4 エン・顕現Ⅱ①
週が明け、月曜日。
九条マドカはいつも通り、早めに学校へ向かう。
あの日。
クラブハウス3階の和室で、マドカと角野は、しばらくボーっとしていた。
少なくともマドカにとって、一連のあれこれはとても現実とは思えなかったが。
ひどい疲労感はあった。
色々と、疑問やら疑問やら疑問が脈絡なく浮かんでくるが、そもそも物を言うのも億劫だった。
起き上がる気力もなく、彼は再び畳の上で横になった。
角野サイドも同じらしく、彼はただ、虚ろな目で黙々と煙草を灰にしていた。
疲労の濃さはマドカ以上だ。
壁にもたれかかっているのはおそらくたまたまで、大袈裟に言うなら首も動かしたくないくらい大儀なのだろう。
窓から差す陽の光は、思いがけないくらい高い。
おそらく、まだ午後4時になるかならないか……ではないかと、マドカはぼんやり思った。
角野が吸っている紙巻が、一本丸々、灰になった頃。
コツコツという硬質な足音が聞こえてきた。
カラリ、と和室の引き戸が開く。
音無――否。【管理者・ゼロ】だ。
「お疲れ様だな、【eraser】の諸君。とりあえず【home】へ戻ろう。【転移】」
否も応もない。
マドカはそのまま、【home】とやらに拉致された。
記憶があるのはそこまでだ。
次にハッと気づいた時は見知らぬ室内にいた。身体にかけられていた薄手のブランケットを剥ぎ、慌てて身を起こす。
シンプルな設えのリビングらしい部屋、そこにある大きめのソファベッドに寝かされていたことがわかった。
「おはよう。顔色が良くなったな」
どこからともなく近付いてきたのは音無こと【管理者・ゼロ】。
今回は白衣ではなく、黒のシンプルなスーツを身に着けていた。
手に持っているのは、食べ物が乗ったお盆。
「君の好みがはっきりしないから、この前、美味しいと褒めてくれたものを用意した。あれから、君の体感としては十時間を超えているから、かなり空腹になって……どうした?」
彼女は、マドカが慌ててスラックスのポケットを探り、何かを探しているのに気付き、怪訝な顔をしながら盆をそばのローテーブルへ置いた。
「学校から帰らず十時間超えていたら、さすがに親が心配します! とりあえず連絡を……」
「落ち着きなさい。『十時間』はあくまで君の体感で、現実の時間はまだ午後四時過ぎ、今ご両親に連絡を入れても逆に不審がられる。それに、君のスマホと制服のネクタイは、テーブルに置いてあるから」
ところどころ意味のわからない部分はあったが、確かにスマホとネクタイは、彼女がさっき盆を置いたローテーブルにきちんと乗せられていた。
慌ててスマホを取り上げ、電源を入れてみたら……。
「え?」
スマホの画面に表示されているのは、今日の日付と曜日、そして……。
「PM4:13……?」
「目安として、君のスマホは現実の時刻とリンクさせている。午後四時過ぎ、つまり……まだ十分、クラブ活動の時間内だ。標準活動終了時刻は五時半だから、まだ一時間ほどゆとりすらある。とりあえず、そこは理解してくれ」
まったく理解できないが、マドカはとりあえず、曖昧にうなずいた。
彼女は満足そうに軽く笑む。
「わかったらまず、腹ごしらえをしてくれ。人間、疲れていたり空腹だったりすると、理解できる事柄も理解できなくなるものだからな」
盆に乗せられているのは、この前、角野と入ったカフェのメニューにあった、アイスカフェオレと照り焼きチキンのホットサンドだ。
「スイ……君にとっては角野先生だな、彼が言っていたと思うが、アレは私の店なんだ。現実での拠点の一つとして、試験的ではあるがちゃんと営業もしている。そこから取り寄せたから……妙な心配をせず、食べなさい」
『黄泉戸喫』的な連想をして固まっていたマドカへ、彼女は美しすぎるほほ笑みで圧をかけてきた。
マドカはおずおずと頭を下げ、サンドイッチに手を伸ばした。
……美味い。
一口食べると食欲に火がつく。空腹に気付いてしまったマドカは、サンドイッチもアイスカフェオレもすっかり平らげてしまった。
「腹も落ち着いたところで。色々と君も、気になることが沢山あるだろう。疑問にはすべて答えさせてもらうから、何でも聞きなさい」
彼女はそう言うと、マドカが寝ていたソファベッドの向かいにある、小さめのラブソファに一人でゆったり腰かけ、こちらを見た。
「……そう言われても。何もかもわかんねえんだから、どこから何から聞いたらいいか、わかる訳ないだろう?」
マドカがぼんやり思っていたことをそのまま、ストレートに言語化しながら現れたのは、角野――本来は『スイ』と呼ぶべき男だ。
彼は、しわだらけのワイシャツにしわだらけの紺のスラックス、首に臙脂の、アーガイル柄が地模様になったネクタイをだらしなく結んだという、何ともだらしない姿で歩いてきた。
おそらく、マドカと同じようにこちらへ来てそのまま、眠り込んでいたのだろう。
一応マドカへ、失礼と声をかけ、彼は隣に座って手にしていた煙草の箱とジッポライターをローテーブルへ置いた。
「とりあえず。大枠から話してやったら? 我らがご主人様」