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番頭格


 江戸奉公人達が固唾を飲んで見守る中、善吉が年末の売上予測を計算していた。パチパチと軽快な音を立てて算盤を弾く音だけが店内にこだまする。その場の誰も口を開かなかった。


「……よし。目標達成だ」


 善吉が大きな声で告げると、その場の全員が一斉に立ち上がった。


「よっしゃぁぁぁぁぁ!」


 茂七のひと際大きな声が店内に響く。今年の目標として日本橋・京橋両店で合計銀一千貫を独自に設定していたが、どうやらそれが見事達成できそうな目途が立ったのだ。

 一気に店内が熱気に包まれる。口々に善吉や伊兵衛が『みんなご苦労さん』『よう付いて来てくれたな』と言葉を交わしている。


 甚四郎もほっと胸を撫でおろした。来る日も来る日も今日は銀何匁の売上を立てると示し合わせ、それを一つ一つ積み上げてきた。それがようやく一つの成果を見せたのだ。


 利助もこれなら文句を言えないはずだ。

 来て、見て、驚け。

 そんな心境だった。


 年末も迫り、江戸中が慌ただしくなった年の瀬に、利助が再び日本橋店にやって来た。全員が強いまなざしを向ける中、善吉が今季の営業報告書を提出する。


「………ほう」


 利助の目が二度、三度と報告書の上を読み進める。

 しばらくして報告書から顔を上げた利助の顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。


「やれば出来るやないか。見直したで」


 利助の一言で奉公人達がお互いに顔を見合わせて笑う。だが甚四郎は用心深く利助の言葉の続きを待った。


「この成績に甘んじることなく、次の段階を目指すように精進してくれ。それと、割り銀についてやけど……」


 再び全員が利助に視線を向ける。


「引き続き本店で預かる事とする。今後も贅沢に溺れる事無く、一意専心商いに励む事」


 軽いざわめきが起きた。一座には今までと明らかに違う険悪な雰囲気が漂っている。

 だが、その空気を打ち破るように利助が言葉を繋ぐ。


「話は最後まで聞け。

 ただし、善吉が割り銀を引き出す許可を与えた物については、本店では一切口を挟まん。お前らの努力を間近で見ている善吉を全面的に信用する。お前らは善吉を信じてついていけ。ええな、善吉」

「はい。皆の努力を無にせんように、今後も精進します」

「俺は山形屋を保つためにあらゆる努力をするつもりや。皆も善吉と心を一つにして、山形屋の為に努力してくれ。以上や」


 最後に善吉が頭を下げた事に合わせて、全員が利助に頭を下げる。

 利助が宿に下がった後、久々に酒を飲みに繰り出した。これほど旨い酒はないと甚四郎は心から満足だった。


 年が明けて二月に入った。

 甚四郎は二番登の日を間近に控えて、色々と世話になった五兵衛に礼を言う為、麹町の黒木邸を訪ねていた。


「そうですか。本店へ配置換えに」

「はい。登が明けた後に本店の番頭格として出仕するようにと文が届きました」


 通常二番登の後は役付手代として手代達の取りまとめを行うが、本店では番頭が一人抜け、適当な者がいないので甚四郎を『番頭格の役付手代』として配置するよう、善吉に指示が届いていた。


「色々お世話になった上に、ご恩をお返しする事なく近江に戻る非礼をお許しください」


 甚四郎が頭を下げる。借りを返す事無く江戸を去ることを心苦しく思っていた。


「まことにその通りですな。かくなる上は春を娶ってもらい、我が家の分家として働いて頂くかと思案しておったのですが……」

「え?」


 甚四郎が驚いて顔を上げる。まさかここで引き抜きの話をされようとは思わなかった。

 だが、驚く甚四郎を見て五兵衛が悪戯っ子のように笑った。最初からそんな気は無く、言わば甚四郎はからかわれたのだと理解した。


「はっはっは。冗談ですよ。まあ、借りはいずれ返して頂ければ良い。もしも私に世話になったと思って頂いているのなら、私が死んでも先々春が困っている時には助けてやってもらいたい。それで充分でございますよ」

「もちろん。その時は身命を賭して借りを返させて頂きます」


 五兵衛はうんうんと頷くと、そのまましばらく雑談に花を咲かせた。


 一刻(二時間)後、甚四郎は黒木邸を辞し、後には五兵衛と春が甚四郎の手土産を前に茶を飲んでいた。


「惜しい事をしたかの。もっと早くに釣り上げておけばよかったか」

「まあ、お祖父様ったらお口の悪い」

「何を言う。そなたもあの男を心憎からずと思っておったのだろう?」

「ええ。ですが、御縁がなかったのでしょう……」


 そう言うと春は愛おしむように手元の栗饅頭を眺めた。

 春の縁談が決まったのは、甚四郎が江戸を去った翌月のことだった。


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