九千年の探し物
ちぃぃ!
おおよそ、持ち主のステラがしないだろう表情を浮かべて、アリヤは紐を振り解こうとする。
俺たちは力を合わせて、ステラを抑え込む。
所詮は十五の娘の筋力だ、なんてことなく縛り上げることができた。
「放せエエェ!わたしの縄を解けぇ!」
叫び暴れようとするアリヤ。
俺たちはアリヤを塩水に浮かべ入口まで運び出した。
「アンタら、無事だったか!」
ランバが船を回してくれて待っていた。
「死者が憑いちまってるのか」
尋常でないステラ(正しくはアリヤだがな)の様子を察知してランバが言う。
「その通りよ。お願いがあるんだけど、また私たちを運んでくれない?そこのマーブルと一緒に」
そう言うと、セルテはランバに細かい座標を伝える。
マーブルは、遅れることなく船についてくる。
「マーブルが人の指示に従って、大人しくついて来るなんてな」
「まあ、それには事情があってな」
「まあ、深くは聞かねぇ。自分の身の丈を越えることに首を突っ込むと良いことはねぇからな」
「違えねぇな」
サイトとランバは、短時間で気が合ったのか、二人で盛り上がっていた。
セルテは懸命に、小説を読み返している。
とんでもない速さで読み終えては、また最初から。なんとか、小説の中からヒントを探しているようだった。
そこまでの知識もない俺は、ある意味直感で、なにをすべきかを考えていた。
ステラをステラに戻してアリヤを追い出す。
ただそのために、一旦またレティスリーテの別荘に行く必要がある、そう思っていた。
半日かけて湖を横断し、また半日かけて対岸へ。食事もほとんど取らないで、俺たちは夕方には元の船着場へ戻った。
「さあ、アリヤ、報いを受ける時が来たぞ」
「そうね、九千年にわたって、人から人へ乗り移っては人生を奪ってきたツケを払ってもらわなきゃ」
「セルテ、糸口は掴めたのか?」
「おかげさまで。前に言った通り、闇の魔術は生半可やらかすと自分に返ってきてしまう諸刃の剣。だから慎重に読み解いたの」
大まかに、これからの段取りを説明してくれる。サイトはアリヤの動きを様子見、俺は説明を慎重に聞く。
「いくわよ」
「やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろ!」
まるで動物のような叫びを上げながら、アリヤをその位置へ置く。
水辺と別荘のある地点をつなぐように、大きく二つの紋を展開するセルテ。
複雑な詠唱は、聞いているこちらには理解ができない。次第に紋が浮き上がり、それぞれの者を軸に縛り上げていく。一つは転送の紋、もう一つは反魂を反転させた鎮魂の紋。
時間はまもなく深夜、日付を跨ごうとしていた。
…そう、昨晩『アレ』が現れた時間だ。
ーフコー…
きた。
ーピシャ、パシャ…
かつてレティスリーテだった者が、鎮魂の紋に縛られたマーブルを見つけた。
マーブルは本来陸には上がれない。上がれてしまうのは、既に死を迎えた魂を固定された、命のないマーブルの体だったからだ。
ーフコー…
マーブルを掴んだその体は、マーブルの口に手を突っ込み、何かを掴んで引き出した。
そしてそれを“引き剥がす”ように取り出すと、崩れた鼻から口を縦に開き、飲み込んだ。
「アア…コレデ…ヤット……」
あの崩れた喉のどこから声が出たのだろう…本来の魂を取り戻したレティスリーテは、そのまま静かに蒸発するように消えていく。
そのすぐ横では、声すら縛られたアリヤが最後まで逃げ出そうともがいていた。
「さあ、アリヤ。あなたの体は九千年の間に既に失われている。代わりにここに、あなたの心を受け入れるにふさわしい体を用意したわよ?」
そう言うと、セルテは『転送』の紋と『鎮魂』の紋を、宙で重ねてアリヤを包む。
もはや縄すらいらなくなったアリヤから、サイトが縄を切り離す。
「…ぷはっ!」
途端にアリヤが叫び出す。
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ…頼む!」
「九千年の間、あなたに奪われ続けた人々の気持ちを知りなさい」
もはや断末魔を上げるアリヤ。既に、セルテのやろうとしていることは理解していることだろう。
俺もサイトも、黙って見守る。
「きいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
最後の悲鳴を上げたかと思った瞬間、ステラの方から黒い靄がネトネトと浮き上がる。セルテは丹念に、一滴残らず、そのネトネトとした液体のような物質をステラから“引き剥がし”、転送の紋でマーブルへ封じていく。
一滴残らず、マーブルに全てを移し切ったところで鎮魂の紋を展開して、『移動』の紋を反転させて『固定』へと文字を書き換える。
「これでこの体とあなたを『固定』するわよ! マーブルのヒレの腕と声帯のない喉ではもう闇の魔術は使えない。永遠にこの体で悔いなさいな」
術式の展開を終えると、あたりはまた闇に包まれる。マーブルはしばらく悶えていたが、サイトが転がして湖に落とすと、静かに沈んでいき、浮き上がってくることはなかった。