幕間 Ⅱ
九条マドカが帰宅した。
【home】のリビングで、何やら難しい顔をしたスイがソファに座っている。
「どうした、スイ。ずいぶんと険しい顔をして」
「……管理人」
ため息を吐くような感じでそう言うと、彼は、何かをごまかすように煙草を取り出し、火を点けた。
「あの子は……いい子だな」
煙と共に彼は、半ば独り言のようにそう呟いた。
「そうだな。真っすぐで一生懸命、【eraser】としての能力も高い。あの子なら、その気になればこの町全体をゆるく覆うくらいの浄化の円陣を敷けるだろう。将来が楽しみな子だ」
「そんな子を、アチラへ連れて行くなんて……」
「今更何を言ってる、『角野英一』」
冷たい声でそう言った彼女の顔を、驚いたように男は見上げる。
「逃げるな、『角野英一』から。『角野英一』を盾に、現実からも逃げるな」
絶句する男の顔を、黄泉の女神の名を戴く彼女は冷ややかに見下ろす。
「お前は何故、【Darkness】の浄化を悲願にしている? 一番の本音は、【dark】になるしかなかった悲しい女の子と、無理心中したいだけなのか?」
「おれ、は……」
若干泳ぐ男の瞳を、女神は許さない。
「よく考えろ『角野英一』。愛する女と共に死ぬ夢を見ることまでは、私も干渉しない。私にはよくわからないが、それもまたひとつの形だろうからな。だが……」
言葉を切り、黄泉の女神にして国生みの母は、少しだけ優しく笑む。
「彼女が本当に欲したのは。お前の命、なのか?」
「え?」
虚を突かれたように声をもらす男へ、憐れむように彼女は、目許だけで苦笑した。
「お前と彼女が本気で殺し合う。それもまあ、コミュニケーションではあろうよ。その形でしか解消できない、こじれ切った感情もあるだろう。基本的には好きにすればいいと、私は思う。エン……九条君は違う意見のような気はするが。あの子は若く、希望を捨てきっていないからな」
女神はふと表情を消して踵を返し……何を思ったのか、立ち止まって振り返った。
「あの子の命が心配だから連れて行かない、とは言うな。これは【管理者・ゼロ】としての命令だ。彼がどれほど得難い、鉄壁に近い防御の陣を敷ける比類のない【eraser】か、お前も理解しているのだろう? 彼の身の上を心配するふりをして、自分だけで心置きなく自殺しようなどという、甘えた態度はいただけないな。ジジイを自称するなら、いつまでもセンチメンタルな甘ちゃんでいるな。選ぶのなら冷静に、成功の確率が格段に上がる道を選べ。……心配するな。私とてあの子を、むざむざ死なせはしない」
ずいぶん長く、彼はその場にいた。
紙巻が灰になり、もはやその灰すら冷たくなって久しい頃に、ようやく彼は身じろいだ。
「ハハハ」
やるせないような、でもどこかすっきりしたような、不思議な笑声が彼の口からもれる。
「やれやれ。女神様はすべてお見通しでございますか」
なんとなく涙がにじんでくるが、意味がわからない。
「あの人に『角野英一』呼びされたの、何十年ぶりだ? すさまじい、インパクトだな。一瞬、頭が真っ白になったよ、マジで」
思いつき、彼は紙巻に火を点けた。
一、二度、深く煙を吸い、彼は心でひとりごちる。
(わかった。わかったよ女神様。さすがにもう、甘ったれた迷い方はしない。俺が出来る最善を、相棒と一緒に尽くす。【eraser】・スイとして出来る最善の闘いを……彼にも見てもらおう)