左義長の火
翌朝、昨日と同じ衣装で集まった若衆は、日牟禮八幡宮に集合すると再び町へ山車を担いで出発した。初日は順番も道順も決められていたが、二日目は各山車が自由に町を練り歩いた。
「向こうから池田町が来たぞ!」
山車の上から宗十郎が大声で呼びかける。
各山車が自由に練り歩くということは、当然ながらお互いに行き会う場面も出てくる。そうした時は、お互いに道を譲れとぶつかり合う。これが二日目の名物『喧嘩』だ。
日ごろ喧嘩沙汰は厳しく禁止されている町衆にとって、この時だけは堂々とぶつかり合える祭りの醍醐味だった。喧嘩と言っても殴り合いをするわけではないが、各町の威信を懸けた左義長の山車は、意地と意地とのぶつかり合いでお互いに一歩も退かない。
甚四郎は精一杯声を張り上げて山車を前へと押し出した。相手も全力で押してくるのでそうそう簡単には進めない。
初日とは比べ物にならないくらいに声を枯らして山車を押し出していくと、やがて一歩、また一歩と大杉町の山車が前に進み始めた。
そうした若衆の勇ましい姿に町中の老いも若きも歓声を上げて盛り上がった。
「押されとるぞ! 池田町!」
「いけー! 大杉ー!」
酔った大人たちから賑やかに囃し立てられて甚四郎にも力が込もる。
「マッセ!マッセ!マッセ!マッセ!」
大杉町の若衆が声を揃えて前に押し出す。たまらず池田町の山車が後ろに下がった。
「勝ったどぉー!前に進めー!」
宗十郎の掛け声で相手が退き、大杉町は前へ進む。次の角で池田町が道を譲った。
そうした山車の押し合いを見物しながら、町人も武士も一つになって盛り上がる。八幡町にとっても年に一度の楽しみだった。
何度も『喧嘩』をこなし、時には勝ち、時には負けを数えながらやがて夕暮れになった。甚四郎の顔の化粧も、汗ともみ合いで既に崩れ切っている。
十三の山車は全て八幡宮へ集まり、町衆も誰ともなく八幡宮へ集まり始めた。山形屋の面々も八幡宮へとやって来るのが見えた。
昨日言っていた通りに奉納見物に来た多恵の姿を見つけて、甚四郎はケンカの興奮とはまた違った興奮に顔が赤くなった。
日もすっかり落ち、山車からは担ぎ棒が取り外されてそれぞれ十三の藁の山へと姿を変えている。再び神主の祝詞が述べられ、全員が厳かに頭を垂れた。
「火ぃ付けるぞぉーー!」
誰かの宣言で火の付いた松明が運び込まれ、各町の山車に火がつけられた。周りには防火対策で水の入った桶が大量に用意される。さっきまで町衆の勇壮な声に踊っていた山車は、炎に包まれて夜空に明るい柱を立てつつ、方々に火の粉を飛ばしている。天下の奇祭と名高い八幡町の左義長祭りのクライマックス、奉火だ。
先ほどまでの喧嘩はどこへやら、各町の若衆はあちこちでたむろしてお互いの健闘を称え、酒杯を傾けていた。大人たちも酒宴に加わり、最も勝ち星の多かった魚屋町の若衆の屯する一角は、大きな盛り上がりを見せている。
だが、酒が苦手な甚四郎はそんな喧噪から離れ、境内の椋の木の根元に座って振舞いの甘酒を飲んでいた。
「お疲れさん。キレイやね」
いつの間に来たのか、多恵が昨日と同じように隣に座る。
「ああ、どんどの最後はいつもキレイで、そのくせ物悲しいなぁ」
柄にもなく感傷的な気持ちになった甚四郎は、言ってしまってからはっと気づいて多恵の顔を見た。
「そうやね……」
多恵は上の空で返事をしながら、吹きあがる火柱を見つめていた。炎に照らされた横顔はいつもの多恵よりもずっと大人びていて、甚四郎は見とれてしまった。結いあげられた髪の端から白いうなじが覗いて、思わずドキリとする。
その時、視線に気づいた多恵が甚四郎の方に顔を向けた。
「……何?」
「いや、別に……」
誤魔化して炎の方に顔を向けた甚四郎の視線を追うように、多恵も再び炎の方に顔を向けた。
「来年には、甚ちゃんは江戸に行くんかなぁ」
「そうやな……。江戸やなくて京かもしれんけど」
「そういうことやなくて……」
「どういうことや?」
「……八幡町から出て行ってしまうんやなって」
「出て行くいうても、山形屋で奉公するのは変わらん」
「それはそうやけど……」
多恵の言葉が途切れ、二人の間に沈黙が訪れる。遠くから聞こえる町衆の酔声に混じって、隣に座る多恵の微かな吐息が聞こえるような気がした。
段々と自分の鼓動の音が耳の中にうるさく響いて来る。耐えかねて甚四郎が何か話そうとした瞬間、隣の多恵が大きなため息を吐いた。
「男はんはええな。あっちこっち行けて」
「好き好んで行くわけやない。商人として身を立てる以外に生きていく術を知らんだけや」
「甚ちゃんは、武士になりたいとか思ったことはあるの?」
「どうかな……。お父んも商人やし、ガキの頃から奉公に出てる兄貴らを見て来た。俺もいずれは商人の道を歩くもんやと思ってたから」
「そっか……」
「けど、今は目標がある」
「目標って、何?」
「それは……」
――早く一人前になって多恵を迎えに来たい
そんなことは気恥ずかしくてとても言えなかった。
再び無言の空気が二人を包む。長いような短いような時間が過ぎた頃、多恵の手がためらいがちにそっと甚四郎の手に重なった。
驚いて多恵を見た甚四郎は、自分の目を覗き込んでくる多恵の眼差しにどぎまぎした。多恵の唇が炎に照らされてキラキラと光っている。
耳まで顔を真っ赤にした甚四郎は、耐え切れず顔を背けてしまった。鼓動の音が早鐘のように甚四郎の耳の中に響く。
「……アカンたれ(注:意気地なしの意味)」
ポツリとそう呟くと、多恵はそのまま立って行ってしまった。甚四郎は昨日の夜と同じように、帰って行く多恵の後姿をいつまでも見つめることしか出来なかった。