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約束


 初登の挨拶を終えて宿を探すために町に出ようとした甚四郎は、意外なことにきぬに引き留められた。


「今はお足もそんなにぎょうさんもらえてへんのやろ? かまへんから家に泊まっとき」


 きぬの指摘通り、もらった祝儀で宿を取るには少々心許ない。最悪の場合は飯を我慢するかと考えていた甚四郎だったが、きぬのその一言で厄介になることになった。


 きぬの夫は寡黙な男だったが、甚四郎の突然の訪問にも嫌な顔一つせずに迎え入れてくれた。染職人の家らしく、表玄関を入ると仕事場があり、あちこちに染料の入った樽と染色前の蚊帳生地が置かれている。蚊帳染めだけでなく近江上布の(さらし)木綿縮(もめんちぢみ)の藍染も生業にしているというから、職人としての腕は確かなのだろう。


 表玄関から作業場を通って中庭を抜けると屋敷の玄関が出て来た。家の中は六畳が三間あり、その他に小さな仏間と簡単な台所があった。


 きぬはいつも朝暗いうちにこの台所で夫と子供の朝食の支度をしてから山形屋へ女中奉公に上がっているという。見かけ通り、働き者の女房だった。


 甚四郎が起き出して町を出歩くと、目の前を山車をかついで朱色の法被に身を包んだ若衆が八幡宮の方へと向かって行った。背中には大きく『慈恩寺町(じおんじちょう)』の染抜きがされていた。


 甚四郎は一昨年の自分を思い出し、懐かしい想いに目を細めながら大杉町へ向かった。途中物売の屋台で団子を買って朝食代わりにした。


 山形屋に着くと、すでに店の若衆を送り出して見物支度に入っているところだった。暖簾(のれん)先に縁台を出して緋毛氈(ひもうせん)を敷き、傍らに簡単な肴と酒の用意が整えられている。

 縁台には山車を担ぐ若衆も立ち寄り、一献頂戴と酒食を呼ばれていくのが習わしだった。一昨年は甚四郎もあちこちの商家で軽食を御馳走になったものだ。


「おう! こっちだこっちだ」


 不意に利右衛門に呼ばれて、甚四郎は山形屋の前の縁台に向かった。縁台には利右衛門の他、利助も含めた山形屋のお偉方が勢ぞろいしている。


「旦那様。厚かましくも押しかけました」

「なに、今日は無礼講や。楽しく飲んで騒げばいい」

「ありがとうございます」


 そう言うと、早速一献と利助が酒を注いでくれた。一息で飲み干すと、杯を返して前を下がった。招いてもらっているとはいえ、さすがに利助と同じ席に座って祭り見物というのは気が引けた。


 利助と利右衛門の横に宗十郎も座って見物していた。宗十郎は甚四郎と軽く挨拶を交わしただけで、すぐに他の番頭たちと酒盛りを始めた。甚四郎は、相変わらずしっくりいかないなと思いながら立ち見の席に移った。


 しばらくすると、多恵が甚四郎の横に来た。

 左義長の日は下男・下女も朝の勤めだけで、祭りが始まる時間になると仕事を終えて祭り見物をする許可を貰える。もっとも、(かまど)の火を落とすわけにはいかないので、庄兵衛だけは厨でのんびり酒を飲みながら火の番をするのが恒例だった。


「付けてくれたんや」

「うん。似合うかな?」


 多恵はヒビの入った赤いギヤマンの(かんざし)を頭に挿し、江戸で流行りの紅を口に引いていた。

 はにかんで俯く多恵の唇が妙になまめかしく、甚四郎は久しぶりに胸の鼓動が早くなった。


 しばらくすると掛け声と共に山車が次々と前を通り始めた。その度に周囲から歓声と拍手が起こり、甚四郎の意識も自然と祭り見物へと向いていった。


「一昨年まではああして担いでる方やったけど、見物するのも面白いモンやな」

「ウチは毎年見物やから、こうやって華やかに山車が通るのがいつも楽しみなんよ」

「担ぐ方もしんどいけど面白いモンやで。奉公とは違ってああいう汗は悪くないもんや」

「男はええなぁ。ウチもいっぺん担いでみたいわ」


 多恵がため息を吐く。祭りは女人禁制で、山車を担ぐ若衆は男だけに限られていた。

 甚四郎が多恵と話していると、目の前を大きな山車が上体を揺らしながら通り過ぎた。


「チョーウヤレ!チョーウヤレ!」


 大きな掛け声に負けじと大きな歓声が上がり、甚四郎と多恵も拍手で見送った。

 十三の山車を見送った後、山形屋では恒例の若衆への振舞いが行われ、甚四郎もお相伴に預かって共に盛り上がった。


 二日目の『喧嘩』も盛り上がりをみせ、祭りの熱気が見物人にも伝わって行く。甚四郎も時間が経つのをすっかり忘れてしまい、気が付けば夕闇が辺りを包み始めていた。


 やがて利助や店の者達と示し合わせたように八幡宮へと向かう。もちろん甚四郎も一緒だった。

 松明の火が山車に近付き、すぐに十三の火柱が立つ。

 甚四郎と多恵は、どちらともなく一昨年と同じ(むく)の木の根元へ向かい、並んで座って甘酒を飲んでいた。


「今年も左義長の火はキレイやね」


 多恵が炎に顔を向けながらポツリと呟く。


「ああ。左義長の火はいつもキレイや」

「そんで、妙に物悲しい……やろ?」

「覚えてたんか」


 からかうような多恵の口調に、甚四郎は苦笑する。


「ああ、左義長の火はいつもキレイで、そのくせ()ぜて空へ昇る火の粉には悲しさが漂う。まるで祭りの名残(なごり)を惜しむように、ふわりと消えていく」


 以前と同じ場所で同じように話していても、甚四郎は確かに大人になっている。以前とは違い、自分の思いをちゃんと言葉にできるようになっていた。


「……なんか、やっぱり甚ちゃんちょっと変わった」

「そうかな?」

「うん。大人っぽくなった」

「背が伸びただけやろ。あんだけどつかれてるのに、不思議と背は縮まんな」


 冗談めかして甚四郎が自分の頭を触る。クスリと笑った多恵だったが、不意に真顔に戻った。


「明日にはまた行ってしまうんやな」

「ああ、そろそろ実家にも顔出さんと……それに、(のぼり)が明けたら今度は手代として仕事を任せてもらえる。一人前と認めてもらえる」

「八幡の左義長も、しばらく見納めやね」


 炎の方に顔を向けたまま、多恵の手が二年前と同じように甚四郎の手に重なる。だが、今度は甚四郎も多恵の手を強く握り返した。

 多恵が驚いて振り向くと、甚四郎とまともに目が合った。そこには、以前とは違って男の顔になった甚四郎が居た。


 恥ずかしくて目を逸らしたいのに、何故か甚四郎の目に見つめられると顔を背けることが出来ない。

 そのまましばらく見つめ合った後、炎に照らされて揺れる二つの影が一つに繋がった。


 辺りには、酒宴の喧騒が響いていた。


 長い沈黙の後に唇を離した甚四郎は照れ臭そうに視線を逸らす。多恵は胸の高鳴りに顔を赤くしたまま少し俯いた。


「多恵ちゃん。俺、二年前目標があるって言ってたやん」


 再び炎の方に顔を向けて甚四郎が話し出した。


「うん」

「俺な……俺、一人前になって多恵ちゃんを迎えに来たい。待っててくれるか?」

「………うん」


 俯いたまま、多恵も頷く。視線は合わせないまま、もう一度強く握って来る大きな手の感触を忘れないように多恵は目を閉じた。


 ()ぜる火の粉は、酒宴の喧騒に乗ってどこまでも空高く舞い上がっては消えていった。


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