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プチトマト

 次の日は雨だった。夜中に降りだした雨は、朝になって本降りになった。これじゃあ、朝練は無い。和人はいつもよりのんびり起きた。しかし、のんびりし過ぎた。歩いていたら学校に間に合う最後の連絡船に間に合わない!

「爺ちゃん、悪い。港まで送って。」

 作業場に昨日の朝まで在った畳が全て無くなっている。きっとお得意さんの家に納めたのだろう。

「なんじゃい。ノロノロしとるから。」

 そう言いながらも清吉は車の鍵を取り出し、商売に使っている軽トラに乗り込む。和人は鞄と傘を手に、雨をよけながら助手席に乗り込む。

「ええか?」

「うん。」

 清吉は年齢を感じさせないキビキビした運転で軽トラを操作する。いつもは弓背負ってトボトボ歩いている狭い旧道を軽トラは縫う様に走って行く。『御柱辻(みはしらつじ)』の角を曲がる。せわしく動くワイパーの向こうに、雨にけぶって輪郭がぼやけた御柱(みはしら)が2つ見える。こうして、雨の日に見ると、何か不気味な古代遺跡の様だ。

「なあ、氏子会は昔からの行事を残すって頑張ってるけど、御柱立てるのに重機使うのは良いのか?」

「ん?何でいけない道理がある。時代が変わったんだ。構わん。」

 清吉の言葉にいつもの勢いはない。

「元々、島の住民が集まって、縄を掛けて立てていたって、小学校で習った記憶がある。島中総出でやらないと2本立てるのは大変で、それが1つの祭りの様なもんだったって。」

 和人はそこで言葉を切った。

 御柱そのものじゃなくて、その行為に意味があるんじゃないか。

 喉まで出た言葉を、口にしてはいけない気がした。

「今の島のもん集めて、何が出来る。人数が減って、年寄りばかりで御柱1本曳くことすらできねぇだろ。これが新しい伝統行事だ。」

 清吉は言い聞かせている。軽トラックを運転しながら、自分自身に。その位は和人にも感じることが出来る。

 周回道路との交差点で一旦停止すると、後は港まで一気に飛ばす。あっという間に港の待合所の前に着く。なんだか、いつも歩いているのが馬鹿らしい。雨でどの運動部も朝練は中止なのだろう。いつもは1つ前の連絡船で顔を合わす生徒たちが、申し合わせた様に今日はこの便に集まっている。見回しても、丈一郎の姿も、美里の姿も無い。あの背の高い丈一郎が居れば、見回さなくてもすぐに気付く筈だ。きっといつもの様に1つ前の船に乗ったのだろう。

公頭(くがしら)先輩、久し振りです。」

 男子学生の声に振り向くと、背の低い小柄な学生が立っている。一ノ島の中学校の1つ後輩の舛原たがはらだ。今は高校1年になっている筈だ。高校のワイシャツを着ているが島高のものじゃない。

「おお、久し振り。元気だったか。」

「はい。」

「今、どうしている?」

 舛原の近況を訊く。

「島平工業に通ってます。」

「そうか、それ、工業の制服か。」

「あ、そうです。」舛原は自分のワイシャツを触る。「俺、頭悪いから、島高は無理なんで。」

「いやいや、俺だって馬鹿だよ。」

 そう、丈一郎と一緒だと思っちゃいけない。

「でも、どうしても島を出たいから、工業行って、工場に就職するしかないかなって。」和人の謙遜は聞いていない。「公頭先輩は大学行くんですよね。」

「ん~、まだ良く考えてないけど。出来ればそうしたいかな。」

 人の流れに乗って船に乗り込む。今日は雨だし、弓を持っていないので、客室に入り込み舛原と並んで座る。

「良いですよね。大学行くなら大阪とか京都とか。兎に角、都会に出て、就職もそっちで出来るじゃないですか。」

「そうだな。」

 和人は、そこまで考えた事は無かった。高校を出ても何がしたいという事も無い。何となく、皆が大学に進むなら、自分も大学に行こうと思っているだけだ。

「じゃあ、『もりとえらび』に選ばれたら、良い思い出になりますね。」

 良い?

「なんで?そうか?」

「そうだと思いますよ。僕等は、対象の年代じゃないから、なりたくても出来ないじゃないですか。誰でも経験出来る訳じゃないし、対象の年代でも男女一人ずつでしょ。良い島の思い出になるんじゃないかな。」

 島の思い出。島を出る事が前提だ。

舛原(たがはら)は、『もりとえらび』やりたかったのか?」

「う~ん、どうでしょう。ただ、生まれた時から関係ない世代だって決まっていると、詰まらないですよ。ワクワクしたものが無いっていうか。」

「『もりひこ』に選ばれたからって、大したことないだろ。思い出って程の事も無いだろうし、その年代だからって、ワクワクなんか無い。」

 むしろ、重荷だ。

「そうですか?公頭先輩はまだ弓道やっているんですよね。『もりとえらび』の年代だから続ける意味もあるけど、俺たちはそんなの関係無いから、高校に入ったらやめちゃいました。今は帰宅部です。仲間と本土で遊んでばかりいます。」

 舛原は、予想される和人の非難を照れ笑いでかわそうとする。

「弓は続けているけど、俺も同じ様なもんだよ。本土の奴等と遊んでる。」舛原の言葉で気になったのはそこじゃない。「なあ、『もりとえらび』の年代だと続けている意味があるってどういう事だ?」

「え?さあ…、分かりません。でも、前にそういう話を聞いた記憶があります。『もりとえらび』に関わる年代は武道をしっかりやらなけりゃいけないって。俺は違うから、弓道やめるって言っても、親は渋々認めてくれました。そういうところで、なんか『もりとえらび』の対象の年代とそうでない年代とは、周りの期待感が違うような気がして。」

 武道をしっかりやる?何故だ?気になるじゃないか。

「俺、今まで、そんな事聞いた事ないけど、『もりとえらび』の年代だと、武道が大事なのはなんでだ?みんな、そんなこと言っているのか?」

「すいません、気になりましたか。誰もが言っている訳じゃないと思いますけど、たまたま、俺が聞いた人がそう言っていただけかも知れません。」

「でも、弓道辞めるのを家族に認めてもらった時、『もりとえらび』の世代じゃないからって話をしたんだろ。」

 和人は食い下がる。何しろ、自分が『もりひこ』確定だ。

「ああ、俺がそう思っていたから、理由に使ったけど、親が許してくれたのはそれが理由だったかは分かりません。何も言わなかったから。」

 そうなんだ。

 和人が真剣に考え込む様子を、舛原は何だか居心地が悪そうにして見ていた。


 授業中も時々、舛原(たがはら)の言葉を思い出した。今まで考えた事も無かった。『もりとえらび』と弓道の関係。別に『もりとえらび』の世代だけが弓道をやる訳じゃない。一ノ島の子供から大人まで、みんなやっている。単純に島の伝統の一つの様な物だと考えていた。でも、何で『もりとえらび』と弓道が関係しているんだ?一晩神社で過ごす間に、弓道の試合でもあるのか?それなら、自分なんかじゃない方が良い。やっぱり腕が立つ丈一郎の方が似合いだ。自分じゃあ、試合にならない。でも試合って、誰と?男女1人ずつだから、2人で試合?そうだ、小さい時から武道を強制されるのは男の子だけだ。女の子達は公園や道端で遊んでいて、稽古に行く途中で見掛けては羨ましく思ったものだった。と言う事は、武芸が必要なのは男だけだ。それに弓道とは限らない。剣道をやっている者もいる。『もりひこ』に剣道をやっている人が選ばれる事だってある筈だ。弓道だったり、剣道だったり、どっちでも良いって事?じゃあきっと、試合がある訳じゃない。弓も竹刀も使わない?それとも選択式?神事で選択式?大学入試試験じゃあるまいし。

 ぐるぐる考えても、キリが無い。結局、頼りにならないが、こいつに頼るしかない。

「なあ、弓道って、『もりとえらび』に関係あるのか?」

 放課後、いつもの雨の日なら、部活が無いのを良い事にクラスの友達と遊びに出るところだが、今日は全部誘いを断って、和人は丈一郎と一緒に島に帰る事にした。せっかく部活が休みになったのにだ。そして、その道すがら話題を切り出した。

「え?急に何の話だ?」

 雨は結局、1日中降っていた。時々強くなったり、弱くなったり。幸い、帰りの時刻には小振りになっていて、港までの道をのんびり傘を差して歩きながら話した。

「今日の朝、ちょっと耳にしたんだ。俺達が小さい頃から弓道をやらされてきたのは、『もりとえらび』と関係しているんじゃないかって。」

「へぇ、自分が『もりひこ』になると判ったら、やけに関心が高くなったな。」

 丈一郎はちょっと冷やかし気味だ。なんか(しゃく)(さわ)るが我慢する。

「気になるんだから、しょうがない。」

「そうか。だが、初めて聞くな。確かに、俺達は小さい頃から弓道をやるように親だけじゃなく、親戚や近所の人からも、さもそれが当たり前の様に言い含められてきたけど、それって、俺達だけじゃないだろ。俺達の先輩も後輩も、みんな言われてきている。その人達は『もりとえらび』には関係ないだろ。」

「そうなんだよ。そうなんだけど、例えば、『もりとえらび』の世代だけやれと言っても、言う事を聞かないから、じゃあ、全員でやりましょうみたいなことは無いかな?」

「なんだい、それ。…それに、俺達は結局弓道をやっているけど、剣道をやっている人達だっているだろ。弓道でも、剣道でも良いっていうのは、どうなんだ?」

「うーん、それも、確かに変なんだけど、どっちでも良い理由が無いかな。」

「どっちでも良い理由?そんなのあるか?」

「やっぱり、『もりとえらび』とくっつけて考えるのは変かぁ。」

「あ、こういうのはどうだろう。俺が昨日も言ったろ、日本の武道ってのは、精神修養に重きを置いている。だから剣道や弓道を通して精神を鍛える事が必要で、だから、弓道でも剣道でも構わないって言う事だろ。」

「精神修養って、『もりひこ』に精神修養が必要なのか?」

「うーん、一晩、神社に閉じ込められるんだ。それなりには必要だろう。」

「なんで男だけ精神修養が必要なんだ?女の子達は武道やってないだろ。」

「え?そりゃ…、女子を守るのは男の役割だからさ。」

「なんか、神社に幽霊でも出るのか?」

「失礼な奴だな。そんな話は無いぞ。」

 丈一郎は本気で怒った顔をする。

 まあ、取って付けた言い訳っぽいが、元々、『もりひこ』として、一人前の男であることが求められていたとも想像できる。とは言え、神社の宮司の息子でもこの程度の回答では、どうやら弓道と『もりとえらび』は関係なさそうだ。

「悪い。もう、良いや。」

 和人は曖昧な返事をして、この話題を終わりにした。

 連絡船の待合所に着くと、学生が沢山(たむろ)していた。

「明奈ちゃん、これから帰り?」

「よ、弓道部コンビ。」

 丈一郎は、気軽にそこに居た山志部(やましべ)明奈に声を掛ける。明奈もいつもと変わらない明るさで返事を返す。

「よう。」

 和人は何だかぎこちない。自分が『もりひこ』になると知ってから、『もりひめ』になる可能性がある明奈をどうしても意識してしまう。

「相変わらず、和人は元気がないねぇ。雨だからしょうがない?」

「うるせぇ、そんなんじゃねぇ。」

「バレー部も今日は部活中止?」

 丈一郎はマイペースだ。

「そう、今日は体育館、バスケット部とバドミントン部の日だから練習無し。」

「安易だな。体育館使えないなら、校舎の廊下で柔軟でもやったらどうだ。」

 和人から、ついつい憎まれ口が出る。

「お前もな。」

 明奈は右手で拳を作ると、和人の二の腕に押しつける。

「ん…。そうだな。」

 和人は頭の中が真っ白になる。

 どう反論すれば良いんだ?いつもは、どんな風にやり返していたっけ。

「部活を休みにしたのは、俺だから。」

 横から、丈一郎が助け舟を出す。

「あれ?やっぱり和人、元気ないでしょ。なんか、気持ち悪い。」

 明奈が身を引く。

「おまえなぁ。」

「明奈ちゃん、居た。」

 声に振り向けば、佐多祁(さたけ)あゆみ、あさみ姉妹が近寄って来る。

 う、なんか気不味い。

 別に和人が彼女等に何か悪い思いをさせた訳じゃない。相手が何も思っていない事位分かっている。なのに、もしかしたら『もりとえらび』で顔を合わせる事になるかもしれないと知っていると意識してしまう。

 明奈は和人達と話すのをやめて、双子姉妹との会話に花を咲かせ出す。余り親しくも無いから、顔を合わせてもろくに挨拶をしないのは前からなのだが、和人には挨拶一つ無く、明奈との会話に入る佐多祁姉妹を見ていると、双子のどちらかが『もりひめ』になったら、さぞ味気無い一夜になりそうで、更に気が重くなる。その晩は、『もりひこ』『もりひめ』と宮司以外、本殿には(さかき)の者達すら入れないと丈一郎が言っていた。もし、宮司が居なくなって、この姉妹のどちらかと二人きりになったら、一体何を話せば良いんだ?

 連絡船の客室に入ると、島高の高2の仲間で一塊になって座った。佐多祁の姉妹と和人達の結節点に明奈がなっている。明奈は良くしゃべる。和人は1人、しぶきとも雨粒とも判別がつかない水滴が流れるガラス窓越しに、暮れていく灰色の海を眺めて黙っていた。

 船を降りると、清吉の軽トラがあった。運転席に清吉の影は無い。少し離れた漁協の事務所の前、魚市場の屋根の下で漁協のおやじ達と一緒に居る。連絡船を降りて来た和人を見つけると、清吉はおやじ達の輪を外れて近づいて来る。

「爺ちゃん、助かった。家まで乗せてくれる?」

 和人は、近付いてきた清吉に声を上げる。

「当たり前だ。そろそろ帰って来るだろうと、待っとった。」

 全く、クラス仲間と遊んでいたら、こんな時間には帰って来なかった。連絡をしていないのに、勝手に港に迎えに来たまま、和人が帰って来るまで何時間でも待っているつもりだったのか。何だかんだ言っても孫思いだ。昨日、畳の仕事を終えてしまったから暇なのだろう。

 和人は港で丈一郎達と別れると、清吉の軽トラックに小走りで駆け込んだ。

「んじゃ、良いか、帰るぞ。」

「うん。」

 ギアをぞんざいにドライブに入れると、ガクンと軽い衝撃を伴って軽トラが動き出す。本土の港を出る時は小振りだった雨は、また強くなっている様だ。周回道路に出る手前で一旦停止する。助手席からふと横を見ると、周回道路の端を赤い傘を差して歩いていく山志部(やましべ)明奈の後ろ姿が見える。

 明奈は港で丈一郎達とも別れたのだ。丈一郎の神社も、佐多祁(さたけ)姉妹のコンビニも反対方面だ。明奈1人が集落とは逆の畑が広がる地区に帰って行く。人の少ない一ノ島だ。ましてや老人ばかりで、車もろくに通らない。周回道路は街灯がちゃんと整備されていて暗い所もない。

 それでも。

 和人には、雨の中、人の気配に背を向けて、街灯の黄色い光の中を遠ざかって行く明奈が、やけにか細く見える。

 あんな姿で1キロ歩いていくのか。

「爺ちゃん、明奈を送ってやっても良いか?」

「ん?」清吉は発進しかけた軽トラを止めて、和人の視線の方向を覗く。「ああ、山志部さんとこの子か。」

「そう。」

「でも、この車じゃ、二人しか乗れないぞ。」

「じゃあ、俺、港で待ってるよ。兎に角、あそこまで走って。」

 清吉はそれ以上何も言わず、右折を左折に変えて周回道路に出ると、明奈の横に止める。ドアを開けて、和人は路上に立った。

「明奈、俺の爺ちゃんが送って行くから乗れよ。」

 立ち止まった明奈は、急に軽トラが傍に停まったせいで驚いた顔をしている。

「早く乗れって。」

 和人は明奈の腕を掴むと軽トラに向かって引く。

「え?ちょっと、良いよ。」

 急な事で明奈は抵抗する。

「良いから。雨がひどくなってきたから、家に着く頃にはずぶ濡れだぞ。」

「でも、和人も帰る所でしょ。」

「車ならすぐだから。明奈の家に寄ったって、大した事無いよ。爺ちゃんがその気になっているから、遠慮するなって。」

 明奈は、強引に腕を引かれて諦め、傘をたたんで軽トラに乗り込む。

「すいません、ご迷惑おかけします。」

 乗り込みながら明奈は清吉に頭を下げる。

「いや、いいさね。」

 こんなに優しい声の清吉を和人は知らない。

「じゃ、頼んだよ。」

 明奈がしっかり乗り込むのを確認すると、和人は外からドアを閉める。一緒に乗るものとばかり思っていたのか、軽トラの中で振り返った明奈の顔は驚いている。明奈が次の行動に移る前に軽トラが動き出す。和人は軽トラが走り去るのを見送ると傘を差した。

 清吉の軽トラックは15分程度で戻って来た。港に戻っていた和人が助手席のドアを開けると、助手席の足元には取っ手付きポリ袋に入ったプチトマトが置かれている。

「何、これ。山志部さんの所寄ったのか。」

 和人は袋を持ち上げると、助手席に乗り込み、袋を自分の膝の上に乗せる。

「ああ、山志部さんの祥子さんが、どうしても持って行ってくれって言うもんでな。」

 軽トラを発進させると、前を見たまま話す。祥子さんとは明奈の母親だ。

「これ、売りもんだろ。山志部さんの家に顔出すから。家の手前の周回道路上で降ろせばいいのに。」

「和人の彼女にそんな冷たい事が出来るか。ちゃんと送り届けんと。」

「かぁ、彼女ぉ?そんなんじゃないし!」

「なんでぇ、そんなにムキになるこたない。ええ子じゃろ。あの腰の張りは、元気な赤子が産める。」

「爺ちゃん、なにエロい事言ってるんだ。まさか、明奈に変な事言ったんじゃないだろうな。」

「いいや。安心せい、なにも言っとらん。」

「本当かぁ?爺ちゃんの評判だけじゃなくて、俺も被害被るんだからな。」

「大丈夫、大丈夫。」

「家まで送って行く軽トラの中で明奈と何話した。」

「なんにも話しとらん。そうじゃ、何で和人が乗らないのかって訊くから、軽トラは2人乗りなんだって言うたら、残念がっておった。」

「ほら、話してるだろ。他には何話した。」

「それだけだ。暗いから、山志部さんの家までの道を教えてもらっとった。」

「怪しい。明奈の母さんとは何話した。」

 全く、油断出来ないじじいだ。こんな事なら、頼まなければよかった。

「礼を言われたから、孫に頼まれただけだから、気にせんで良いって言った。」

 運転しながら、さも無い風だ。

「おいおい、なんでそんな話するかな。それじゃあ、まるで…。」

 明奈の事を気にしているみたいじゃないか。

 口にしかけて、慌てて飲み込む。清吉は何も感付かなかったのか、黙って運転している。

「こんな、おしゃべり爺さんだとは思わなかった。」

 別の科白(せりふ)をひねり出し、何とかその場を取り(つくろ)う。暑い。雨のせいで蒸し暑い。急に全身から汗が噴き出してくる。軽トラの貧弱なエアコンの風の向きを変え、自分の体に当てる。鬱憤晴らしにポリ袋からプチトマトを取り出し、口に頬張る。

「どうじゃ、旨いか。」

 その様子をちらりと横目で見遣ると、清吉が詰まらない事を訊く。

 こんな事にいちいち答えてられるか。

「そういやぁ、その小さいトマトでダイエット出来るんだと。」

「『ダイエット』なんて横文字、爺ちゃん、知っているのか。」

「何言っとる。馬鹿にしおって。当たり前の事じゃ。どうだ、お前もその袋一杯のトマトで夕飯に代えるか。」

「こんなもん、夕飯前のウォーミングアップにしかならん。」

 和人はムキになって、いくつもプチトマトを頬張る。

「山志部さんとこの子は、これでダイエットしとるそうじゃぞ。」

 和人は思わず口からトマトを吹き出す。プチトマトがダッシュボードを転がる。

「あ~、あ~。そんなにいっぺんに口に入れるから。」

 そうじゃないだろ、じじい、さっき他に何も話して無いって言ってたろ。女子が自分からそんな話題を切り出す訳が無い。一体何を言った。

 トマトの汁が気管に入って咳込んでしまい、和人はそれ以上反論できなかった。


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