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5 サチエとエチサ⑥

「なんだお前、その恰好は。外へ行くつもりか? 悪いことは言わないからやめておけ。外出先で倒れでもしたら厄介だ」


 思いがけない彼の姿に絶句していたマドカ越しに、キョウコさん(と呼ぶことに決めた怖い?おねえさま)はずけずけと言う。

 しかしスイは首を振る。


「いや、別に外出するつもりでこんな格好をしてるんじゃない。これは……言うなれば精神のコルセットというか、一種のペルソナ、だ」


 不思議なことを言いながら、彼は苦く笑う。


「剥き出しの『角野エイイチ』では、肝心なことを伝える前に体調を悪化させると、さっき嫌というほど実感したからな。これから先、下手したら……半分も話さないうちに失神するかもしれない」


 真顔で、何だか怖いことをスイは言う。

 今までの話でも十分きつかったが、もっときつい話が残っているのだろうかと、マドカは慄く。


「中身が変わる訳ではないが。外側(ガワ)だけでも『数学教師で一年五組担任・角野教諭』に寄せれば。少なくとも最後まで九条君に、話は出来るかもしれないと思って。くだらないおまじないみたいなものだが、それなりに必死に準備した」


「……わかった」


 ため息まじりにキョウコさんは言い、予備のティーカップへ白湯を注ぎ、彼に座るよう身振りで伝えた。



 再び彼は、失礼するよと断ってマドカの隣に座った。

 顔色は相変わらず良くないが、表情には落ち着きが見える。


(……ペルソナって言ってたけど)


 礼儀正しく、生真面目。

 いかにも学校の先生に相応しいこの性格が、もしかすると彼の素ではないかと、マドカはふと思った。


「済まないね、九条君。愚か者のくだらない昔話だが、好むと好まざるとにかかわらず、君にも多少は関わりが出来てしまった話でもある。もう少しだけ、付き合ってほしい」


 マドカの方へ向き、真摯に彼は言った。



 本音を言うなら聞きたくない。

 スイの話は基本的に、もはやどうにもならない、ただただ辛いだけの思い出話だ。


(……でも)


 彼が、あの永遠の夕映えの中で『エチサ』と呼んでいた【dark】こそが、彼の初恋の少女の『もう一つの人格』だろう予想はつく。

 『エチサ』……『サチエ』をさかさまから読んだ名前。

 『サチエ』の裏人格だということが、あからさまに示されている。


 彼女が魂ごと【dark】になってしまう経緯を知らなければ、おそらく、マドカの恋心が弄ばれた経緯もよくわからないまま。

 『毒を食らわば皿まで』、あるいは『乗り掛かった舟』。

 マドカ自身がやけになっている部分も、もしかしたらあるかもしれない。

 ……でも。


「わかりました。お聞きします」


 マドカなりに真摯に真面目に、そう答えた。

 こわばっていたスイの頬が、ようやく少し、ゆるむ。

 

「……感謝する」



 まず彼は煙草に火を点け、一、二度深く吸った。

 そしてティーカップの白湯に口を付け、覚悟を決めたように口を開いた。


「彼女が、解離性同一性障害を患ってしまっていたことまでは話したと思う。それを俺は、長く気付かなかったことも。場合によると……愚か者の俺は、ずっと気付かずにいた可能性もあった」


 抑えた口調でスイは、ゆっくり語り始めた。



 彼女が、スイの通う高校へ合格したとわかった三月下旬のある日。

 本家のセイヤが突然、スイに声をかけてきた。

 意味ありげにニヤニヤしながら


『サチエの入学祝いをするからお前も来い。来たら面白いものが見られる』


 という内容のことをセイヤは言う。

 スイとしては、なんだかとても嫌な予感がしたし、セイヤと関わりあいになるのは冠婚葬祭だけでもお釣りがくる気分だったが。

 『サチエの入学祝い』、に引っ掛かった。

 この男が、自分より下に見ている従妹を素直に祝ってやるような優しい性格でないことくらい、彼もよく知っている。


 セイヤは当時大学生。

 パッとしない近くの私立大学に通ってはいるが、遊びほうけていてろくに勉強していない、下手をすると留年するのではという噂も聞く。

 そのせいで父親との折り合いが悪い、とも。

 そんな男が『サチエの入学祝い』……悪い予感しかない。

 しぶしぶ、セイヤが自室として使っている安住の屋敷の敷地内にある離れへ、約束の時間になると向かった。

 そして。



 スイが出し抜けに、手にある火の点いた紙巻を握りしめたのには、マドカもキョウコさんもぎょっとした。

 ジュ、という音と同時に、肉が焦げるにおいがマドカの鼻腔を鋭く刺す。


「スイ! 莫迦者、煙草から手を離せ!」


 キョウコさんが声を張るが、彼は、熱さも痛みも感じていないのか、表情ひとつ変えない。


「情事……それを情事と呼ぶかどうかは知らないが。それに、確かにそれはセイヤからの一方的な営みであったが。互いが慣れた雰囲気であるのは……当時童貞だった俺さえわかる、そういうものを……、俺は、見せつけられた!」

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