてもちゃんと対処できなくて、本当にごめん。この言葉を、君が生きていた時にちゃんと言えなくて……本当に本当に、ごめん。申し訳なかった」
深く頭を下げる男を、彼女はぼんやりと見ていた。
「それが君の望みなら。俺を食らってくれてかまわない。もうすでに抜け殻というか搾りかすというか、力らしい力なんかない本物のロートルだろうけど。それでも……それで君の気が済むなら。なぶり殺して、食らってくれ」
「……は?」
意味がわからない、という顔をする彼女。
騙されていたと知っている今、真面目に愛を告げる少年の顔を、彼女は珍しいもののようにまじまじと見つめる。
少年は照れくさそうに目許だけで笑んだ。
「莫迦みたい、って言われるでしょうけど。俺があなたに惹かれた一番の理由はきっと、あなたの、その過剰なまでの真っ直ぐさだったと思うんです」
少年はやや後ろめたそうに、軽く目を伏せた。
「そりゃ……ビジュアル含め、それこそあなたの整えたパラメーターのあれこれも、決して影響は小さくないですよ? ……でも。それでも。俺が好きな『さっちゃん先輩』の一番の魅力は。胸が締め付けられるほどいじらしい、真っ直ぐさなんです。思わずかばいたくなるような、もっと気を抜いたらいいのにとやきもきするような、それこそ引き絞った弓の弦みたいなギリギリの感じが……俺の心を、奪ったんです」
少年は軽く赤面して一瞬目を伏せたが、思い切ったように愛しい人へ目を合わせる。
「あなたにとって俺は、単なる攻略対象者だったでしょうけど。俺にとってあなたは、初恋なんです」
「……莫迦じゃないの?」
今更愛の言葉を告げ、今更献身を捧げる覚悟を示す男に、彼女はあきれるしかなかった。
「ああ。救いようのない大莫迦野郎だ」
そして彼は突然、その場に胡坐をかいて座った。
「許されるとは思っていない。許す必要もない。ただ俺の処遇は君に任せよう。……【eraser】としてはどうかとも思うけど、もし君が本気で世界の破滅を願うなら、それこそが君の望みなら。好きなようにしても良いと俺は思う。もちろん、俺がそう思う、だけだがな」
男は嫌になるくらい真っ直ぐ、彼女を見て言った。
「君の心、君の苦しみ哀しみにきちんと向き合わず、すまなかった」
「……莫迦じゃないの?」
『攻略対象者』とまで言われながらも自分を初恋だと言い切る少年に、彼女はあきれるしかなかった。
「そうですね、我ながら大莫迦者だと思います」
少年は静かにそう言うと、困ったような顔で笑った。
「でも……、好きですから」
「……やめてよ」
今更すぎる、遅すぎる愛の言葉。
騙されていると知った上での愛の告白。
男たちの身勝手さに、彼女の心は乱れる。
「私のことなんか、私のことなんか、何もわかっていないくせに!」
「その通りだな」
「その通りですね」
二人の男が、ほぼ同じことを言う。
「「でも、俺が」」
「君を」
「あなたを」
「「愛しいと思う気持ちに、嘘偽りはない」」
次元のはざまで【管理者・ゼロ】は、変化に気付く。
身体がどれくらい保つかわからないが、最後の最後までこの闘いを見守るつもりで、彼女は『原点』であり続けていた。
膨張する【Darkness】の活動が、ほんの少し、陰りを見せ始めた。
狂ったように【Darkness】の中を駆け巡り、片っ端から浄化している白銀の光のスパークが、柔らかな色合いになったようにも見える。
(……これ、は!)
【秩序】の世界にはひとつの仮説がある。
【eraser】には判明している限り、3つのタイプがある。
円・波・錘。
だが、異なるタイプの【eraser】がひとつのチームとなり、その能力を本当の意味で発揮できた時。
新しいタイプの浄化が実施されるであろう。
点は線に、線は面に、面は広がりあらゆるものを包み込んで……やがて、キュウになる。
キュウは球形の『球』にして究極の『究』。
もしかすると救済の『救』ですらあるのかもしれない、と。
(それを念頭に私は、死に急ぎたがる角野英一を引き留める為に、究極の浄化……点や線や面での浄化ではなく、すべてを包み込む、本当の意味での立体的な浄化、すなわち究極の浄化の可能性を示唆し続けていたが……)
顕現の可能性は、極めて低い、と。
有体に言って皆無、だと。
内心、そう思っていた。
しかし!
(やがて、キュウになった、のか? ……まったく。とんでもない子供たちだ)
泣き笑いのような感覚でそう思った瞬間。
無理を維持し続けた彼女の身体のどこかに、大きく亀裂が走る、鋭い音がした。
(あと少しだけでいい、保ってくれ! 私の身体!)