18 その願い、叶えてやっても良いぞ?
「……そういえば、どうしてシノは白雨組の奴らに追われていたんだよ? 今度は一体何をやらかしたんだ?」
憑魔の質問に対し、篠介は「あぁ、そりゃこいつのせいさ」と言って自分の席の横に置いていた黒のアタッシュケースをテーブルの上に乱暴に乗せる。
「これって……確か、事故現場から逃げる時、シノがひっくり返った車の中から引っ張り出してた――」
「まぁ中を見りゃ分かるって」
そう言って篠介はテーブルに置かれたアタッシュケースを顎で示す。憑魔は慎重にケースの留め具を外し、恐る恐る中身を確認する。
中には、帯留めされた札束が隙間無くぎっしり詰め込まれていた。福沢諭吉の肖像が一斉にこちらを睨み付けてくるように見え、憑魔は慌ててケースを閉じ、ちらちら辺りを見回す。
そんな動揺する彼の様子を傍で面白げに見ていた篠介が、にっと白い歯を覗かせて言った。
「これだけの大金とお目にかかったのは初めてだろう? これだけありゃ、堅気なら一生遊んで暮らせるだろうぜ。……だがヤクザの世界じゃ、こんなのはした金に過ぎねぇ。会社を立てるにゃ、ある程度の資本金が必要だからな」
「会社を立てるって……お前、自分の組でも作るつもりなのか?」
「おうよ。自分の組を作るのは子どもの頃からの夢だったからな。そのためにはミカジメ料やら何やら必要だろうと思って、白雨組の懐からパクってきた訳さ」
「……なるほど、白雨組の奴らが怒り狂ってシノを追いかける訳だ。……ってか、何でわざわざ白雨の奴らからパクったんだよ?」
憑魔は呆れてそう問いかけると、篠介はふんと鼻を鳴らして答える。
「そりゃ、昔散々してやられた借りを奴に返さなきゃならねぇからな。今回はその始まりの狼煙を上げてやったのさ」
その言葉を聞いた憑魔の表情は途端に険しくなる。過去に起きたあの惨劇のことを、嫌でも思い返してしまう。
「狼煙を上げるって……お前、本当に白雨組の事務所にカチコミかける気なのか? 本気で奴らが俺たちだけで敵う相手だと思ってんのか?」
憑魔の執拗な問いに対し、篠介は「思ってねぇよ」とあっさり切り捨てる。
「……だがな、例え腹を差し違えてたとしても奴のタマを取らなきゃ、俺の腹の虫も治らねぇんだ! マッキーだって気持ちは俺と同じはずだぜ。あの事件があった日から、俺たちはドン底からここまで死に物狂いで這い上がってきたんだ。……だから、今度は俺たちの手で、奴を地獄へ叩き落としてやる。夢はデカく持たきゃいけないぜマッキー」
そう咎められ、憑魔は眉をひそめた。
夢――
そう、これまで平凡で平穏な大学生活を送ってきた憑魔にも、叶えたい夢はあった。しかし、その夢はあまりにも厄介で、危険で、残酷で、とても夢なんて綺麗事で片付けられるような代物ではなかった。
命が幾つあっても足りないであろうその願望を、憑魔は半ばもう諦めかけてしまっていた。自分なんかにできるはずがない。呆気なく無駄に命を散らして終わるだけだ。
今の今まで、ずっとそう思い続けていた。
「――その夢、我が叶えてやっても良いぞ?」
しかし、それまで手の届かぬ夢だと思っていた憑魔の悲願を、いともあっさり汲み取ってしまうように、その少女は言った。
「………は?」
「だ・か・ら! マスターの抱えている願いを、我が叶えてやろうって言っておるのだ!」
その少女は、つぶらな赤い瞳をこちらに向けたまま、テーブルの前に置かれたスフレパンケーキにぎこちない手付きでナイフを入れ、切り取った一片を小さな口に思い切り頬張りながらそう言った。
憑魔は、てっきり彼女が冗談でそう言ったのだと思った。飯を食わせて、気を良くしてそんなことを言い出したのではないかと、そう思った。
でも、彼女なら、本当に憑魔の抱える願望を叶えてしまうかもしれない。
何故なら、彼女は悪魔だからだ。悪魔と契約した者は、どんな願いだって聞いてもらえるし、叶えてもらえる。まるでお伽話みたいに現実味の無い話だ。信じたところで、果たして上手くいくかどうかなんて補償も無い。
――でも、もはや今の自分は悪魔と契約してしまった身。しかも、魔界で何かとんでもないことをやらかしたウニカと同じ罪を背負っているともなれば、どうせこのまま何もせずに死んでも地獄行きなのは確定だろう。
……それならいっそのこと、今生きているうちに好き放題暴れまくって、悔いなく清々と地獄に堕ちてやる。
憑魔の心の奥深くで、一匹の小さな悪魔が、そう囁きかけたような気がした。
「……どんな願いでもいいのか?」
「ふふん、我を誰だと思っておる? あの魔界最強の魔王にして最高の刑執行人、イヴリス・メテオラの娘、ウニカ・メテオラが付いていれば、マスターの夢を叶えることなんて朝飯前であるぞ」
口の中をパンケーキで一杯にしながら、少女はリスのように頬を膨らませてもごもごと答える。
「口にものを入れながら喋るな」
「ふぎゃっ!」
憑魔はそんなウニカの頭をパシリと打った。
「〜〜〜っ……と、とにかく、マスターの考える望みを言ってみよ!」
叩かれた頭を押さえ、涙目になりながらウニカが迫る。
自分の夢……篠介が自分の組を持つことが夢であるならば、俺は――
憑魔は短く息を吸って吐き、やがて覚悟を決めたように、目の前に座る篠介に向けて鋭い視線を据えた。
そして彼は、長年心の内に秘め続けていた自分の願いを、ウニカの前で口にした。
「――俺の親父を殺した白雨組の奴らを、一人残らず、皆殺しにしてやりたい」