5 サチエとエチサ③
スイは半分ほど吸った紙巻を、持参してきた携帯灰皿へ入れた。
煙草の後始末は自分でしろと、『管理人』に厳命されているのかな、と、マドカは暢気なことをちらりと思う。
スイの醸し出す空気があまりにもシリアスで、そんな馬鹿っぽいことを頭の隅で考えでもしていないと、彼の気分――今にも吐きそうなほど思い詰めた感覚――に同調し、マドカ自身が吐きそうになる。
スイは話し始めた。
「『安住サチエ』――君が出会った安住さんじゃなく、俺とかかわりのある彼女は。血縁でいうなら『はとこ』にあたるんだろうな。俺の母と彼女の母親が、従姉妹同士になる。年齢差は二歳。ただ、彼女はいわゆる早生まれだったから、学年はひとつ下だった」
彼はそこでひとつ、大きく息をついた。
「都会じゃ『はとこ』の存在なんかほとんど他人だろうが、俺が生まれ育ったのは結構な田舎でね。地縁血縁のしがらみが濃いというか、時代錯誤的な因習が現役感覚で残ってて風通しが悪いっていうか。例えば、本家で法事があれば一族郎党皆顔を出す、みたいな風潮がある町だったんだ……」
訥々とスイは語る。
自分の生まれた家は『安住の分家筋』であったが、父親は『余所者の勤め人』――つまり地の者ではなく、よその土地から移り住んだ家の子で、地元の企業に勤めるサラリーマンだったこと。
そういう者は、さすがに大昔ほどあからさまではないが、土地持ちの地元民から一段低い扱いを受けること。
安住サチエの母親は本家当主の娘ではあったが、結婚に失敗し乳飲み子のサチエを連れて出戻ってきて、本家の屋敷で居候の状態だったこと。
そんな具合だったので、親戚の子供たちの中でスイ――角野エイイチ少年とサチエは、軽く疎外されている雰囲気だったこと。
(特にサチエは母親が少々だらしなかったのもあり、親戚中から風当たりが強くて肩身がせまそうだった)
だが、ごく幼い頃は特別、彼女とかかわりがあった訳ではない。
いるのかいないのかわからないくらい大人しい女児だったサチエに、エイイチ少年は興味を持たなかった。
母親同士も、従姉妹ではあったがさほど仲が良かった訳ではないから、お互いに『よくわからないが、親戚の子』くらいにしか思っていなかったのだ。
それが変わってきたのは『安住』の本家での、先代当主――彼女の祖父に当たる人物――の一周忌だった。
「……【eraser】になる者のさだめである【ゆらぎ】への【聡さ】。ご多分に漏れずガキの俺にも発揮されていた。ヒトの思惑が必要以上に交錯する、田舎の方の冠婚葬祭時にはささやかな【ゆらぎ】が起こりやすい。当時俺は十二だった。時々起こる『変なこと』に、否応なしに慣れ始めていた頃だった」
スイは新しい紙巻に火を点け、【管理者・ゼロ】が入れてくれた紅茶――ではなく、紅茶は胃に負担だと断った彼用には、ティーカップに入れた白湯だった――を口にする。
「その時起きた『変なこと』は、庭の椿の花の色だった。見事な白椿の木が一本、屋敷の庭の隅にあったんだが……いつの間にか、白に赤の斑入りの花になっていた。ああ、今回は花の色が変わるのかと思ってぼんやりそれを見ていると。愕然とした顔で椿を凝視している、サチエに気付いた。どうしたんだと訊いたら彼女は、『椿の花が、白椿だったのに』と、うわ言みたいに言うんだ。『白くてきれいで、好きだったのに』って」
「え?」
マドカが思わず声を出すと、スイは淡く苦笑した。
「つまり、彼女も【ゆらぎ】に聡かった、という訳だ。もちろん当時の俺は【ゆらぎ】なんて概念は知らないけどな。この、言っても首を傾げられたり笑われたり……場合によっては叱られる『変なこと』が、物心がつく頃から鬱陶しかったんだが、言っても誰にもわかってもらえないことは否応なく理解していた。だから見て見ぬふりをしてやり過ごすことを覚えた。誰ともこの『変なこと』は共有できないと思っていたのに。いつも部屋の隅で小さくなっている、大人しい『親戚の子』とは……共有、できることがわかったんだ」
そこでスイは大きく息をつき、軽く背もたれに寄りかかった。
生白い彼の額に、うっすらと汗がにじんでいる。
「その時から、彼女は俺にとって特別になった。おそらく彼女にとってもそうだったろう。お互い世界でただ一人の、『変なこと』を共有できる者なんだ。それは割とすぐ……恋愛感情に横滑りした」
「じゃ、彼女は先生の初カノ……」
マドカの言葉に、スイは首を横に振る。
「いや。実際のところは親戚以上恋人未満、だった、ずっと。俺は要するに、自意識過剰なヘタレでもあったから……自分で自分の気持ちから、目をそむけ続けていたんだ。妹みたいな親戚、というスタンスで、ずっと彼女に接してきた。……彼女がその裏で、大変な目に遭っていたというのに。俺は……長い間。まったく気付かずにいたんだ」