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変わるもの、変わらないもの

 

 利助の私室を辞した後、甚四郎は本店の者達と旧交を暖めた。

 とはいえ、店はまだ営業時間中で長々と世間話をしているわけにもいかない。表での挨拶を早々に済ませると、次に裏方の方へと回った。

 まず最初にきぬが甚四郎を認め、大喜びで駆けよった。

 

「甚ちゃん!見違えたわよぉ!すっかり男らしゅうなって」


 きぬが大げさな身振りで甚四郎の肩をバシバシ叩く。


「はは… ありがとうございます。おきぬさんはお変わりなく」

「変わるもんですかいな。こちとら二十年からここで働いてるんやからね」

「そうですね。庄兵衛さんもお元気そうで」

「甚ちゃん……。いや、甚四郎さんもご立派にならはって……。もうすっかり一人前の商人(あきんど)ですなぁ」


 既に七十近くなっている庄兵衛は、真っ白な頭を振りながら目頭を押さえた。


「とっつぁん、誰にでもそう言ってるよね」


 きぬの言う通り、庄兵衛は特別甚四郎だけにそういう態度なのではない。すでに老境にある庄兵衛は、少年たちが志を持って成長していく姿を見るのが何よりの楽しみになっている。

 きぬは、相変わらずの庄兵衛の態度に呆れたように笑った。


 きぬや庄兵衛と一通り挨拶を交わした後、甚四郎は多恵の方を向いた。


「多恵ちゃんも久しぶり」

「……うん。元気そうでよかった」


 ――何故だろう


 あんなに甚四郎と話したかったのに、いざ目の前にすると多恵は上手く言葉が出て来なかった。


「ちょっと私ら仕事があるし、アンタらは外で喋っとき」


 少し俯いた多恵を見て、きぬが多恵と甚四郎の背中を押して裏庭へと追い払った。


 厨を追い払われた二人は、裏庭の軒下に腰かけた。

 吹く風は少し冷たかったが、暖かな日差しは確かな春の訪れを告げている。木々の葉も風に揺れて心地よい音色を奏で、春の気配がすぐそこまで来ているようだった。

 だが、多恵の顔は相変わらず冴えない。


「甚ちゃん。今日中には郷里に帰るん?」

「いや、せっかくだから左義長を見て行こうかと思ってさ。宿を取ろうかと思ってる」

「そう……」


 ――何故だろう……


 多恵はまた疑問に思った。今までなら軽口の一つや二つすぐに出てきたのに、今は上手く話せない。


「こっちはやっぱり江戸に比べて暖かいな。八幡町の方が春が早い気がするよ」


 ――ああ、そうか。


 この時になって、多恵は自分の抱いていた違和感の正体に気付いた。甚四郎の言葉が聞き慣れない江戸言葉になっているのだ。


「向こうでは嘉兵衛さんっていう番頭さんがいて、今でもよく算盤で殴られてて。ほら、以前に三番登だとかでちょっと体の大きな人が来ただろ?……まあ、わかんないか」


 多恵の視線に気づかぬままに甚四郎が話し続ける。だが、多恵の心には言いようのない寂しさが募った。


「甚ちゃん」


 多恵は思い切って口を開いた。


「ん?」

「その……言葉が……なんか違う……」


 面倒なことを言う女だと思われただろうか。多恵の胸が不安に高鳴る。

 だが、甚四郎は少し驚いた顔をした後、以前と同じ顔で笑ってくれた。


「え?ああ、そうやな。意識して向こうの言葉話すようにしてたから、つい癖になってしもてた」


 その一言で多恵のよく知っている甚四郎に戻る。別に目の前に居る甚四郎が変わったわけでは無い。だが、言葉一つで何故か多恵は安心した。


「そうそう。多恵ちゃんにこれ…」


 そう言って甚四郎が懐から何かを取り出した。一枚の貝殻と赤い飾りのついた(かんざし)だ。


「これ、ウチに?」

「うん。ちょっとコケてしもて飾りにヒビが入ってしもたんやけど……」


 甚四郎が照れ臭そうに差し出す。その様子を見て、多恵は思わず笑ってしまった。


「ぷっ。あはははは。なにそれー。甚ちゃん相変わらずどんくさいな」

「笑わんとって。こう見えても落ち込んでるんやから」


 眉尻を下げてしょげる甚四郎には確かに昔の面影があった。多恵のよく知っている甚四郎そのものだ。


「ありがとう」


 甚四郎から(かんざし)を受け取ると、多恵は髪に挿して甚四郎の方を向いた。


「どう? 似合うかな?」

「やっぱりちょっと傷が見えてしまうなぁ」

「ええやん。これがいいの」


 ”ふふふ”と多恵は笑った。今まで足りなかった物が急激に満たされていくような気がした。



 ちなみに、厨の勝手口の横からはきぬと庄兵衛が顔だけ出して裏庭を覗いていた。


「なあ、おきぬはん。これ私らあんま見いひんほうがええんちゃうかなぁ……」

「しっ!静かにして!今ええところなんやから!」


 庄兵衛は複雑な顔をしながら、それでもきぬと一緒に笑いあう二人を微笑ましく見守っていた。


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