3 エン・顕現④
角野の視線の先、今は特に何も見えない。
だが背筋がぞわぞわする。
吐き気がしそうなほどぞわぞわする。
何かいるし……、その何かが、確実にこちらへ来ている!
「せせ、先生。よくわかんないけど、ナンか、ヤバいの来てますよね? おおお、俺、俺はどうしたらいいんですか?」
思わずどもりながらマドカは、角野に訊く。
角野は面倒くさそうにじろっとマドカを見て、答えた。
「基本そう気にすることはない。ま、それでも自分のことは自分で出来た方がいいな。……さっき君が能力を顕現させた時、なんて思った?」
「はい?」
「あの『安住サチエ』もどきを退けた時だよ」
「は?……あ、ああ。『来るな!』と……」
ふん、と角野は軽く鼻を鳴らし、こう言った。
「来るなとか近寄るなとか触るなとか。そういう類いの、拒絶の意思が今のところ、能力の顕現の鍵になってそうだな。じゃあ今回も『ナンか、ヤバいの』が見えてきたら、『来るな、このボケ』とでも思ってれば、何とかなるだろうよ」
「マジですか? そんないい加減な……」
文句を言おうとした時、
『……管理者を原点とし、XYZ軸を設定。それぞれ原点より絶対値85の座標エリアを記録体へ【drag】。仮置き。
只今よりここを、戦場エリアに設定する』
どこからともなく音無――否、【管理者・ゼロ】の声が響いてきた。
一瞬、くにゃり、と視界が歪む。
『【eraser】は制限を解除。各自戦闘態勢及び防御態勢へ移れ』
「はーい。自浄作用、ガンバリマース」
マドカのすぐ隣での、やる気のなさそうな声。
あまりの気の抜け具合に驚いてそちらを見ると、だらん、としたたたずまいで角野は立っている。
だらん、としたたたずまいではあったが。
目が、『炯々と』と形容したくなる様で、異常に輝いてもいた。
「……来いよ、雑魚どもが」
ほぼ無意識であろう彼の呟きには、ぞっとするような殺気がこもっていた。
にやり、という風に彼の口角が上がる。
(……コイツもしかして。実は後二回変身を残してるとか、ソッチ系のヤバい戦闘民族だったりする?)
密かに戦慄しながらマドカは、マンガじみたというか、ある意味のん気なことを思ってしまった。
それは唐突に始まった。
角野の身体からぶわり、と、陽炎に似た剣呑な気配が立ちのぼった次の瞬間、先の尖った、画鋲ほどの銀色の小さな物体――よく見ると正四面体らしい――が現れ、マドカの頭上に集まってきた。
「君の能力の特性上、おそらく頭の真上はウィークポイントだろうから、そいつを被ってな。出来るだけ姿勢を低く、そうだな、しゃがんで『来るな、このボケ』とでも唱えながらじっとしてろ。頼むからウロウロしたり、きれーなおねえさんにほだされたりすんなよ。いいな」
それだけ言うと、後二回は変身を残してそうな戦闘民族の男(?)はいきなり、『ナンか、ヤバいの』がいる方へ向かって高く高く跳躍し、奇声をあげた。
『戦場エリア』が展開された。
彼らの身体を地に縛り付けていた、『重力』という概念の枷が、外れる。
角野エイイチ……スイは。
高く跳びあがり、声と一緒に能力を思い切り発する。
小さな底面を持つ、針状に近い銀に輝く幾百の円錐が、外敵を排除しにきた【dark】たちを鋭く貫く。
彼――スイは。
『円』や『波』という形を取ることが多い【eraser】としては珍しい、タイプ『錘』の能力者だ。
錘とは錘体――平面上の円または多角形の各点と、平面外の一点と結んで出来る立体のこと。その形から、『平面外の一点』つまり頂点に鋭く力が集約する。
彼は、その錐体の形で能力を操る。
そして頂点で触れるものを素早く、やや強引に浄化するのだった。
(すまんな、俺は今、お前らのねーさんのせいでメチャクチャ機嫌が悪いんだ。たっぷり礼はさせてもらうよ、釣りはいらねえから……全部受け取りな!)
自らが生み出した幾百の円錐へ、彼はさらに浄化に力を注ぎこむ。
幻影にすらならないうちに、先兵たる【dark】たちは消滅した。
「なんだよ他愛ない。マジで雑魚なんだけど? ……さては陽動か?」
虚空を蹴るようにして、スイは九条マドカのそばへ戻る。