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直談判!

 夕飯を済ませ、自室に戻ってスマートフォンを見ると、メッセージが届いている。舛原(たがはら)だ。そう言えば中学時代にアドレスの交換をしたが、それきりSNSでやり取りする事は無かった。今朝、連絡船で一緒になる迄、存在そのものを思い出しもしなかった。恐らく舛原もそうだったに違いない。それが今朝会ったと思ったら、夜にはSNSか。親しい仲間ともろくにSNSをやらない。本土の遊び仲間と遊びの予定を調整するときにやり取りする位だ。丈一郎のアドレスも登録してあるが、部活の連絡だけだ。SNS無精の和人には、舛原からのSNSは厄介以外の何物でもない。

公頭(くがしら)先輩、こんばんは〉

 舛原の文はそれだけだ。見た時に返事を寄こせという事だろう。面倒な人間関係に巻き込まれそうな予感に溜息をつきながら、暫くそのメッセージを眺めた挙句、(ようや)く返事を打つ。

〈こんばんは。朝は久し振りだった〉

〈朝、話さなかった事を思い出したんです〉

 返事がすぐに帰って来た。きっと、和人からの返事を待っていたのだろう。朝、話さなかった事?舛原と話した話題と言えば、『もりとえらび』と弓道の繋がりの事しか思いつかない。他にも話した様に思うが、それが頭に浮かんでしまうと、もう他の事は考えられなくなった。もし、それに関する話なら早く知りたい。

〈話って?〉

〈『もりひこ』と『もりひめ』の噂です〉

 文字を読んで、和人はドキリとした。弓道との関係を知る手がかりを想像していたが、もっと『もりとえらび』の核心に迫るような話題だ。でも『噂』って、根も葉もない様なガセネタの匂いもする。

〈噂って信用できるのか?〉

〈分かりません。でも、そう思っている人は何人もいる様なので〉

 曖昧な返事だ。言った事に責任は持てないって事か。

〈どんな中身?〉

〈夜中に何をしているかについて〉

 それは『もりひこ』『もりひめ』になった後、言ってはいけない事になっているから、誰もはっきり話せない。噂という形なのは当たり前だし、他人が興味を持つのも分かる。和人もそれを知りたい。

〈『もりとえらび』が終わった後の2人の様子から〉

 和人が返事を書く前に、舛原からメッセージが来る。何回かに分けて送って来るつもりか。

〈2人の間で何かあるのは確かだと〉〈言えない中身だろうという事です〉

 全然噂じゃない。言わないのは、仕来りだからじゃないか。和人は自分がイライラしているのを感じる。

〈言ってはいけない決まりだから、当たり前だろ?〉

〈だから、禁じられているのではなくて、そもそもとても言えない〉

 勿体ぶった言い方だ。

〈夜中に男女2人きりでやる事は決まっている〉

 ん?

〈やっちゃっているのだろうと〉

 な、なにぃ!やっちゃってるって、それ、あれの事だよな。

〈それ、本当か〉

〈だから、噂です〉

 ちょっと待て。そんな噂聞いたことが無いぞ。そんなぶっ飛んだ内容なら、もっと耳にしてもおかしくない。

〈一体、誰が言っている〉

〈結構、大人はみんな〉

〈聞いた事ないぞ〉

〈対象の世代の前では話しませんよ〉

 それはそうかも知れない。そんな話、事前に聞かされていたら、平気でいられる訳が無い。特に女子は。

〈まさか〉

〈ですよね〉

 何だ、その反応は。嘘だと思っているなら、なんで俺に教えた。

〈でも、もし本当なら、良い思い出になりますね〉

 いやいや、いやいや。そう言う問題じゃない。

〈気楽に言うな〉

〈すいません〉

〈話はそれだけか〉

〈はい〉

 なんだこいつ。人の気持ちをかき混ぜるだけかき混ぜて、楽しんでいるのか。

〈先輩が『もりひこ』になったら、教えてください〉

〈嫌だ〉

 和人はスマートフォンをベッドの上に放り出す。舛原のSNSを見る気が失せた。もう目にしたくない。

 なんて奴だ。こっちが慌てるのを楽しんでいるに違いない。可愛い後輩だと思っていたのに、とんでもない間違いだった。そんな筈は無い。考えてみろ、そんな不埒(ふらち)な神事なら、『もりひめ』になるかも知れない女子の親が黙っていない。長い歴史の中では、自分が『もりひめ』になった経験のある親の子が対象の世代になる事だってあった筈だ。それを許すとは思えない。忘れよう。こんなガセネタで動揺させられたら堪らない。

 和人は勢いよく立ち上がると、風呂に入る事にした。


 畳の上に正座している。視線を落とすと、紫の袴をはいた自分の足とその上で軽く握った自分の両の拳が見える。

 ああ、ついに当日だ。結局、何もできなかった。

 恐らく、神社の本殿の一室だ。畳が敷き詰められている以外、何もない。

「和人君。」

 声がする。その声は美里さんだ。あれ?『もりひめ』が美里さん?あり得るんだっけ?

 和人は自分の横に並ぶ『もりひめ』を見る。

「和人。」

 白筒袖(しらつつそで)を着た山志部(やましべ)明奈がこっちを見て微笑んでいる。

 あれ?明奈。

「和人、一緒にできるね。」

 そうか、『もりひめ』は明奈に決まったのか。なんだか、ほっとする。

「さあ、始めよ。」

 正座していた明奈は膝立ちになると、和人の方に体の向きを変え、膝でにじり寄って来る。赤い(はかま)が鮮やかだ。

 始めるって、何を?

 明奈は顔を近づけ、含み笑いを浮かべると、和人の首に両腕を回す。動けない。明奈に体をあずけられて、そのまま畳の上に倒れ込む。首から足先まで明奈の肢体が密着し、その弾力が伝わって来る。拒むことが出来ない甘美な時間。

「ええ子じゃ。この腰の張りは、元気な赤子が産める。」

 爺ちゃん!


 飛び起きた。心臓がどきどきと踊り狂っている。目の前には毎朝見慣れた自分の部屋の風景が広がっている。雨音はしないが曇っているのか、朝日は差し込まず少し薄暗い。目覚まし時計を見る。セットした時間よりも20分早い。手を伸ばして目覚ましを解除する。両手で顔を拭う。ぬるぬると気持ちの悪い汗を酷く掻いているのに漸く気付く。Tシャツを持ち上げて、匂いを嗅いでみる。

 汗臭い。着替えなきゃ。

 和人はノロノロとベッドから立ち上がり着替え始める。朝だというのに少しも爽やかじゃない。昨日の雨の湿気が部屋の中にも充満し、やけに蒸し暑い。朝飯を食べ、支度を終えると歩いて家を出た。雨は上がっているが、重い雲が頭上間近まで垂れこめ、いつ降り出してもおかしくない。弓道場の露天部が乾かない事を見越して、部活は今日も休みの連絡が来た。弓は家に置き、傘を片手に通学路を歩いていく。舗装路から立ち上がる湿気が耐え難い。暑さに気力を削がれて、とぼとぼ歩きながら考える。

 何であんな夢を見たのだろう。いや、理由は分かっている。あの忌々(いまいま)しい舛原(たがはら)のSNSとエロ爺さんのせいだ。舛原の話は、根も葉もない話だと気にしていないつもりでいたけど、自覚していないだけで気になっていたって事か?そりゃ、刺激的だったもんな。気にしないでいるのが無理か。でも、それだけであんな夢が見れるんだ。女の子に抱きつかれた事なんか無い筈なのに、柔らかい感触がやけに生々しかった。何だか、まだどきどきしている。相手が明奈だったのは爺さんのせいだよな。別に明奈の事、なんとも思っていないし。美里さん一筋だし。あの夢、相手が美里さんだったら良かったなぁ。あのエロ爺さんの話が無けりゃ、美里さんとの夢が見れたかも知れないのに、くそ、なんだか損した。明奈相手にあんな夢見るなんて、もしかして溜まっている?欲求不満なのか?

 連絡船の待合所に丈一郎の姿は無い。既に連絡船は接岸待機していて乗船できる。和人は一人、客席に入って長椅子に座り、スマートフォンを取り出す。

「和人、おはよう。」

 その声に思わずギクリとする。全身の筋肉が一瞬で緊張し、前の座席のフレームにしたたか向う脛を打ち付ける。

「いっ…てー。」

「大丈夫?驚かせちゃった?」

 山志部明奈は、遠慮なしに隣に腰掛ける。

「いや、大丈夫。…おはよう。」

 何だか、明奈の顔を見れない。

「昨日はありがとう。お礼言っておこうって思って。」

「え?…ああ、帰りの話?別に良いよ。たまたま、爺ちゃんが来てたし。」

 じじいが何か変な事言わなかったか?本当は訊きたい。でも、それを訊いたらこっちの人格まで疑われそうだ。

「あ、えっと、トマトありがとうな。却って気を遣わせちまった。」

 目のやり場に困る。すぐ隣にある明奈の腰に意識は集中しているが、絶対に見れない。

「どう?おいしかった?今の時期は露地栽培で実がしっかりしているでしょ。」

「お前、家の仕事手伝ったりするのか?」

 何でこんな話をするんだ?もっと気の利いた会話が出来ないのか?

「まあ、たまにね。休みの日に家に居ると手伝えって言われる。あんまり言われるのが嫌だから、用事を作って出掛けちゃうか、そうじゃなけりゃ、言われる前に手伝う様にしている。」

「そうか、偉いんだな。」

「そんな事ない。そんないっぱい手伝わないし。文句言われない程度にやって、後はやらない。」

 明奈は笑って見せる。

「そうか。」

「和人はお爺さんの仕事、手伝ったりするの?」

 そうか、そう返して来るか。明奈はそれ訊きたいか?それを聞いてどうする。

「手伝わない。やり方分からないし、大体、注文がそんなにないし。」

「お爺さん、和人に継いで欲しくないかな。」

「そんな事考えてないよ。自分の代で終わりにするつもりでいる。」

「ふうん。お父さんがそもそも、やっていないんだっけ。」

「ああ。お前のとこは?姉さん、会社勤めだよな。」

「うん。毎日、島に戻って来るのが大変だからって、6月に本土でアパート借りた。和葉が家出ちゃったから、あたしに期待しているのかも知れないけど、何にも言わない。」

 明奈はどこか遠くの宙を見ている。

 和葉姉さんはトマト農家を継ぐつもりないのか。

「あたしが大学行くって言ったら、もめるかもね。」

 また笑顔だ。和人は目を逸らす。

「あ、そう言えば、弓は?今日は体力強化メニュー?」

「え?」

 和人は思わず客室の壁にかかった小さな時計を見る。

 そうか、この船は朝練のある時に乗る船だ。

「何やっているんだ、俺。」

 全身の力が抜ける。

 部活中止の連絡を貰っていながら、いつもの調子で何も考えずに出て来るとは。そのくせ、弓はしっかり置いて来ているじゃないか。その時点で気付けよ。丈一郎が居ないのも当たり前か。あいつは、1本後の船に乗るつもりだ。

「どうしたの?」

 明奈が覗き込んでくる。

「時間間違えた。今日は部活中止だった。」

「まだ寝ぼけているね。」

 明奈が和人の肩をポンポンと叩く。和人は不必要にビクリとするが、幸い明奈は異変に気付いていない。

 ヤバい、これじゃ気がおかしくなる。何とかしなきゃ!


 授業中、ずっと考えていた。

 舛原(たがはら)が言ったことは噂に過ぎない。きっと、噂をしている人も、それを聞いた人も、そんなことある訳がないと分かっていながら、面白おかしく話しているに過ぎない。それは分かっている。だけど、こんなにも当事者の気持ちはかき乱される。冗談じゃない。あと4日もあんな夢が付き(まと)っていたら気が狂う。どうすれば良い?やっぱり、実際にその夜に何が行われるのか、はっきりさせるのが一番だ。何をするのかみんなが知っていれば、こんな噂、あっという間に消えて無くなる。丈一郎に事情を話して父親に言ってもらおう。今更、神事を秘密にしておくなんて時代遅れだ。たかが片田舎の神社の行事だ。大体、噂が前からあるなら、そんな噂を放っておく事自体どういうつもりだ。儀式に巻き込まれる者の身になってくれ。そうだ、丈一郎だって知っているんじゃないか?知っていて放っておくなら、丈一郎も同罪だ。あいつには噂を打ち消す義務がある。ん?じゃあ、美里さんは?もしかして、美里さんも知っている?いやいや、知っていたら、美里さんが放っておく訳がない。そうだ、第一女性じゃないか。そんな下卑(げひ)た話題に耳を傾ける人じゃない。と言うか、美里さんにそんな噂知られたくない。(さかき)の者でも宮司以外は神事の内容を知らないのなら、美里さんが噂を耳にして、もしかしたらって誤解するかも。そんなの冗談じゃない。例え事実じゃなくても、そんな風に美里さんに見られると思っただけで死にそうだ。もし、本当に神事の中で『もりひこ』と『もりひめ』が、その…肉体的接触を強いられる場面があったとしても、自分は拒める自信があるし、断じて好きでもない相手とそんなことをするつもりは無い。だがしかし。だがしかしだ。それでも神事を終えた自分を周囲の人間が猜疑の眼で見るのは許せない。万一、それを堪えたとしても、美里さんに誤解される様な事態は絶対あってはならない。やっぱり、神事の内容を白日の元に晒して、もし、いかがわしい中身なら変えてしまおう。そう、爺ちゃんも言っていた。時代が変わったんだ。これが新しい伝統行事だ!

 和人は丈一郎を捉まえて、放課後部室の鍵を開けさせた。

「お前、こんな噂があるのを知ってたか!」

 舛原からのSNSの中身を説明して、パイプ椅子に座っている丈一郎に迫る。

「知らん。そんなのガセだろ。お前、揶揄(からか)われたんだ。」

「実際に噂になっているかも重要だけど、一組の男女が一夜、人目の無い所にいれば、そんな馬鹿な想像をする奴が居てもおかしくない。問題はそこだ。」

 一日中この事を考えていて、和人の頭の中はもう煮詰まっている。

「急になんだ。小さい頃から『もりとえらび』の話は知っていただろ。自分が選ばれる覚悟も出来てたんじゃないのか。」

 そのつもりだった。『もりひこ』の対象は二人だけだ。丈一郎か自分のどちらかが選ばれると想像していた。だけど。

 和人は、手近なパイプ椅子を引き寄せて、丈一郎と向かい合って座る。

「そうさ。でも今迄はこんな風に周囲が冷やかしの目で見ているなんて、考えもしなかった。神社の神様が信じられていた昔ならいざ知らず、天変地異が科学で説明できて、巡り合わせも確率で説明できる現代で、信心なんて当てにならない。もう昔の仕来りに拘るのは無茶だ。これが今の島の人間だ。御柱(みはしら)を立てるのが重機で良いなら、『もりとえらび』だって、現代に合わせて変えて良い筈だろ。」

 我ながら良い説得が出来たように思える。

 一瞬、間が空いた。丈一郎は和人の表情を見ている。

「お前の言いたい事は分かった。先に教えてしまった俺にも責任はある。それで、『もりとえらび』を現代に合わせるって、お前はどうしようって言うんだ。」

 丈一郎の声は落ち着いている。和人の(はや)る気持ちを(なだ)める様に。

「お前のお父さんを説得して、神事の内容を知りたい。何を変え、何を残すかは、それが分からなきゃ提案出来ない。少なくとも、神事の式次第を公開するように要求するかも。」

 和人は、自分の言葉を自分で不思議に思っていた。『もりとえらび』なんかやめちまえって言うつもりだったんじゃないのか?自分はこんなに真面目だったろうか?何だか成り行きで変な事を言ってしまった。これじゃ、どんな形かは別にして、『もりひこ』をやる事は承知したようなもんだ。仕方ない。美里さんと約束してしまっているし。

「どうだろう?親父を説得できるかな。兎に角親父と話し合おう。俺も応援するが、そんな簡単じゃないかも知れない。」

「親父さんの説得に時間がかかるのは覚悟の上だ。」

「そうじゃなくて…今までこんな事は無かったから断言は出来ないが、親父一人で決められないかも知れない。氏子会の同意が必要なんじゃないかな。」

「氏子会かぁ。」和人は腕を組む。眉を吊り上げた清吉の顔が目に浮かぶ。「そりゃ、難しいな。」

 時間が無い。3日で型を付けなければ。やってみる前から諦める事じゃない。

「良いさ、今からそれを考えても始まらない。まずは、お前の親父さんに当たってみるさ。」

 和人の決意に、丈一郎は一つ大きく頷いた。


 2人は、そのまま真っ直ぐ榊の家に出向いた。客間で(さかき)康親(やすちか)と向かい合うと流石に気後れしたが、話し始めてしまえばそんな事はすぐに感じなくなった。和人は、自分の気持ちと考えを分かってもらえるよう、兎に角話し続けた。『もりとえらび』の噂の事、神事の内容が秘密なので噂を招いている事、『もりひこ』『もりひめ』が人知れず決められている事、御柱の儀式は既に現代に合わせてゆがめられている事…

 一しきり和人が自分の気持ちを吐き出して話が止まると、(ようや)く康親が口を開いた。

「神事を守って行くのが私の、と言うか、古くからこの島でこの神社を守って来た島の者皆の使命だ。それは承知してくれるか。」

 危ない危ない。ここで簡単に同意すると、言い包められかねない。

「今まで守って来たのは、そうでしょう。」爺ちゃんを見ていても分かる。「でも、それに個人が有無を言わさず縛られて…」

 康親が片手を前に出し、掌を和人に向けて、その発言を制する。

「君がどうしても嫌だと言うならば、『もりひこ』はやってもらわなくて良い。他の人を選ぶ。」

 抑揚の無い、事務的な言葉だ。

「父さん、和人は別にそういう事が言いたいんじゃなくて…」

「仕来りが受け入れられないと言う事は、そういう事だ。『もりひこ』の条件は島の男で数え18。『島の男』というのは、単に島に住んでいれば良い訳じゃない。島の者の心を持っている男と言う事だ。」

 島の者の心?そんなもの、誰が持っているんだ。

「じゃあ、『もりとえらび』で選ばれた者を下品な噂のネタにする人間は、島の者の心ってやつを持っているって言うんですか。」

 止まらない。言わずにはいられない。

「それは話のすり替えだ。そんな噂をする奴と分かったら、『もりとえらび』に参加などさせない。」

 和人は頭の中で糸口を探している。この人は頭が硬い。御柱(みはしら)のやり方を変えるのが良くて、『もりとえらび』のやり方を変えるのがなんで駄目なんだ。

「俺がやらないって言ったら、誰を『もりひこ』にするんですか。言いましたよね。『もりひこ』の条件は島の男で数え18だって。他にその条件を満たす者がいないのに、どうするんですか。結局、仕来りを変える事になりますよ。」

「丈一郎にやらせる。」

 丈一郎が身を固くするのが分かる。

「丈一郎は榊の者。宮司の跡取りだから、駄目なんじゃないですか?俺はそう聞きました。もし権利があるのなら、なんでこうなる前に2人を平等に扱って、選んでくれないんですか。」

「まだ、4日前だ。普通なら、まだ『もりひこ』は選んでいない。これから2人を平等に扱って選んだとしても、2人に1人。どちらかだ。もし、そのやり方で和人君が選ばれたら、君は今の仕来りのままでも、素直に『もりひこ』になってくれるのか。」

 何だか、和人の思った方向に話が進まない。今更丈一郎と2人から選ばれても、何の解決にもならない。自分が選ばれれば、結局今の状況と同じだし、丈一郎が選ばれれば、結果的に自分の我儘で友人に迷惑をかけたようで気分が良くない。第一、美里さんとの約束を破る事になる。

「別に『もりひこ』がやりたくない訳じゃないです。『もりひこ』は俺で良いです。でも、もっと人に誤解されない様な、自分も納得して役を果たせる様な配慮をしてもらえないですか。」

 何だか、腰砕けだ。自分でも情けない。

「どうすれば良い。さっきから話を聞いていると、『もりとえらび』の夜に何があるのかはっきりさせれば良いように思うが、そうか。」

「はい。まずは、それです。」

 そうだ。最初から自分はそれを訊こうとしていたのだ。結局それが分からないから、色々な問題が発生する。変な噂も立つし、自分も覚悟が出来ない。

「そうか。」

 康親は腕組みをして考え込む。

「先に和人に知らしてしまった責任は俺にある。仕来りを破ったのは俺が先なんだ。だから。俺からもお願いします。和人の言い分に配慮して下さい。」

 丈一郎がテーブルに両手をついて、父親に頭を下げる。

 そうか。気付いていなかったが、確かに前日に知らせるという仕来りを最初に破ったのは、丈一郎…と言うか、美里さんだ。

「全く、お前も美里も軽率過ぎる。」

 たかが神社の行事じゃないか。そんなに子供を非難するような事なのか?まあ、榊家にしてみれば家業だが。

「和人君、信じてもらえるか分からないが、」腕組みを解くと、今度は和人に話す。「実際の儀式の中身は、大した事は無いんだよ。実にあっけない、さもない事だ。」

 康親(やすちか)は、自分が執り行う、『もりとえらび』の式次第について話した。『もりひこ』『もりひめ』に選ばれた一組の男女は、当日の夕方、神酒井神社に指定の衣装を着て参詣する。宮司である康親は、2人を本殿の奥の間に通し、そこで夕飯を出す。夕飯のお品書きには細かい取り決めがあるが、和人が気にしている事には関係しないので説明は省く。本殿の中のお手洗いの場所を教え、出された夕飯は残さず食べる事、朝、宮司がこの部屋に来るまで本殿から一歩も出ない事、お手洗いに行く以外は奥の間からも出ない事を教えて、宮司も本殿を後にする。

「それだけの事だ。朝、私が部屋に迎えに行くと、大抵、2人はそれぞれの布団の中でまだ眠っている。夕飯は綺麗に食べた膳がそのまま部屋の隅に置かれている事が多い。だから、私は2人を起こして、本殿の外まで案内し、拝殿前に迎えに来ている両方の親御さんに2人をお返しし、奥の間に取って返すと、夕飯の膳を下げて、布団を畳んで片付ける。そこまででお終いだ。」

 何を言っているんだ?それの何処が口外してはいけない神事なんだ。

「確かに、『もりひこ』『もりひめ』が来る前に、2膳の夕飯を本殿まで運ぶ役をやった事があるよ。」呆気(あっけ)に取られている和人を見かねて、丈一郎が補足する。「俺は、当日本殿の中には上がれないから、入り口に置いて来るだけで、後は、父さんが奥の間までは運ぶんだね。父さんは2人を案内して、暫くすると家に戻って来て、次の朝まで家にいるから、言っている事は本当だと思うよ。」

 言っている事を疑っている訳じゃない。いや、半分信じていないが…。本当だとしても、肝心の所が抜けている。噂も今の話に無かったところが対象だ。

「俺が聞きたいのは、そこじゃないです。宮司が部屋に2人を通して出て行った後、次の朝まで2人きりだってことでしょ。その間に何が行われるんですか。」

「いや、何もない。」康親(やすちか)は憎らしい程涼しい顔をしている。「何も決まっていないんだよ。後は2人で朝まで本殿の中に居れば良い。正確には奥の間にだがな。」

「そんなわけないでしょ。…じゃあ、今の話の中に何か落とし穴があるんだ。ん~、例えば、布団が一組しかないとか。」

「年頃の男女をあずかるんだ。そんないかがわしい仕来りが現代も続くわけがないだろ。ちゃんと二組あるし、離して敷いてある。朝迎えに行っても、大抵そのまま離れて寝ているよ。」

「じゃ、じゃあ、部屋が狭くて嫌でもくっついていなけりゃならないとか。」

「部屋は十畳ある。」

「ええと、風呂だ。風呂に入らなきゃならない。」

「言い忘れたが、神社に来てもらう前に禊ぎをして来てもらう。だから風呂は無しだ。」

「食事に何か幻覚作用のあるものがあるとか。」

「失礼だな。普通の料理だ。調理の仕方は細かく決まっているが。あと、少量だがお神酒(みき)を付ける。」

「それだ。それで酔っぱらって、羽目を外し、次の日は憶えていない。」

「お神酒を出すと言っても、猪口(ちょこ)に少しだ。アルコールが駄目な体質の人もいるから、強制はできないし、酒に慣れていない若者でも、多少暖かくなる位でお終いだろ。」

「何だか、どうしても間違いが起きることにしたいみたいだな。」

 丈一郎が呟く。

「いや、そうじゃない。そうじゃないけど、そんな何の役にも立ちそうにない事が今迄神事として続いているなんて納得がいかない。第一、そんな中身をどうして秘密にしておかなけれりゃならないんだ。おかしいだろ。」

 自分でもムキになっているのを感じる。

「和人君。でも、これが本当だ。4日後には実体験する君に、嘘を話したところで意味がないだろ。それこそ、後で君に訴えられてしまう。」

「でも、納得できないです。」

「確かに、『もりひこ』『もりひめ』は、その夜あった事を他言してはいけない決まりだ。それが仕来りだが、もしもだ。もしも、夜に『もりひめ』が『もりひこ』に襲われるような事態が起きていたら、『もりひめ』がいくら仕来りだからって、黙っていると思うかい?その前に本殿から出るなと言ったところで、きっと逃げ出してくるだろう。違うかい?」

 そう言われればそうだ。自分でも舛原(たがはら)の噂は噂に過ぎないと思っていた筈なのに、なんでそんな状況があるんじゃないかと一生懸命探しているのだろう。

「これで『もりとえらび』の内容は分かってもらえたと思う。これからどうするつもりかな。」

 康親の言葉は穏やかだが、その実、和人は突き放されている。

「この内容を公開して下さい。」

「それは君がすれば良い。私は宮司で伝統を守る責任がある。それを放棄するつもりは無い。でも、君にそんな責任は無い。公開したいならば、君が話せば良い。」

 ずるい。

 何故そう思うかは、上手く説明できない。ただ、直感的にそう感じる。『やれるものなら、やってみろ』そう言われている様だ。

「分かりました。じゃあ、そうさせてもらいます。」

 康親は、和人を見つめたまま軽く(うなず)く。

「これで和人君は『もりひこ』をやってくれるんだね。」

 硬い空気が3人を包んでいる。和人の反応を康親と丈一郎が待っている。

「分かりません。気持ちの整理をさせて下さい。」

 和人は静かに答える。

「君は」和人の答えを聞くと、大きく息を吐きながら、康親が(おもむ)に話始める。「結局、納得していないのだろ?『もりとえらび』の内容が問題なんじゃない。本来なら、名前が書かれた木札の中から、無作為に私が選んで『もりひこ』が決まり、前日に本人に知らされる。そう言い聞かされていたし、それで納得していた。ところがそうならずに、事前に自分が『もりひこ』に決まっている事を言われてしまう。それも、資格を持つ者の中から無作為に選出されるのではなく、とっくの昔に自分しかいない事がはっきりしていて、更に、榊の者や氏子会の者はそれを既に知っていた。自分の事なのに、自分はのけ者になっていたようなものだ。それが気に入らなくて、こんなことをしている訳だ。」

 康親は真っ直ぐに和人を見ている。

「和人、御免。」

 丈一郎の声は(ようや)く聞こえる位に弱々しい。血が湧き上がるのを感じる。顔が暑い。

「酷いじゃないですか。人に散々(しゃべ)らせておいて、そんな風にみていたんじゃ、最初からこっちの言う事なんかまともに聞く気は無かったって事ですね。」

 必死に自分を抑え込んで、暴言だけは吐かない様にする。

「気に障ったなら申し訳ない。でもね、君の話を聞いていると、そう思えて来るんだ。違うなら説明してくれ。」

「父さん、失礼じゃないか。悪いのは俺で、和人は悪くないよ。」

 丈一郎が大きな声を上げる。

「も、もう、良いです!」

 居た堪れず、和人は立ち上がると、挨拶もせず早足に榊家の玄関へ向かう。康親は部屋を出て行く和人を目で追ったが、座ったまま立ち上がろうともしない。

「和人、待ってくれ。」

 丈一郎が慌てて後を追って来る。

 ここで丈一郎に追いつかれて引き留められたら何をしでかすか分からない。血が上った頭の片隅だけは何故か冷静なまま、そんなことを考えている。

 玄関で靴をしっかり履き切らない内に引き戸を開けて外に出る。引き戸を閉める時、視界の片隅に、騒々しい物音で様子を見に廊下まで出て来たのだろう。驚いている美里の姿が映る。

 御免、美里さん。約束守れない。

 そのままの勢いにまかせて歩く。暗闇の道を何かから逃げる様に。(たかぶ)った気持ちが余裕を奪う。どこをどう通ったのか憶えていない。歩いている内に段々気持ちが落ち着いて来る。それと共に、酷い疲労感に襲われる。

 何で丈一郎の親父さんに会って交渉しようなんて思ったんだ。冷静に考えてみたら、こっちの言い分をちゃんと聞いてくれる訳なんか最初から無い事が分かる筈だ。あの人にとっては伝統を守る事が優先で、たかが一人の高校生の言う事など毛程(けほど)にも思っていない。

 康親の言葉が頭の中でぐるぐると回っている。

『自分がのけ者になっていたのが気に入らなくて、こんな事をしている』

 否定したい。いろんな理由を考えて、頭の中で言い訳をしてみる。上手くいかない。

 そもそも、あんた達が仕来りを破って俺に『もりひこ』が決まっていることをばらすのがいけなかったんじゃないか。

 非難してみる。だからと言って、自分の正当性が証明出来る訳ではない事にも気付いてしまう。

 もう、良い。もう、どうでも良い。

 自分の家に着く頃には、行き場の無い悔しさと敗北感が神経をぼろぼろにしていた。



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