01 夜の訪問客
本作は、「パッチング・ワールドプロジェクト」企画作品の一つであり、長編「パッチング・レコーズ」に登場するキャラクターの一人、長雨纏の関連人物にスポットを当てた物語となります。シリーズ初見の方、「パッチング・レコーズ」を読んでいない方も楽しめる内容となっておりますので、よろしくお願いします。
夜の冥華町は、眠ることを知らない。
街の中心は、昼間と違って喧騒と熱気に満ちており、夜の煌びやかな雰囲気に魅せられた人々が通りに溢れ、雑踏となって行き交う。路頭に開かれた無数の夜店は一晩中絶えない客を抱え、次の陽が登るまで休むこと無く働き続けている。
そんな煌々絢爛としたネオン街の一角に、一際異彩を放った、まるで巨大なオブジェのようにそびえ立つガラス張りのビルがあった。
そのビルの地上一階はフロア全体が広いエントランスホールになっており、消音壁によって騒々しい外界から完全に隔離された、沈黙のみが支配する空間となっていた。
そんな、明るい照明に照らされ光沢の増した大理石のフロアの上を、大小二人の人影が滑ってゆく。ビルに入ってきた二人組のうち、一人は長身の男性で、頭に中折れ帽を被り、裾が床まで付きそうなロングコートを羽織っていた。コートの下のシャツやパンツも全て黒で統一され、唯一首元から下がるタイの鮮やかな赤がアクセントとなっている。
一方でもう一人の方はというと、小学生の制服を着た小さな子どもで、ブロンドの髪が目立つ可愛らしい女の子だった。
広間の奥には金属探知機のゲートがあり、入り口前にはダークスーツを着た恰幅の良い男性が二人、左右に並んて立っていた。おそらくここの守備を任されているのだろう。どちらも強面の顔で、コート姿の男がゲート前までやって来ると、ガードマン二人は訝しげな顔で彼を睨み付けた。
コートの男は、ガードマンたちの視線が自分の隣に寄り添う小さな少女に向けられたのを見て、にこりと微笑みかけながらこう答えた。
「……あぁ、この子はウチの娘ですよ。車で待ってるように言ったのだけれど、聞いてくれなくて」
そう言って、コートの男は愛想笑いをする。ガードマンたちは彼に脅威はないと判断したのか、無愛想な態度で持ち物を横にあるトレーに置いてゲートを通るよう、無言のまま手で促す。
「……お前はここで待ってなさい。いいね?」
男は穏やかな声でそう言い、繋いでいた少女の手を離してゲートに向かう。ガードマンの指示に従い、時計や財布、ベルトなどの持ち物を全てトレーに置いてからゲートを通る。
――警報は鳴らなかった。
「イヤっ! 私もパパと一緒に行くの!」
すると、背後で待っていた少女が痺れを切らしたように声を上げ、コートの男に駆け寄ろうとゲートを走って通り抜けた。
――警報は鳴らなかった。
涙目になって抱き付いてくる少女に溜め息を漏らしたコートの男は、ガードマン二人に対して肩を竦めて見せ、「構わないかな?」と問い掛ける。寡黙な二人は顔を合わせて呆れたように溜め息を吐き、一人が「行け」と顎で先を示して、そのまま二人はまた見張りの仕事に戻っていった。
こうしてゲートを通り抜けた二人は、さらに奥へと進んでゆく。警戒を厳重にしているのか、ゲートの中にもさらにガードマンが二人立っていた。そして、一番奥には受付の小さなカウンターが見える。
「……ウニカ、『イナイ、イナイ、バァ』だ」
コートの男が、予め示し合わせたことを確認するようにそうささやくと、連れられた女の子がこくりと頭を下げた。
カウンターの中で雑誌を読む人物は、見張りのガードマンたちとは違い、眼鏡をかけて細い体格をした男だった。おそらく、事務経理を専門としている人間なのだろう。
カウンターの男は、やって来た二人にちらと目を向け、そしてまたすぐに雑誌に目を戻し、冷たく言い放った。
「申し訳ありません、お子様を連れての入場はお断りしておりますので」
コートの男は、連れている少女にちらと目を落とす。ブロンド髪の少女も顔を上げて、男の方を向く。彼女の無垢で大きな緋色の瞳に、男の目配せが映った。
「……お子様?」
コートの男はもう一度、言われた言葉を復唱する。
「――お子様なんて連れちゃいねぇよ」
カウンターの男性は目で追っていた雑誌の活字から目を離し、再び二人に目を向けた。
しかし、何故か彼の目には、コートを着た長身の男一人しか映っていない。それまで女の子と手を繋いでいたはずの男の右手には、代わりに派手やかな輝きを放つ、全身金一色で彩られた回転式拳銃が握られていた。
「ほらな」
それは普通のリヴォルバーとは異なり、銃弾の抜ける銃身が弾倉の下方に設けられていた。この特殊な構造により、発射の際の跳ね上がりを抑えることができる。更には、銃の先端に丸い筒状の銃口制退器が取り付けられ、極限まで銃の反動を抑える造りになっていた。本来、よほど強力な銃弾を使うのでなければ、銃にこのようなカスタムは施さないはずである。
――しかし事実、その大口径の銃口がカウンターに向かって火を放つと、大砲を撃つような衝撃が周囲の重い空気を震わせた。男性の持っていた雑誌には大穴が開き、背後の白い壁に肉片の混じった真っ赤な血がアクションペイントの如く弾けて、頭を半分失った男性はカウンターの中に沈み込む。
背後に居たガードマン二人が、銃声を聞いて咄嗟にスーツの襟内に手を伸ばそうとした。が、コートの男は彼らよりも早く、そしてより正確に照準を合わせ、次の瞬間にはガードマン二人の胸にそれぞれ二発ずつ銃弾をぶち込んでいた。二人は血飛沫を撒いてのけ反りながら倒れる。残るはゲートの手前に立っていた二人だけだが、彼らは既に懐から銃を抜いてコートの男を狙っていた。
……しかしこの時、ガードマンたちは完全にコートの男に気を取られており、背後の入口から近付いてきていたもう一人の刺客の存在に気付いていなかった。
「はいそこぉ! 背中がガラ空きですよっ!」
堂々と正面から侵入してきたもう一人の男は、自分に対して背を向けたことを嘲笑うかのように白い歯を覗かせ、背中に隠していた自動拳銃を抜くと、有無も言わさず二人の背中にありったけの銃弾を叩き込んでいた。
――結局、この場に居た見張りの全員が襲撃者を前に一発も撃ち返すことなく床に倒れてしまい、二人は一分も経たぬうちにフロントを制圧してしまったのだった。