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爺ちゃんは役に立つか

 電信柱と並んで、『公頭(くがしら)畳店』と書かれた看板が見える。半透明なプラスチックで出来ており、中に入っている蛍光灯の光で、夜でもその文字を読む事が出来る。もうずいぶん前から蛍光灯の1本が切れて、看板の下3分の1は薄暗い。

 和人がその看板の下まで来た時、作業場の明かりが家の正面いっぱいから道路に漏れ出して、路面に光の絨毯(じゅうたん)を敷いていた。

「ただいま。」

 道に面した、板ガラスを嵌め込んだ木製の引き戸は、両側いっぱいまで開かれ、作業場の中央に置かれた畳に向かって、祖父の清吉が一心に針を運んでいる。

「おう、お帰り。」

 清吉は畳から目を離さない。和人は清吉の傍らまで来て立ち止まる。

「爺ちゃん、榊さんから手紙預かって来た。」

 手紙を鞄から取り出して畳の上に置く。清吉は手を止めて、ちらりとそれを見るが、すぐまた仕事に戻る。和人は作業場の隅の壁に設けた置き場に弓を置くと、上がり(がまち)に腰掛ける。

「爺ちゃん、そんなに頑張ってどうするんだ。」

「ん?当てにしてくれるお客がいる限り、それに応えるのが仁義だ。」

 清吉は両手を小気味良く動かし、縫い進んでいく。

「大して仕事来ないし、今日、陽が暮れて迄やらなくても、明日でも十分じゃないか。」

 島でも古い家を建て替えるケースが増えて、和室のある家は減った。多少のお得意先があっても、しょっちゅう畳替えなどしない。たまに注文が来た時だけ、清吉は仕事をしている。

「これは仕事だ。そんな中途半端な気持ちじゃ、いけねぇ。」

「ふうん。」

 清吉がふと手を止め、上がり框に座る和人を振り向く。両の眼は真っ直ぐに和人を(にら)んでいる。

「なんだ。何そんな所で呆けている。島の『をのこ』ならシャキッとせい!」

 70を過ぎたくせに、近所を(はば)らない大きな声が出せる。

「ああ、分かったよ。」

 面倒臭い事になりそうだ。今のうちに、この場を去った方が賢明だ。

 和人は鞄を担ぎなおすと、そそくさとその場を離れる算段をする。

 そうだ。手紙の事、訊くつもりだったんだ。

 踏み出しかけた足を止めて清吉を振り返る。彼はもう、仕事の続きに戻っている。

「あの、あのさ、爺ちゃん。その手紙なんだけど。」

 和人は遠くから畳の上の手紙を指差す。清吉は和人の顔と手紙を交互に見る。とても機嫌が良い表情には思えない。

「『もりとえらび』と関係あるのか?」

 清吉が愛想良い表情をしている事なんか無い。機嫌が悪そうな事で気後れしていては、何も話せない。和人はストレートに疑問をぶつける。

「見たのか?」

 いつもにも増して鋭い目つきで和人を睨む。

「え?何を。」

「手紙の中身を見たのか?」

「ま、まさか。そんな非常識な事はしないよ。」

 慌てて片手を振る。清吉は和人の様子を値踏みする。別にやましい所が無い和人も清吉をしっかり見返してやる。

「さあな。読んでみない内から分かるか。」

 清吉はぞんざいに言い捨てると、針先に注意を戻す。

 これは、これ以上訊いても無駄だ。

 和人は、顎を引いて口をきつく結ぶと、できるだけ静かにその場から退散した。


 夜が更けて自室に籠ると、和人はパソコンに向かった。検索に「今月の満月」と入力する。9月の月の満ちる日を調べる。その日が『もりとえらび』当日だ。

 満月は1週間後、平日だ。どうするんだろう。今まで聞いてきた『もりとえらび』の話では、その夜一晩神社に泊まる事になる。と言う事は、その日、高校から帰って来たら神社に行って、次の日は、神社から高校に登校するのだろうか?全く、たかが伝統行事の為に、何で俺がこんな面倒な目に合わなけりゃならないんだ。考えていると、だんだん理不尽な境遇に腹が立ってくる。良く考えれば丈一郎だけ対象外なのが納得いかない。神社の息子は『もりひこ』になれないなんて話は聞いていない。選考をやり直してもらうべきだ。どうやって?俺が直接、榊の家の親父さんに掛け合っても、きっとうまくいかない。そもそも聞いてもくれないだろう。榊の親父さんが無視できないような方法に訴えなけりゃ。…やっぱり、爺ちゃんを動かすのが賢明か。

 公頭家は神酒井神社の氏子だ。この辺りに古くから住む家々は、皆、神酒井神社の氏子で、それぞれの家の代表者で組織された氏子会は神社の運営に関わっている。氏子会ならば、『もりとえらび』に口を挟める筈だ。そして、公頭家の代表は、畳屋を頑なに続けている清吉爺さんだ。

 和人は、2階の自分の部屋から出て階段を降り、清吉の部屋へ向かった。

「爺ちゃん、ちょっと良いかい?」

 廊下から障子越しに清吉に話し掛ける。流石にまだこの時間なら寝てはいないだろう。去年、婆さんに先立たれて暫くは気弱になっていたが、最近はすっかり元の元気さを取り戻して、畳替えの仕事に力を入れている。今時分は、氏子会で主催する秋祭りの準備で、夜はしめ縄づくりに精を出している筈だ。

「なんだ。」

 (こも)った声だが、しっかりした返事だ。静かに障子(しょうじ)を開ける。案の定、清吉は作業机を引っ張り出して来て、紙垂しでをいくつも作っている。昼間は夕方まで畳表を替える仕事に打ち込み、夕食後は神社の例祭の準備に精を出す。一体、この老人はどれだけ丈夫なのだ。

「『もりとえらび』の事で、教えて欲しいんだ。」

 和室に入り込んで、後ろ手に障子を閉める。

「何だか、今日は矢鱈(やたら)とそれが気になっとるな。」

 清吉は作業を止めない。和人は清吉の右脇、少し離れて座る。

「今日、俺が今年の『もりひこ』だって言われた。」

 清吉の手が止まる。

「誰だ。そんな事を言ったのは。」

 低い声だが、強い口調で唾を飛ばす。

「榊の美里さんと丈一郎。」

 勢いに押されて、答えてしまってから後悔する。

「何じゃ。榊さんとこの姉弟かい。しょうも無いのぉ。」

 清吉は右手で無精ひげが生えた(あご)を撫でながら、宙を見ている。

「別に悪意はない。今年の『もりとえらび』で『もりひこ』になれるのは、俺しかいないから、当然俺も知っていると思って話しただけだ。」

「なんじゃ、そう言われたのか。」

 視線を和人に向ける。和人は上目遣いに清吉の反応を見ている。

「その話なんだけどさ、何で俺だけなんだ。丈一郎も対象者じゃないのか。」

 清吉は肩の力を抜くと、小さく溜息をつく。

「榊の家の者は宮司になる約束だ。将来この行事を司る者が当事者にはなれない。」

 なんだそれ。高々田舎の島の神事じゃないか。いつまでもそんなもんに縛られて、それで自分が犠牲になるのか。

「なんでだよ。なんで榊の者だと駄目なんだ。説明してくれよ。」

 ついつい、強い口調になる。

「説明は無い。そういう決まりだ。…なんだ、和人。お前、自分が『もりひこ』じゃあ不満か。」

 清吉の声は和人とは対照的にどんどん冷静になっている。

「いや、そうじゃないけど…。なんか、なんか納得できなくて。」

「そりゃ、不満だって事だろ。『もりひこ』の条件は、数えの18、島の男。お前の代は榊のところの丈一郎とお前しかいない。神社の宮司の条件を除いたところで1人が2人になるだけだ。結局お前が選ばれる可能性は十分にある。そんなことは、ちいこい頃から分かっとったろう。」

 和人は言葉も無い。そんな事は言われなくても分かっている。何も知らずに、『もりとえらび』の前日に「お前になったから」と言われていたら、きっと、そんなもんかと何も気にせずに納得しただろう。

「まさかなぁ。こんな事態になるとは、昔の人は考えてもおらんかったのだろう。わしらの頃には、該当する若者は10人も20人もおった。それが前回は、男が5人、女が4人。今度はとうとう、男はお前だけだ。女だって佐多祁さたけさんのところが双子だから3人になったようなもんで、女も同じようなものだ。」

「もう続けるのは無理だって事だよ。こんな変な習わしを続けるのを諦めればいいだろ。」

「馬鹿もん!」即座に清吉は声を荒げる。「ご先祖さんが大事にしてきたものを、自分の代でそう簡単に失くしてしまえるか。お前には島のもんの誇りが分かっとらん!」

 誇りなんか分からない。そんなものの犠牲に自分がなるのはまっぴら御免だ。

 不満は和人の腹の中で渦巻いていても、清吉の前では口に出来ない。

「良いか、一ノ島の神酒井神社は由緒正しい神社だ。」

 これは話が長くなる予感。遮れば却ってややこしくなるから、黙って聴くしかない。

「延喜式にもその名があるというから、もう千年以上の歴史がある。きっと神代かみよの頃から此処にあったに違いない。一ノ島そのものがご神体。大国主命おおくにぬしのみこと須佐之男命すさのをのみことから授かった太刀と弓矢で八十神やそがみを退治した事に由来する、霊験あらたかなる場所じゃ。我ら氏子もその頃からずっとこの島で神社をお守りしてきた。」

 本当かよ。千年も前の事じゃ、此処にいた証拠はないだろ。

「我らは神社の強き守り手になるべく、武道に励んで来た。それは今も続いている。決して絶やしてはいけない事だ。」

 清吉はここで言葉を切った。

 良かった。案外早く話が終わった。

「それで、なんだったかな。和人は何が不満なんだ?」

 おいおい。話が最初に戻っちゃったじゃないか。これじゃ、爺ちゃんは頼りにならない。

「いや、良いよ。今の話聞いて、何となく事情は分かったから。」

 爺ちゃんがこんな感じなら、他の氏子会の面々も似たり寄ったりだろう。説得しようにも、単に俺が『もりひこ』になりたくないだけだろうとしか考えてくれない。ま、そうなんだけど。

「そうか、和人はもう自分が『もりひこ』になると知ってしまったのじゃったな。」清吉は白髪頭を掻く。「たとえ、お前しかなる人間がいないとしても、仕来りを守って、前日まで黙っていると決めておったのだが。」

 なんだ、やっぱり、爺ちゃんは前から承知していたのか。ずるいな。でも、今そんな事に拘っている場合じゃない。妥協して『もりひこ』になるか、徹底抗戦を貫くか、それを決める判断材料が欲しい。

「爺ちゃん、教えてくれ。当日、『もりひこ』は何をするんだ?」

 清吉の動きが止まる。

「…知らん。」

「またぁ、隠さないで教えてくれよぉ。」

「いや、本当に知らん。わしゃ、『もりひこ』になっておらんし、『もりひこ』になった者は、何があったか、決して話してはいけない決まりだ。茂の代は『もりとえらび』の年に当たっていなかったからな。」

「じゃ、じゃあ、どうやって覚悟を決めれば良いんだ?」

「大丈夫じゃ、大丈夫。周りのもんの言う様にしていれば、自然と終わる。」

 清吉は、和人を宥める様に片手の掌を下にして振る。

「言っている事が変だろ。誰も『もりとえらび』に何があるか分かっていないなら、指示なんか出来ないだろ。」

 何だか、頭に血が上って来る。

「ん~、面倒くさい奴じゃな。少しは我慢しろ。」

「だから、覚悟。何にも無しじゃ、覚悟を決めるにも決められないだろ。」

「昔のもんはみんな、分からなくて不安でも、大人の言う事に従って来たもんだ。」

「1週間だよ、1週間。前日なら、不安でもすぐに過ぎるけど、1週間どうやって過ごせって言うんだよ。勉強どころじゃないよ。」

 別に不安で勉強出来ないとは思っていない。そうじゃなくても、勉強は出来ない。

「だから、本当に知らん。わしが知っている事だけ、話してやる。それで勘弁せい。」清吉は和人が黙って聴く体制になったことを確認してから先を続ける。「当日は、夕方(みそ)ぎを済ませたら、(はかま)に着替えて神酒井神社に向かう。そこから先は、宮司の指示に従う。次の日の朝、わし等は、神酒井神社にお前を迎えに行く。…それでお終いだ。神社の中でどう過ごすのかは、ようわからん。その部分は宮司の榊しか知らん。聞きたければ、榊の親父さんに訊け。答えてもらえるかは分からんがな。」

 なんだ、肝心のところは分からない。

「それじゃあ、結局分からない。」

「だから、言ったじゃろ。知らんて。まあ、戻って来なかった者はおらん。少なくとも、わしの知っている範囲ではな。『もりひこ』『もりひめ』に選ばれた者達は、次の日からも今までと変わらない。…そう言う事じゃ。」

 そんな何でもない神事なら、何で宮司しか知らないなんて秘密なんだ。何で7年に1度、忘れてしまった頃にやる神事が続いて来たんだ。

 和人は清吉の部屋に来る前よりも、却って割り切れない思いを強くして自室戻った。父親の茂の代は『もりとえらび』の年じゃなかったと清吉は言った。そうでなくても、市役所勤めで島の行事には関わっていない自分の父親が、この神事に詳しいとは思えない。きっと、和人が『もりひこ』に選ばれると知っても「ふうん、そうか。」と言うだけだろう。

 和人は寝る前のトレーニングを欠かさない。ゴムチューブで作ったバンドの一方を左手にかけて前に差し出し、右手でもう一方を引く。右手で引いてゴムバンドが伸びた状態で暫く保持する。こうやってゴムの弾力を使って、弓を引く力を付ける。力が付けば、弓を引いた姿勢が安定し、的に狙いを定め易くなる筈だ。百回を5セット。いつもならば、黙々と上手くなる事だけを目指して行っているが、今日はそうはいかない。トレーニングをやりながらも、頭の中は『もりとえらび』の事が駆け巡っている。

 せめて、神社の中で何があるのか位知りたい。宮司しか知らないって言ってたけど、榊の親父さんに訊いても答えてもらえる訳が無い。でも、宮司が知っているなら、後継ぎ候補の丈一郎が知っていても不思議じゃない。そうか、だから丈一郎は『もりひこ』の対象者になれないんじゃないか?そうだ。それなら、丈一郎が外れる理由としてしっくりくる。明日だ。明日、丈一郎に訊こう。答えを渋る様なら、首を絞めてでも吐かせてやる。

 和人はトレーニングを終えて、ゴムバンドを放り出すと、タオルで汗を拭う。体を動かしたことも作用してか、少し気分が晴れる。今なら、風呂に入って、多少暑さが残っていても、ぐっすり寝られる筈だ。


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