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江戸帰り

 

 甚四郎が山形屋で奉公を始めて二年が経った。既に丁稚の中でもそれなりの立場になり、日々の勤めも大過なく過ごしている。年下の奉公人も入店し、教わる立場から徐々に教える立場へと変わっていた。


「甚四郎。すまんがこの文を嶋屋さんまで届けて来てくれ」

「へい」

「為替やさかい、失くしたら大事になるさけな。絶対に預かり証を貰ってきてくれよ」


 利右衛門が毎度のように念押しするが、甚四郎もその辺りの事は既に承知している。言われずとも手順はすっかり把握していた。

 嶋屋は八幡町に拠点を置く飛脚問屋で、主に江戸や関東方面への文の取次を行っていた。為替とは江戸時代に発達した金融取引の方法で、現金を江戸まで運ぶのは物騒なので、為替という手形を切ってそれを江戸に運んで現金化する。


 八幡町を領有する領主様は朽木主膳(くつきしゅぜん)と言う名の旗本で、山形屋はその朽木家の御用商を務めていたが、朽木の殿様は江戸に在勤している。そのため、御用金も江戸の朽木邸へ送る必要があった。

 本店で為替を切って江戸の支店へ手形を送り、その手形を江戸店で現金に変え、朽木邸へ御用金を運び込むのだ。


 甚四郎は渡された文書を手に八幡堀沿いを東へ向かった。堀端には桜の花が咲き、堀を行きかう船の舳先にひらひらと花びらを散らせてゆく。風にも春の青臭さが混じり、何故ともなく心が浮き立つ陽気だった。


「すんません。これをウチの江戸店へお願いします」

「山形屋の日本橋店ですな。確かにお預かりします。今預かり書くさけ、ちょっと待っててや」


 そう言われて甚四郎は嶋屋の店内でしばし待たせてもらった。すると、島屋のおかみさんが気を利かせてお茶を出してくれた。お茶の盆には羊羹の端が添えられている。


「これ、お客様にお出しする分のヘタ(切れ端)やけど、甚ちゃんよかったら食べる?」

「あ、頂きます」


 甚四郎は嬉しそうに羊羹の切れ端を口に放り込む。羊羹と言えば丁稚羊羹しか知らない甚四郎にとって、切れ端とはいえお客様用の練り羊羹は至福の味だった。小豆の香りと和三盆の甘さが鼻をくすぐり、えも言われぬ幸せな感覚に酔いしれる。


 嶋屋のおかみさんは気安い性格(たち)で、八幡町で奉公する丁稚や下男・下女達の顔と名前をよく憶えており、折に触れてはこうして可愛がってくれた。


「おかみさんおおきに。おいしいかったです」

「そう? よかったわ。コレはお土産にあげる。多恵ちゃんにあげて」

「へい。おおきに」


 預かり証と土産の羊羹の切れ端を受け取った甚四郎は、いそいそと店に戻った。


「ん?なんやその包みは?」

「嶋屋のおかみさんからもらいました。羊羹のヘタです」

「そうかそうか。ええもんもらったな。他の子らにも分けたげや」

「いや、これは多恵ちゃんにあげてと言われたので」

「なんやそうかいな。ほな、多恵ちゃんのモンやな。うらやましいわ」


 帳場の利右衛門はニコニコと笑っている。役目上、甚四郎達には厳しく当たることが多いが、根は人の好い男だ。


 八幡の商家では各家独自に客をもてなすお菓子を出していた。大文字屋は栗羊羹、嶋屋は練り羊羹、扇屋は餡餅(あんこもち)が名物で、甚四郎の奉公する山形屋では薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)を名物にしている。

 とはいえ、お菓子はお客様用であり、甚四郎が口にしたことはない。それどころか、番頭の利右衛門や店主の利助ですらも滅多に口にはしなかった。


 八幡商人は身内には質素倹約を徹底し、勤勉さを徳とするが、お客様への饗応(きょうおう)には財を惜しまない。それが『始末(しまつ)して気張(きば)る』という近江商人の心構えだった。


「多恵ちゃん。嶋屋のおかみさんから、これ」

「何これ?」

「羊羹のヘタやって。多恵ちゃんにあげてっておかみさんが」

「あら、うれしい。おかみさんにお礼言わんと」


 心から幸せそうな顔をして包みを受け取る多恵を見ると、甚四郎も何故ともなく気持ちが浮き立った。


「嶋屋のおかみさんと仲いいの?」

「仲がいいと言うほどやないよ。よく洗濯する時におかみさんが前を通るから、顔見たら挨拶はしてる」

「そうか。番頭さんもうらやましがってたで」

「ふふん。甚四郎にも一つあげよか?」

「いや、もうおかみさんに一つもらった」


 勝ち誇ったような顔の多恵だったが、一瞬にして頬を膨らました。自分より先に甚四郎が幸せを噛みしめたというのが気に入らないのだろう。”はははっ”と声を上げて笑うと、甚四郎は逃げるように厨を後にした。

 フンっと一息吐いた多恵は、一つ羊羹をつまむと、嬉しそうな顔で口に放り込んだ。


 お盆を目前に控えたある日、昨年から江戸店に転属になっていた茂七が八幡町の本店に顔を出した。茂七は今回初年季が明け、初登(はつのぼり)の挨拶の為に本店へ戻ってきていた。

 店主の利助の前を下がった茂七は、次に甚四郎たち後輩の元に来て旧交を温めた。


「甚四郎。久しぶりやな。元気でやってたか?」

「へい。茂七さんも、なんやえらい……垢抜けはって」


 甚四郎の言葉通り、茂七は甚四郎の知っている茂七とは別人のようだった。

 顔中を覆っていたあばたの赤みはすっかり消え、どことなく大人っぽい顔つきに変わっている。二年という歳月が少年をすっかり青年へと変えてしまっていた。


「ははは。江戸の町はそれはもう華やかなモンや。町行く人も八幡町とは違ってえらく粋な(まげ)を結ってる。俺らも本多髷なんぞ結いたいけど、さすがに奉公の身でそれは生意気に過ぎるからなぁ」

「はあ……」


 甚四郎には茂七の言っていることがさっぱり理解できなかった。甚四郎は、髷と言えば小銀杏(こいちょう)しか知らない。小銀杏とは、ごくごく一般的な町人髷のことだ。

 対する本多髷は町人の中でも大店(おおだな)の旦那や若旦那に流行した形で、優美な細い(まげ)と広い月代(さかやき)を特徴とする。『吉原では本多でなければ相手にされぬ』とまで言われ、茶屋遊びをする旦那衆に流行した髷だった。


 商家によって規定は異なるが、山形屋では奉公人は年季奉公であり、最初の年季は七年と決まっていた。七年無事に勤め上げた最初の年季明けを『初登(はつのぼり)』と言い、店からは路用銀と土産代として三両二分が渡され、加えて一カ月の休暇が与えられる。

 (のぼり)の際は大杉町の本店にまず挨拶に伺い、その場で店主から路用銀とは別に祝儀として金二分とお仕着せと言われる着物代が十一(もんめ)、それに帯一筋が渡される。初登の後は里帰りが許され、その後休暇が明けると再び奉公に出る。

 以降年季は五年毎になり、二番登、三番登を経て、退役登を終えるまで奉公を続けると別家として暖簾分(のれんわ)けを許され、独立して一家の主となれるのだ。


 別家になった際の待遇も商家によって異なっており、山形屋では別家になると祝儀金と精勤手当として二十両が渡され、併せて本家の出資で店を出させてもらえる。そのかわり、別家になっても主家に対する忠誠を求められるのが常だった。


「あと二~三年もすればお前も江戸へ来るように言われるやろう。江戸に来たらまたビシバシ鍛えてやるからな」

「お手柔らかにお願いします」


 なごやかに笑いあった後、茂七は実家へと帰っていった。


 ――江戸か


 八幡町を離れて江戸へ奉公に行くのは当然のことと覚悟はしているが、それでも寂しさを感じないと言えば嘘になる。甚四郎の実家は近江堅崎藩で御用商を務める『中村屋』という商家で、父の中村甚左衛門には三人の男子が居る。父の甚左衛門は子供達を実家には留めず、奉公に出して他家のやり方を学ばせる方針で、上の兄は京へ奉公に行き、次の兄は大坂へ奉公へ出ている。末っ子の甚四郎は八幡町に奉公に出ているという訳だ。

 長男の甚一は既に二十五歳になっている。あと十年もすれば、実家は兄が継ぐだろう。甚四郎は自分の力で一人の商人として独立しなければならなかった。


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