第一話 幸先は最悪?
桜舞う中、少年は駆けていた。
「……っ」
黒っぽい緑色のブレザー、赤と灰のチェックのズボン。皺ひとつない、真新しい制服だ。
やや長い灰色の髪をたなびかせ、見えざるナニカに追われるように、逃げるように、駆けていた。
「ぅっ……」
すらっと、というよりもひょろっとしていて、シュッと、というよりもガリッとした印象の、いかにも不健康そうな色白の少年。
「くっ、ぅえっ……」
碌に準備運動もせずに普段動かない身体を酷使したせいで既に色々と限界なのを堪え、真ん中のあたりで真っ二つにへし折れた腕時計を握りしめる。
「うっく……クソッタレが……今日に限って……!」
溢れ出る胃の中身は道端に吐き捨て、それでもやや赤みがかった目は前に進むという確固たる意思を映していた。
しかし、現実はそんな少年の意思を踏み躙るように、非情にも終焉を告げる鐘を鳴らす。
「っ!!」
キーンコーンカーンコーン……。
「ぁぁああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!! …………うぇっ」
四十九ヶ崎 夜露。高校初日、遅刻確定の瞬間であった。
この世界には魔力が、魔術が存在する。
周知の事実ではあるが、一度ここでおさらいしておこう。
魔力は宇宙の誕生から今まで存在してきた物質――エネルギー体に近いものだが、分類が曖昧なので物質とする――と言われており、なんなら宇宙が誕生する前から存在していたという説が有力だ。
よく分からないが、テレビで学者がそう言っていた。
この宇宙に生きる生物、少なくともこの星で生きているものは、その魔力を利用したりあるいは一体になることで種を残してきた。
魔生物と呼ばれる身体の一部が魔力に置き換わったものや、デンキウナギの雷魔術のように利用するものが代表的な例だが、それ以外の人間も含めた動物も、皆何らかの形で魔力を利用している。
空気にも魔力を持つ性質があり、5000年くらい前まではその魔力の濃度が70~80%くらいあったそうだ。
もっとも、魔の君主だとか魔王だとかと名乗る新手過ぎる不審者とパンゲアだかゴンドワナとかいう大陸を7分割する大戦争をしたり、数億単位の魔生物と戦ったり、お遊び感覚で地殻変動を起こしているうちにどんどん減少していってしまったが。
今では空気中の魔濃が23%ほどまで減少し、その影響で大規模な魔術の行使が机上の空論と呼ばれるようになったり、身体の50%以上が魔力の魔生物は溶けて消えたりしてしまう時代になった。
魔生物くんは泣いていい。
「……そうだ魔濃だ魔濃が悪いんだ部屋の魔濃が急激に変化してその影響で体調に異常が出たんだそうだそうしようそういうことにしよう」
回らない頭を無理矢理ひねり、適当な言い訳と開き直りを手にする。
理由のない全能感に満たされ、握りしめた右手からめきりと嫌な音。
手のひらにあるのは、昨晩地震で工具箱の下敷きとなり、午前2時を指したまま動かなくなった目覚まし兼腕時計。
目覚ましが壊れることを想定しなかった自分に非があるのか、それとも目覚ましを壊してくれやがった地球が悪いのか。
「幸先が悪いというか、気分が悪いというか……どっちも? 現実を見せるな。死にたくなる……」
涙をこぼさないように上を向くと、胃酸と尊厳がこぼれそうになり、すぐに下を向く。
公園の中の、自分のとは違い壊れていない時計を見て、入学式は諦める夜露。
遅刻に気づいた時点で既に時間ギリギリだったのだから、無理に走るべきではなかったのかもしれないと思うが、後の祭りだ。
目についた自販機で適当なスポドリを買い、近くのベンチに座る。
ろくに掃除なんてされていないベンチ。制服が汚れるが、もう今更気にならない。
「ピヨーーーーーーッ!」
身体も心も限界な中、ついには幻聴まで聞こえてきた。
これほど甲高い鳥の鳴き声なんて、生まれてこのかた聞いたことがない。
飲み終えたペットボトルを枕代わりにし寝転がったときにバカでかい鳥と目が合ったのも気のせいだ。
あんな極彩色の鳥がいてたまるか。幻覚だ。
バサバサバサッ!
春の暖かな風が身体を通り抜けていく。鳥の羽ばたきではないと思いたい。
既に身体は限界だったのか、数秒もすれば、微睡の中に落ちていく。だんだんと意識が溶けて、うすれ、て――――
「ナカッタコトニスンナヨー」
意識が闇に落ちる。
……悪夢を見なければいいが。