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07 出会いは唐突に

 ――その日、憑魔は全力で走っていた。片手に、大量のレポートの束を抱えて。


 昨晩までずっと徹夜していたせいか、彼の目周りには真っ黒な隈が浮かんでいる。眩しい朝日の照りつける中、ツンと瞼の裏を刺すような痛みに耐えて、彼はひたすら大学への長い道を駆け抜けた。


 卒業論文の提出期限時刻まで、あと三十分。大学の校舎はもう見えている。間に合うか? 滑り込みセーフか? それともギリギリアウトか?


 しかし、この分だと後者の方に現実味が帯びてきた。もし間に合わなければ留年確定で、大学生をもう一年続ける羽目になる。


(――しかし、まぁそれも悪くはないかもしれないな……)


 息切れして酸素不足となり、まともに回らなくなった彼の頭に、そんな諦めの気持ちが過った。


 ――だが、思い出してみろ、と憑魔の心の内でもう一人の彼が囁く。学費稼ぎの為に休日も総動員して、まだ日付も変わっていない夜中に起き出し、眠い目を擦って気怠い体に鞭を打ち、まだ眠っている街中をカブで疾走し、丸めた新聞をポストに突っ込んでいたあの忙しなく休みのない日々。そうして汗水垂らしてコツコツと日銭を稼いでも、その全てが学費として瞬く間に消し飛んでいく。そんな永遠に続く地獄のルーティンに、また戻りたいのか?


 その答えは紛れもなくノーだった。だから彼は、ゼェゼェと息を切らしながらも、更に早く足を前へと動かす。


 大学の正門前は、憑魔と同じく提出期限ぎりぎりで卒論を出そうと駆け込んでくる者を応援する野次馬たちでごった返している。彼らの中に突撃していくのは気が引けた憑魔は、密かに裏門から大学敷地内に侵入しようと試みていた。


「この分なら……何とか間に合うはず――」


 何とか間に合う――はずだった。……突然、彼の進路上によろよろと黒い人影が横切ろうとして、正面から衝突しさえしなければ。


 しかし、仮定形ではなく、実際にそれは起こってしまった。道の角から現れたその人影に、憑魔は思いきり体当たりをしてしまい、突き飛ばされて地面に尻もちを付き、持っていたレポートは紙吹雪のようにバラバラになって宙高く舞い散った。


「……ってぇ」


 憑魔は地面に打ったお尻をさすりながら起き上がる。


 ――そして、彼から約数メートル先に、うつ伏せになって倒れている一人の少女を目に留めた。


 その少女は、普通に歩いていても目移りする程に美しい流れるような長い金髪を伸ばしていたが、その髪は無惨にもアスファルト上に投げ出され、べったりと地面に張り付いてしまっていた。しかも彼女は、黒い薄地のキャミソールワンピースに赤いパンプスのみという、まだ冬の寒さがありありと残る四月の初めにしてはあまりに薄着過ぎる格好だった。


 彼女が、憑魔の前によろよろと出てきたあの人影であったのは間違いない。憑魔はその場で尻もちを付くだけで済んだものの、背が低く細々とした体躯の彼女は、軽く数メートルはふっ飛ばされたことだろう。転げ方が凄まじかったのか、彼女は大の字になってべったりと地面にへばり付き、履いていたパンプスは片方が脱げて遠くに転がり、着ているワンピースの裾は思い切りはだけて、白い太腿がギリギリのところまで露わになってしまっていた。


(………さて、どうするか……)


 憑魔はその場で考えた。このまま倒れている少女を完全に無視して、散らばったレポート用紙をかき集め、急いで校舎に飛び込めば、まだ見込みはある。滑り込みセーフで、浪人生を回避し、社会人として立派に胸を張って卒業できる。


 ――しかし、目の前に倒れた少女の哀れな姿と、それをただ黙ったままじっと見つめ続けている今の様子を、ふとここを通りかかった第三者が見たらどう思うだろう。下手すれば、自分は年端もいかない少女に暴力やその他諸々の犯罪的行為に走った犯人に見えてもおかしくない。


 今、周りに人気が無かったから良かったものの、それでも憑魔は、すぐ様立ち上がって散らばったレポート用紙を拾い集め、この事故現場から逃走することができなかった。


 ――そう、憑魔は転んだ女の子を放って逃げるなんて選択肢を、彼女をその目で見た瞬間から、とうに捨て去っていたのだから。


「……やれやれ。あともう一年、やるしかねぇか」


 憑魔はそう独り言ちて、倒れた少女に駆け寄り、そっと抱き起したのだった。

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