断章~エン・顕現
足をもつれさせながら、彼――九条マドカは駆け続ける。
息が切れて目がかすむ。
カッターシャツはすでに汗だくだ。
制服のスラックスが汗で脚にまとわりついてくるのも不快だし、ローファーの底が時々滑って転びそうにもなるが、止まる訳にはいかない。
(何だよ何だよ何だよ何だよ……)
頭の中をめぐるのは同じ言葉。
意味不明とか訳が分からないとか、もうそんなレベルはとっくに超えていた。
不可解な出来事が立て続けに起こり、頭を整理する暇もない。
足元から生理的な恐怖が這い上ってくるのを、振りほどくように彼はただ、駆ける。
迫り寄ってくる、不穏な気配から逃れるために。
もはやここがどこなのかわからない。
ただ、狭い路地の果てにある袋小路に追い立てられたことだけは、足を止めた一瞬後、彼は理解した。
『……九条…く…ん……九条く……ん』
何処かしら甘やかな、官能的ですらある低い声が、後ろから何度も呼びかけてくる。
「……さ、さっちゃん…先輩」
憧れ、だった先輩。
だけど。
「く、来るなあああ!」
声を限りに彼は叫び……刹那。
身体の奥底で、何かがはじけた。
突如己れの身体を中心に、眩しい光が円盤状に広がる!
『……【eraser】顕現を確認。タイプ・円。只今よりここを、戦場エリアに設定する』
どこからともなく響いてくる冷ややかな声が、意味不明なことを言っている。
『管理者を原点とし、XYZ軸を設定。それぞれ原点より絶対値85の座標エリアを記録体へ【drag】。仮置き』
一瞬、くにゃり、と視界が歪んだ。
『【eraser】は制限を解除。戦闘態勢へ移れ』
「はーい。自浄作用、ガンバリマース」
突然、やる気のなさそうな声がマドカのすぐ隣でした。
驚いて声の方を見ると、安っぽい紺のスーツを身に着けた短髪の男が、だらん、としたたたずまいでそこにいた。
「え?……角野、先生?」
男はちらりとマドカを一瞥すると、わざとらしくため息を吐いた。
「おー、角野先生だよ~九条君。……はあ。やれやれ」
嫌そうな、不本意そうな角野の態度に、マドカは猛然と腹が立ってきた。
(……そうだそうだそうだ! そもそもの始まりは、このおっさんが急にウチの高校へ現れたせいだ!!!)
あの日の朝のことを、マドカはまざまざと思い起こした。