4 エン・顕現Ⅱ④
スイに首根っこをつかんで引きずられ、マドカが連れてこられたのは玄関。
靴を履く暇もなく(というか、スイも裸足だ)、そのまま強引に外へ引っ張り出される。
(くそお、この馬鹿力のおっさんめ! 戦闘民族め!)
確かに180㎝ほど身長のありそうなスイに比べれば、マドカは華奢かもしれない(身長も160㎝ほどだし)が、別にヒョロヒョロな訳でもない。
見かけよりは、そこそこ筋肉だって付いている(多分)!
少なくとも、理数同好会のヒガシ先輩には勝てる(多分)!
このおっさんが並より腕力があるだけなんだ(多分)!
玄関を開けた先には、短く刈った柔らかな芝生の庭が広がっていた。
太陽の位置が、思いがけなく高い。
スイはマドカのカッターシャツの襟元から手を離し、向き直った。
よれたシャツにスラックス、だらしなく結ばれたネクタイに足元は裸足という、どこからどう見ても不審者スタイルのくせに、妙な貫禄がある。
何故かはっきりわからないが、マドカはうっすら苛立ちを覚えた。
スイは口を開く。
「ちなみに。現実サイドの現在時刻は午後四時十七分。君が目を覚ましたのは、多分四時十分を過ぎたくらいだろう。……部活の時間はまだまだたっぷりある。今から顧問の角野先生がみっちり指導するので、ありがたく訓練に励みたまえ」
「へ? はいい?……ちょちょちょ、センセ。それおかしいでしょ! あのそーだいなお話を色々聞いてた時間、体感的に二時間はあったような……」
「あー、そうだろうな。俺もそう思う」
こともなげに肯定され、マドカは混乱する。
「えー! ならその時刻おかし……」
「残念ながらおかしくない。【home】は現実の因果律から、ある程度は自由なんだ。時間に関しては、最大60倍……アチラの1分がコチラの1時間に相当するよう、調整できるのだそうだ」
「はああ? 無茶苦茶じゃないですか! いったいどんな理屈で……」
「その辺は詮索するな。俺も昔、色々と仮説を立てて考えたが、満足のいく理論は思い浮かばなかった。そーゆーもんだと受け入れるしかない」
ふっと、スイの表情に虚しさに似た諦めが浮かんだ。が、次の瞬間、彼の片頬にやや嗜虐的な笑みが閃く。
途端に、表情から諦観の虚無が消え去る。
「つまり。部活の時間はまだまだ、腐るほどある訳だな。じっくりとやっていこうか、新人君」
(……ヒー! 殺されるー!)
圧倒的に強い敵に弄ばれ、冒頭でサクッと死ぬ可哀相なモブキャラの気持ちが、マドカは今、痛いほどわかる。
「おいおい……そんな、今にも死にそうな顔をするなよ。肩の力を抜け。……うーん、まあその程度でいいか。追い追い慣れてくるだろう。よし、まずはウォーミングアップだ。浄化の力を出してみようか?」
「無理です!」
「無理なことあるか。『来るな、このボケ』とでもいう気分で、寄るものすべてを薙ぎ払うつもりで……あー。うーん。あー? 無理、か? ……俺はタイプ・円の【eraser】じゃないからな~。思った以上に、的確な指導は難しいもんだな」
「……えーと。質問、いいっすか?」
難しい顔でぶつぶつ言い始めたスイへ、マドカはおずおずと手をあげる。
「その。タイプ・円って、そもそも何です?」
「そこからか!」
スイは一瞬、愕然としたが、すぐに思い直した様子だ。
「あー、そりゃまあ、そうだよな。……よし、簡単に説明しよう。【eraser】と一口に言うが、実は有り様はそれぞれ違っている。君はタイプ・円に分類される能力者だそうだ。多少語弊はあるが、攻撃よりも防御を得意とするタイプになるだろうな。サブカル的というかエンタメ的というか、そんな感じでふわっと説明するなら、結界タイプの浄化の陣を生み出す能力者……というところかな」
「……はあ」
どんな厨ニだ。
とても自分のこととは思えない。
スイの説明は続く。
「また、君に似ていてちょっと違うのが、タイプ・波。これは人間に顕現するより、聖域と呼ばれる場所や、時を経た大樹などに現れやすい。
緩やかで連続的な、微弱な浄化の波動を生み出し、場所全体、もしくは個体周辺の浄化能力を上げるタイプの【eraser】だ。
積極的に【dark】を浄化させるというよりも、周囲各々の自浄能力を高め、結果的に穏やかに浄化へ導く感じだな。やや乱暴にたとえるのなら、タイプ・波の【eraser】は、数直線上のゼロ……という感触を個人的に持っている」
スイが急に数学教師らしいたとえをしてきて、マドカは目を白黒させる。
と同時に、意味がとらえきれず小首を傾げる。
数直線上のゼロ??
要するに正でも負でもない数、正負の中心。
ゼロに何をかけても割っても、解はゼロ。
そういうことなのかな? ……うーん? わかるようなわからないような?
いやわからん。
「そして……」
不意にスイの身体から、ぶわりと陽炎に似た何かが揺らめき立つ。
「タイプ・錘。あえて言うなら攻撃を得意とする【eraser】で、俺がそれに当たる」
彼は右手を胸の辺りまで上げ、てのひらを上に向けた。
白っぽい、どんぐりほどの何か角ばったモノが三つほど、現れた。
【dark】の領域で見かけた正四面体とよく似ている。
「力を錘体に変え、それをぶつけることでやや強引に【dark】を浄化させるのが、タイプ・錘の能力になる。【eraser】としてはニューカマーで、今のところこのタイプが顕現するのは稀らしい。まあ、存在を確認されて数千年は経ってるそうだから、人間の感覚ではニューカマーもへったくれもねえけど」
そう言い終わるか終わらないかで、スイはてのひらの角錐をマドカに投げてきた。
反射的によけたが、よけ損ねてひとつ、身体に当たった。
当たったが、特に何も感じない。
「浄化の力が当たっても、【eraser】には何も影響がない。アチラで君の身体越しに、あのクソ女に攻撃できた理由がこれだ」