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姉ちゃん遣うのズルいだろ。

 和人の父親、茂は一家で最初に家を出る。稼業の畳屋を継がず、元々は村役場に就職した。市町村合併で一ノ島村は対岸の島平(しまだいら)市に合併となり、島の中の村役場は、市役所の出張所に変わった。茂の勤務場所も本土の島平市役所に変わり、バイクで通勤している。後から和人が家を出る。部活があるときは、弓を持って行くから徒歩で行く。試験期間で部活が無い時だけ自転車で港に向かうが、大抵高校までは乗って行かず、港の漁協の駐輪場に置いていく。連絡船に自転車を載せられるが、小さい連絡船は自転車でも別料金を取る。大した金額じゃないが、金がかかる事には違いない。無料の漁協駐輪場に置いていくことで、交通費を浮かして小遣いの足しにしている。高校で本土の遊び仲間が出来た事は、行動範囲が広がって、小遣いの捻出に腐心する結果に繋がった。

「行ってきます。」

 和人が家を出る時、清吉はもう作業場で畳替えの仕事を始めている。作業場の隅には、仕上げた畳が何枚も立て掛けてある。あと何枚仕上げるつもりだろう。和人の挨拶に返事もせずに、黙々と作業をする清吉を目の端に捉えながら、ふと考える。

 爺ちゃんは、親父が稼業を継がなくて寂しくなかったのだろうか?

 しかし、直ぐに思い返す。

 爺ちゃんは自分の代で終わりにすると覚悟を決めている。第一、今のご時勢、畳屋だけじゃ食っていけない。親父が給料を持ってくるから暮らせている。自分も畳屋を継ぐつもりは無いし。

 古い町並みの間を縫って、うねりながら緩やかに続く細い道を、和人はゆっくり下って行く。自動車が普及する前からある旧道は、幅も一定しておらず、普通自動車同士がすれ違うには、場所を選ばなければならない。朝から日射しが暑い。時折吹く風に救われる。コンビニの前を過ぎる。朝早い時間でも数人の客の姿が見える。この島、唯一のコンビニだ。元々雑貨屋だったが、10年前にコンビニになった。その時は都会が島にやって来たようで、毎日小遣いを握りしめて買い物に来たものだった。このコンビニのオーナーに、和人と同い年の双子の姉妹がいる。昨日清吉が言っていた、佐多祁(さたけ)家のあゆみとあさみだ。『もりひめ』の対象者は3人。佐多祁の双子のどちらかが『もりひめ』になる可能性の方が、山志部(やましべ)明奈がなる確率よりも高い。和人は歩きながら双子の姿を思い浮かべた。肉親は区別がつくのだろうが、他人の和人にはどちらがあゆみで、どちらがあさみか区別がつかない。明奈と違って、人見知りで大人しい双子とは、小さい頃からろくに話したことも無い。

 まあ、『もりひこ』『もりひめ』といっても、一時の事だからな。

 そう思いながらも、何だか気が重くなる。明奈とお役目を務めるのは冗談じゃないって気持ちだが、だからと言って、双子のどちらかと組むのも、何だか気が重い。

 何か話かけても、じっと見つめられたまま黙っていそうだもんなぁ。

 思わず溜息が漏れる。

 考え事をしながら歩いてT字路に出た。旧道は神酒井神社の境内に向かって延び、神社の境に沿って走る別の道にぶつかる。丁度、御柱(みはしら)の1つが立っている位置にあたる。通称『御柱(つじ)』。和人は一度立ち止まり、朝日に輝く鎮守の森を見上げる。今年はこの時期、新旧の御柱が並んで立っている。鎮守の森の一部だけ樹が伐採され、ぽっかりと開けた場所に御柱が見える。風雨を浴びて色褪せた古い御柱は、表面の所々にコケが生え、何やら黒ずんでいる場所もある。新しい御柱は、表皮を剥いた木材の薄茶色が見る者を清々しい気持ちにさせてくれる。周囲の樹は御柱よりも高い。御柱は決して目立ち過ぎず、森の中に溶け込み、見慣れてしまえば敢えてそれを見ようとする者はいない。

 そう言えば、この御柱も『もりとえらび』と同じ年に立て替えてきた。春に毎週一本ずつ新しい御柱を立てる作業は大変な苦労だ。何も『もりとえらび』と同じ年にやらなくてもいいのに。7年、間が空くのだから、オリンピックの夏季、冬季のように、互いに重ならない様にすれば氏子会ももう少し楽じゃないのだろうか。

 和人は御柱辻(みはしらつじ)を左に折れて、神社の境に沿う道を進む。神社と道路の境は、細長い石材を立て並べた塀でぐるりと囲まれている。背が低く、大人の腰の高さ位しかない石塀は、越えようと思えば越えられる。防犯ではなく、神社の聖域を示しているに過ぎない。塀の外の民家や畑とは対照的に境内は太く高い木々がうっそうと茂っている。少し前までは騒がしい位に朝から蝉の声がしていたが、いつの間にか消え、今は木々の中で遊ぶ鳥の羽音とさえずりばかりだ。歩くのも木陰に入れれば少しは楽だろう。しかし、朝日は神社の反対側から和人を照らし、彼の周囲に逃げ場を作ってはくれない。暑さに参りながらとぼとぼと歩く。そのまま境内に沿って歩いて、自動車が思いっきり走れる島の周回道路に出る。神酒井神社の大鳥居の脇だ。後は、周回道路の歩道を歩いて行けば港に着く。大鳥居の前を通る時、その奥の参道を見遣る。誰の姿も無い。きっと丈一郎はもう港に行ってしまった後だろう。美里も一緒に違いない。ポケットからスマートフォンを取り出して、時間を確認する。

 やばい、急がないと船に遅れる。

 和人は足を速めた。

 港の連絡船待合場所には、島から本土に渡る通勤客と通学客が群れている。朝練がある学生は、この連絡船に乗らないと間に合わない。朝練が無ければ、もう1本後の連絡船で良い。

 人込みの中に丈一郎の姿を捜す。島平高校の生徒は制服で区別がつく。背が高く、肩幅も広い丈一郎を見つけ出すのは簡単だ。隣に、小柄な女生徒が並んでいる。姉の美里だ。

「おはよう。」

 美里の姿を見付けて、胸がざわつくのを隠して和人は出来るだけ自然に挨拶する。

「ああ、おはよう。」

 丈一郎が和人を振り返る。美里は和人を見て、軽く会釈する。

「和人君、昨日は御免なさい。」

 いつにも増して小さな声だ。眉尻を下げて、美里が如何にも済まなそうな顔をする。

「え?何の事ですか?」

 何を言っているのか分かっている。でも、気にしていない風を装わなければ。

「私、『もりひこ』の事、言っちゃいけないってうっかり忘れてて。本当に御免なさい。」

 顔の前で両手を合わせて目をつむる。

 やっぱり、美里さんは可愛い。

「姉さんのおっちょこちょいも、そこまで行くと重症。和人、文句言って良いからな。」

 お前、美里様にそんな酷い事が出来る訳ないだろう。弟だとしても許さん。

「いえ、気にしないで下さい。昨日はびっくりしただけですから。美里さん、今日は早いですね。もう、3年生は部活出ないんじゃないですか?」

 何とか、話題を逸らさなけりゃ。

「うん、もう出ないけど、今日は文化祭の話し合いがあるから。」

 何かほっとした表情だ。良かった。

「そうですか。受験があるのに大変ですね。」

「えぇ~、勉強ばかりしてたら、気が狂っちゃうよ。高校最後の文化祭だから、楽しまなくっちゃ。」

 和人に向けて笑顔を見せる。

 くぅ~、マジで神だわ~。

「そうですよね!えっと、文化祭何やるんですか?」

 何だか、声が上ずる。

「だから、それをこれから話して決めるの。聞いてた?」

「あ、そうか。そうですね。すいません。丈一郎、俺達はどうするか。」

「お前と俺はクラスが別だろ、一緒にはやらないぞ。」

「弓道部で。」

「文化祭だ。弓道部では何もしないだろ。」

「そうか、残念だ。」

 丈一郎の眼が冷たい。そんな目で見るな。もしかしたら、将来自分がお前の義兄になるかも知れないのだぞ。

 人々が連絡船に乗り込んでいく。3人もその流れに乗って歩き出す。

 こんなことをしてはいられない。丈一郎を問い質さなければ。

 乗客は悉く空調が効いた客室に入って行く。美里も他の生徒達と一緒に客室に消えて行った。弓を持った丈一郎と和人だけが、上手い具合にデッキに残る。

 誰も居ない。こんなチャンスは、もう無いかも知れない。此処ではっきりさせないと。

「あのさ、『もりとえらび』の事だけど。」

 デッキで2人だけになると、直ぐに話題を切り出す。船のエンジンの音が耳につく。

「え?何?やっぱり気にしている?」

 丈一郎は、少し笑っているようだ。

「その日、俺は神社に行くだろ?そこで何をするんだ?」

 この際、丈一郎の態度は無視して話を進める。

「それは駄目だ。俺は何も知らない。第一、教えられない決まりだ。」

「嘘をつけ。お前は(さかき)の人間だ。儀式のやり方とか引き継いでいくんだろ。」

 和人は今にも掴みかかりそうな勢いで丈一郎に迫る。

「本当だ。学校を卒業して、神社を継ぐ事がはっきりするまで、何も教えてはもらえない。『もりとえらび』の事で知っているのは、和人と同じレベルだよ。」

「俺が知っている事って何だよ。俺が知っているってお前が思う事で良いから言ってみろ。」

「だから…、夕方に神社の本殿に一組の男女が入って、次の朝まで出て来ないって事。本当だって。行事の一切は、宮司である親父が仕切って、家族の者も、その日は本殿には入れない決まりだ。」

「本当かぁ?じゃあ、何でお前は『もりひこ』になれないんだ。」

「知らないよ。そういう決まりだって、小さい頃から言われていただけだ。」

「小さい頃からぁ?何で今まで教えてくれなかったんだよ!」

「そりゃ、別に二人で『もりとえらび』の話なんかしなかったろ。それに、それを言ったら、和人が『もりひこ』だって、自ずと分かっちまうし。」

 冷たい野郎だ。友情よりも親の言いつけを優先しやがって。たかが伝統行事に、生真面目過ぎるだろ。

「まいったな。何か推測できる事位無いのかよ。」

 神事がとんでも無い内容だったら冗談じゃない。当日、本土の友達の家にでも泊めてもらってやり過ごすぞ。自分が島に帰らなきゃ、一大事だろうな。

「えぇ~。和人、7年前の事憶えていないか?袴姿の人が家族に付き添われて神社にやって来ただろ。何時ごろ来るかはみんな知っているから、その前から大鳥居の前に野次馬が集まってて、自分だと言われなかった、その年の対象者達も、結局誰だったのか知りたくてやって来て、みんなで揃って見たんじゃないのか?次の日の朝も、同じ大鳥居の前に朝早くだというのに、2人の様子を確認しようと噂好きが集まっているだろ。和人も前回は、そうやって見たんじゃないか?」

 確かにそうだ。その日の夜は、神酒井神社の境内は聖域とされ、『もりひこ』『もりひめ』以外は入る事を禁じられている。だから、物見高い奴等は大鳥居の前で屯している。和人も清吉爺さんに連れられて、大鳥居まで『もりひこ』『もりひめ』を見に行った。白い筒袖(つつそで)に薄い紫の袴をはいた人。7年も前で忘れていたが、丈一郎に言われて思い出した。

「ああ、見たよ。そうだ、そうだった。あんな見世物になるのは、まっぴら御免だ!」

 冗談じゃない。やっぱり『もりひこ』なんかやってられるか。

「違う、違う。俺が言いたかったのは、そこじゃなくて、次の日の朝に出て来た姿も普通だったろって事が言いたかったんだ。だから、きっと大した事ないんだって。」

 慌てて丈一郎が言い訳する。

「いいや、何があるかも気になるけど、確実なのは見世物になるって事じゃないか。なんで神社の神事だか何だか知らないけど、そんな何の為かも知れないものの為に俺が犠牲にならなきゃいけないんだ。」

 和人は持っている弓をぶんぶん振って、喚き散らす。

「やっぱり、昨日、言うべきじゃなかったんだ。姉貴のおっちょこちょいには、もう…。」

 丈一郎は頭を抱える。

「おい、美里さんのせいにするな。美里さんが言わなくても、状況は同じじゃないか。それに黙っていて俺を騙すなんて、そっちの方が失礼極まりない!」

「そんな、(だま)すつもりじゃないよ。小さい頃から『もりとえらび』の事は聞かされて来ただろ。和人だって、選ばれた時の覚悟は出来ていた筈だ。」

「覚悟ぉ~?そんなもん、知らん。俺は、丈一郎がなると信じて来たからね~。」

 和人は、言い捨てると、丈一郎に背を向ける。

「おいおい、小学生かよ。」

 何とでも言え。俺は絶対『もりとえらび』には出ない。その日、一ノ島に帰らなければ、もうどうにもできないだろ。


 決心は、午後に打ち砕かれた。

 昼休み、和人はクラスで弁当を食べ終わったところだった。

「おい、公頭(くがしら)、お客さん。」

 席に座っている和人の所に友達がやってきて、教室の入り口を指差している。見れば、女生徒が1人、教室の中を覗いている。小柄でショートヘア、色白の柔らかそうな女生徒がソワソワと居心地悪そうにしている。

 美里さんだ。

 慌てて、和人は席を立つ。急に血流が早くなる。

「おい、何だ、その慌てようは。」

 数人の同級生が冷やかすのを無視して、和人は教室の入り口に足早に向かう。

「御免なさい、呼び出したりしちゃって。」

 和人が近づくなり、如何にも済まなそうな顔をする。

 何言っているんですか。美里さんから俺を訪ねて来てくれるなんて、こんな幸せなことは無いです。

「どうしたんですか?」

「さっき、丈一郎に怒られちゃって。私があんな事言ったから、和人君が『もりとえらび』をやらないって言い出したって。」

「え?」

 おいおい、丈一郎、美里さんを巻き込むなんてずるいぞ。

「ほんと?ほんとなの?だったら、私どうしよう…。」

 そんな、困らないで下さい。美里さんは何も悪くない。

「別に、美里さんのせいじゃないですから。」

「それって、やっぱり、和人君、『もりとえらび』をやらないって事?そうなの?」

 小柄な美里が下から和人を見上げている。

「えっと…。」

「ねえ、何で?何で『もりとえらび』をやらないの?私が勝手に和人君が『もりひこ』だって決め付けちゃったから?」

「いえ、そうじゃないです。美里さんとは関係ない話ですから。そんなに気に病まないで。」

「関係あるよ。私、榊の家の者だもん。私のせいじゃなくても、関わったことで大変な事になっちゃったら、責任あるよ。」

 なんでこんなに必死なんだ。たかが伝統行事じゃないか。それも片田舎の。そんなに榊の親父さんは厳しいのか?

 気付くと、周囲で遠巻きに同級生が見ている。反対側の教室の出入り口から(のぞ)いている奴、廊下の隅で固まってこっちを見ている女生徒達。振り向けば、和人の席ではクラスの友達がニヤニヤしながらこっちを見て話し合っている。

 ヤバい。このまま話を続けるのはまずい。

「美里さん、大丈夫です。俺、『もりとえらび』をやめたりしませんから。」

 ええい、何とでもなれ。

「ほんと?だって、丈一郎が…。」

「あれは、冗談ですから。何だか、からかってやりたくなって言っただけです。まさか、本気にして美里さんにまで言うとは思わなかったので。」

「そうなの?和人君、『もりとえらび』をやめたりしない?」

 そんな純真な目で見ないで下さい。裏切れないじゃないですか。

「本当です。大丈夫ですから。ご心配かけてすいません。」

 和人はペコリと頭を下げる。

「そんな、私こそ、慌ててしまって、休み時間にまで押し掛けて、御免なさい。」

 美里も頭を下げる。

 美里さんだなぁ。どうしてこんなにかわいい仕草が自然にできるんだろう。…それどころじゃない。早く切り上げないと。

「大丈夫ですから、美里さんは戻って下さい。後で、丈一郎と話しておきますから。」

 そうとも、丈一郎、部活の時は只じゃ置かない。覚悟しておけよ。

「ほんと、御免なさい。ちゃんと丈一郎と話してね。」

「ええ、分かりました。」

「じゃ。」

 美里は軽く会釈をすると、廊下を走って行く。その後ろ姿を見送ってから、和人は自分の席に戻った。

「おい、公頭、あの人、3年生だろ?年上が好み?」「なに?デートの相談?」

 席に戻るなり仲間達が口々に囃し立てる。和人は全部無視して机の上に突っ伏す。

 俺って、意志が弱い。その場に流されるんだ。だけど、美里さんを泣かせられないし。

 和人の悩みとは関係なく、仲間達の噂話は和人を置き去りにして、昼休みが終わる迄続いた。


 弓を離れた矢は風切り音を残して飛んで行き、安土(あづち)に突き刺さる。

「あ~、もう。」

 思わず、声が漏れる。

「公頭ぁ、他のもんの迷惑だぁ。声を上げるなぁ。」

 『やません』、おまえもな。

 こんな状態で精神統一などできるものか。部活をズル休みすれば良かった。

 緊張が切れた状態で適当に矢を放ち終わると、矢を回収して道場の後ろに(ほう)けて座った。

「和人、今日は調子悪いな。」

 隣に丈一郎が座り声を掛ける。

「何を呑気な事言っているんだ。誰のせいだと思っている。」

 思わず音量が大きくなる。

「あれ?何か気に障る事したか?」

 こいつ、(とぼ)けているのか?

「昼休み、美里さんが来た。」

「ああ、そうだったか。」

「『そうだったか』じゃない。お前が変な事、美里さんに言うから、心配させちゃったじゃないか。」

 和人が非難しているのに、丈一郎は練習する部員達の方を向くと、薄ら笑いを浮かべる。

 なんじゃ、こいつ。

「『心配させちゃった』か。お前が問題にしたのは、そこか。」

「そこかぁ?当たり前だろ、美里さんは関係ない話なのに、巻き込むお前が悪い。」

「それで、どうしたんだ?」

「どうしたって?」

「だから、姉貴がやって来て、お前はどうしたんだ。」

 丈一郎がもう一度、和人の方を見る。やっぱり薄ら笑いを浮かべている。

「話しただけだ。心配しなくて良いって言って、帰ってもらった。」

「『心配しなくて良い』って、そんな言葉で納得したのか?」

 なんだ、やけに突っ掛かって来るな。

「何だ、何が言いたい。」

 ついつい、声が大きくなる。

「公頭ぁ。また、お前かぁ。」

 『やません』の声が飛ぶ。部員達がその声に驚いて、『やません』と和人を振り返る。和人は両手で耳を(ふさ)ぎ、目をつむった。


 途切れた丈一郎との会話は、部活帰りの道すがら復活した。

「さっき、お前が言っていた、『心配しなくて良い』って、『もりとえらび』をやるって事だよな。」

 丈一郎は頭の上から見下ろしている。こんな所で翻意(ほんい)しても、丈一郎が家に帰って美里さんと話せば、また和人のところに美里さんが飛んでくる。

「なんだ?言葉の通りだ。美里さんを巻き込む事じゃない。」

 出来るだけぞんざいに言葉を返す。

「いやぁ、良かった。和人がやらないなんて事になったら、俺も姉貴も責任重大だったよ。」

 お前は良い、責任を感じろ。だから、美里さんを一緒にするな。

「なんで俺がって気持ちは変わっていないけど、自分がやらないといろんな人に迷惑が掛かる事は理解したつもりだ。」静かにそう言ってから、丈一郎の腕を掴み、和人の方へ引き寄せると睨みつける。「良いか、さっきも言ったが、美里さんにまで迷惑をかける訳には行かない。お前の為じゃないからな。勘違いするな。」

「あ、ああ。それで良い。和人がやってくれるなら。」

 掴んでいた腕を突き放す。

「全く…。」

「大した事じゃないさ。一晩、神社に居てくれれば済む。」

「大した事じゃないって、どうして言える?お前、行事の中身を知らないんだろ。」

「ああ、そうだけど。何百年も『もりひこ』が大勢の中からくじで選ばれて、それで無事にやって来たんだから、難しい事じゃないだろ。」

 丈一郎は自分の事じゃないからか、やけに冷静だ。

「そりゃ、そうだろうけど。問題はそこじゃなくて、なんつうか…。」何だか、頭の中も気持ちもぐしゃぐしゃだ。「兎に角、むしゃくしゃする。こんなだから、今日の弓も最悪だ。」

 なんでも良い。傍にある物にあたりたい気分だ。

「メンタルの影響が出るよな。今日の和人の弓はそんな感じだった。」

 丈一郎は気楽だ。それが余計に悔しい。

「お前は良いよ。別に嫌なことは無いし、そもそも弓の腕が立つ。」

「う~ん、どうかな。上手い人は沢山いるし、俺も気持ちの影響が出るから。まだまだ。」

「何言ってんだ。別に弓を極めるつもりも無いだろ。」

「まあ、そうだけど。でも、精神修業にはなるよね。元々、なんとか道ってやつ、日本の例えば、柔道とか剣道とかは、西洋のスポーツと違って、精神修養の面が大きいよね。どっちが上手いとか、下手とかという次元じゃなくて、自分との闘いというか。」

「何だ、急に。そんな事言い出して。」

「弓道も弓道場に入る時にお辞儀をするけど、柔道は畳に上がる時に、剣道だって試合前にお辞儀をするだろ。礼節って言うのか?そう言うものを学ぶ場なんだろ。」

「別に、今の世の中に必要なのか?第一、柔道部の奴等の何処に礼節があるんだ。ごついばかりの、自分に敵う奴はいないって態度で、学校で偉そうにしてるじゃないか。」

「そりゃ、確かにそういう奴もいるけどさ。」

「みんな、形だけだよ。『やません』に目を付けられない様に、うちの部の1年生だって練習中は大人しくしてるけど、俺達先輩を先輩とも思っていないだろ。」

 丈一郎は微かに笑っただけだ。自分達だって、一ノ島の家に生まれたから、物心つく前からこうして弓道をやっているだけで、自分の意思で始めた訳じゃない。

「それでもさ。きっと、何かが変わるんだと思う。」

 (しばら)く間が空いてから、丈一郎はやけに爽やかに言い放つ。

 なんだ、こいつ、気持ち悪い。女子にもてる奴は、こんなうわっついた科白を平気で吐けるのか?

「お前は、何か変わったのか。」

 つい、つられて質問する。

「いや、分からない。でもさ。そう思っている。」

 和人は、それ以上突っ込まなかった。丈一郎も何かを考えている様だ。

 自分は只々、上手くなりたい。

 少なくともこの時、『もりとえらび』の事は気にしていなかった。もう、覚悟を決めたつもりになっていた。


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