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利助

 

 利助は代官屋敷の中を案内も無く歩き進んでいた。目的の部屋の場所は頭に入っている。それにまだ夜は浅い。今ならまだ間に合うはずだという自信があった。


 代官の性癖は全て調べつくしていた。新しく赴任する代官の名前を聞いた時から、身辺調査は抜かりなく行った。


 尾張家大代官、馬場丈右衛門。

 二百石取の勘定方所属で、馬場家へは婿養子で入ったため妻に頭が上がらない。

 子供は男子が既に三人居て、側室を持つ名分も無い。要するに多恵を側室に迎える気などさらさらないのだ。八幡町へ出張に来た時に火遊びをする相手が欲しかっただけのことだろう。


 多恵の他、二~三人の娘を物色しており、それぞれの商家に御用金の減免と引き換えに差し出すように命令している事も知っている。もっとも、それを本気で信じている商人も居ない。


 武士とは、金の上での約束は平気で破るものだ。

 今までどれほどの商人が貸金を踏み倒され、涙を飲んで破産したことか。特に馬場のような男は、一度言う事を聞けば何度でも(たか)ってくることは目に見えている。


 だが、女なんぞにうつつを抜かすからこういう目に遭う。

 仁右衛門は何度も西町の茶屋で接待をして、茶屋の娘もあてがっている。遊女で満足しておけばいいものを、下手に火遊びをしようとするから大きな火傷を負う事になるのだと思うと少し可笑しかった。


 馬場の性癖は残虐性があり、女が涙を見せないと興奮しない性癖(たち)だという事も遊女から聞き出した。遊女はわざわざ泣き真似をする必要があって面倒だと笑っていた。


 多恵は芯の強い女だから、そうそう涙を見せないだろう。だが、丈右衛門もそろそろ焦れて泣かせにかかる頃合いだ。グズグズとはしていられない。


 そこまで考えて、利助は目的の部屋の前に到着した。襖を開くと、まさに着物をはだけさせている所だ。一瞬ホッと胸を撫でおろす。手遅れになると甚四郎を失う事にもなりかねない。利助としても、出来ればそれは避けたかった。


「お代官様ですな。お初にお目に掛かる。山形屋の当主、利助と申します。ところで、()()()に一体何をしておられたのですかな?」


 一瞬の硬直から立ち直った馬場丈右衛門は、すぐに気を取り直して居丈高に叫び声を上げた。


「一体どうやってここへ入った! 警護の者は何をやっておる!」


 利助は思わず顔をしかめた。聞き苦しい声だと思った。


「役儀の割りに暮らし向きが苦しいのでしょうな。小判一枚で喜んで通してくれました」

「き、貴様……」

「重ねてお尋ねしますが、私の妾に一体何をしておられたのですかな?」


 利助の追撃に馬場は言葉を失った。町人の妾に手を出したなどと、醜聞もいい所だ。

 性的におおらかな時代ではあっても、代官が町人の女に手を出し、町人の側が黙って我慢するなどという構図は少ない。仮に藩や公儀へ訴え出れば、双方に厳しい詮議が入るのが普通だ。


 まして、相手はこれからも御用金を召し出さねばならん山形屋の当主だ。尾張藩も本気になって調査をせざるを得ない。山形屋は幕閣とも繋がりを持つ大商人だから、その訴えが軽視されることはまずないだろう。

 そして、この時代の法では間男は死罪とされている。


 一瞬の沈黙の後、おもむろに馬場が立ち上がった。


「その方が山形屋の当主であるなどと、初耳だな。役宅へ押し入った無礼者を斬って捨ててくれるわ」


 そう言うと馬場は刀掛けに手を伸ばした。殺すぞと脅せば、利助が驚いて引き下がるとでも思ったのだろうか。だが、利助はそんな馬場の態度を見ても眉一つ動かさなかった。


「よろしいのですか? 私を斬れば、ご公儀の厳しいお調べが入りますぞ。なにせ、ご老中様から直々に御用金の命を頂いてきたばかりですからな。その手前が事もあろうに尾州様の代官屋敷で斬られたとあれば、一体何故かと厳しく追及されましょうなぁ」


 馬場の動きがピタリと止まる。

 武士の弱点は上役と醜聞だ。ここを抑えれば、武士は為す術がない。

 利助はその弱点を正確に突いた。


「ま、ここでは何ですから、場所を変えましょうか」


 そう言って利助は隣の部屋を顎で指した。隣は執務室で、文机や紙、筆なども用意されてあった。


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