3 エン・顕現⑤
戦闘民族と化した男は物理を無視したとんでもない跳躍をすると、すさまじい雄叫びをあげた。
雄叫びと同時に、空中で眩しい光が四方八方に広がる。
さながら超新星の爆発だ。
途端、上空の『ナンか、ヤバいの』の気配が、急速に薄れてゆく。
置いてきぼり状態のマドカはそこまで確認後、とりあえず角野に言われた通り、しゃがみ込んでうつむき、目を閉じた。
その状態で、気休めにしかならないだろうが『来るな、このボケ』『来るな、このボケ』と、小さく念仏のように唱えることにする。
……そこへ。
「……九条君」
寂しい寂しい、声。
同時に、肌を粟立てる剣呑で不快な気配。
マドカは無視し、ひたすら『来るな、このボケ』を唱え続ける。
「……ねえ、九条君。キミまで私を見捨てるの? 私じゃなくて……あのひどい男や、そんなに親しくない大人の言葉を信じるの? 今まで私の周りにいた、わからずやたちとおんなじように。そんなの……、哀しいよ」
哀しいよ。
涙のにじむ声で呟かれた言葉は儚くも鋭く、まるでガラス製の針か何かのようにマドカの胸に刺さる。
刺さり、心臓に埋まった瞬間くだけたような、複雑な痛み。
マドカは思わず『来るな、このボケ』の念仏?を止め、目を上げた。
すぐ目の前に、さっちゃん先輩としか思えないモノがいた。
いつも一筋乱さずきっちり編まれた三つ編みが無残にほどけ、緩いウェーブの残る髪が、肩や背中に無造作にかかっている。
引きちぎられ、ボタンが飛んでしまった襟元は鎖骨がむき出しになるほどはだけていて、ブラジャーの紐らしきものがかすかに覗いていた。
髪の毛もブラウスも、しっとり濡れている。
ブラウスの白い生地が、緑がかった茶色に汚れているのが訳もなく痛々しい。
まるで長年の、乾き切らないかさぶたのような……。
「九条君。お願い、私を助けて。私、本当はここになんかいたくない。ここは永遠に夕闇なの。夕映えの赤はきれいだけど、おんなじくらい、怖いよ。でも……私は。ここに、とらわれているの。九条君、私……明るいおひさまが、恋しいよ……」
呟く彼女の目は真っ赤で、立ち姿は儚い。夕闇に溶けて消えそうな……。
抱きしめたい!
生まれて初めての衝動が突き上げる。
「……先輩!」
両腕を伸ばし、彼が一歩、足を踏み出した刹那。
ドオン、とでもいう鈍い音と共に強く背中を叩かれた感触、マドカは前へつんのめる。
そしてその勢いのまま、彼女を抱きしめ……。
「ああああああああああ!」
マドカの腕の中で、何故か彼女が獣じみた叫び声をあげる。
驚いて身体を離し、彼は息を呑んだ。
(な…なんだ? これは!)
マドカの胸の真中から、白銀の角ばったナニかが飛び出ていた。
それはさっちゃん先輩の胸へと延び……彼女の背中まで、突き抜けていた。
「……おいおい、愛しのカレシさんとの記念すべき初めてのハグだろう? もっと幸せそうな顔しなさいよ、キミ」
背中から聞こえてくるのは、弄るような人の悪い声。
ギリギリかすかなきしみ音を上げ、角ばった棒状のナニかはじりじりとマドカの身体を通過するように動き(不思議と痛みも苦しみもない)、さらに深く彼女の胸へと沈んでゆく。
「き、貴様ァ!」
呪うような目で彼女は、マドカの後ろ――声からいって角野だろう――をにらみつける。
ふふん、と角野は鼻で嗤う。
「おいおい、ねーさん。キャラが崩壊してるよ。『貴様』なんてすさまじい言葉、女神様みたいな『さっちゃん先輩』は使わないんじゃないのかな?」
「うるさい!」
般若のような顔になった彼女は、手刀で強引に白銀の棒状のモノを叩き折り、よろよろと後退する。
「現実ではずいぶん、俺をイジって好き放題に遊んでくれたからねえ、お返しだよ、遠慮せず受け取ってくれ。さすがのお前でも、尖らした頂点を至近距離で受けたら応えるみたいだな、エチサ。いや……」
角野の声が、ふと低くなる。
「……【Darkness】。なんとまあ、お前自体が【Darkness】になっていたとはなァ。コチラも現実の因果律に縛られていたとはいえ、道理で正四面体の礫ごときじゃお前にダメージ与えられねえはずだよ」
「う…うるさい!黙れ。黙れ! 黙れ!!」
罵りながらよろよろと後退り、ふっ、と彼女は消えた。
『戦場エリア解除。【eraser】は現実の同座標に【転移】』
【管理者・ゼロ】の声が響くと同時に、マドカは強烈な眩暈を感じ、立っていられなくなった。
ハッと気づくと彼は、あちこちすれた、古い畳の部屋でうつ伏せで横になっていた。
少し離れたところから、カチリ、という小さな音がした。次に、石を擦って火がつく音、何かが燃えるチリチリというかすかな音も聞こえてきた。
マドカはゆっくりと頭を上げ、ふらつきがないのを確かめつつ、辺りを見回す。
この畳の間、見覚えがある。
クラブハウス3階、理数同好会の部室の隣にある、多目的ルームである和室……ではないだろうか?
「……先生」
斜め後ろ辺り、壁にだらしなくもたれて紙巻をふかしている、くたびれた紺のスーツの男へマドカは声をかける。
「先生、校内は禁煙ですよ」
「うるせ。煙草の一服くらい、吸わせろ」
げっそりと疲れた顔で、角野……否。
スイは、じろりとマドカを見て呟いた。
「だから言ったろうが。きれーなおねえさんにほだされるなって」