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昨日と少し違う今日

「朝です。早い時間ですが、起きて下さい。」

 (さかき)康親(やすちか)の声で和人は目を醒ます。視界には木目が鮮やかな天井が見える。

 此処は?

 周囲を見回して、神社の本殿の部屋にいる事を自覚する。どうやら、布団の上であおむけに寝ていたようだ。昨日の筒袖(つつそで)(はかま)姿のままだ。この時期寒くはないから、この格好で寝ていても問題は無い。

 明奈は?

 少し離れた布団の上で、明奈が目を擦っている。明奈も筒袖、袴のまま眠っていた様だ。彼女も周囲をぼんやりと見回している。

 和人は上半身を起こして、恐る恐る深呼吸する。

 痛くない。

 神棚を振り返る。昨晩、康親が置いた生弓生矢(いくゆみいくや)のお守りはそのままの形で置かれている。勿論、暗い洞窟の入り口など無い。

 あれは、何だったんだ。まさか夢だったなんて事があるのか。

「どうですか?よく眠れましたか。」康親は枕元に立って二人の様子を見る。「もう、ご家族の方が迎えに来ています。支度が出来たら、外に行きましょう。」

 康親に促されて、二人は立ち上がる。支度と言われても、昨日もこの格好のまま手ぶらで来たのだから、すぐにでも出て行ける。二人は黙ったまま、まだ良く醒めない意識のまま、康親に付いて本殿の廊下を歩いた。外に出ると冷えた朝の空気が体を包む。それまで自分の周囲が、湿気のこもった部屋の空気で満たされていた事に初めて気付く。自分達の目の前に清吉と山志部(やましべ)家の明奈の両親がいる。清吉は何か言いたそうだ。けれど、口を半開きにしたまま、和人が近づいて来るのを待っている。和人と明奈は、それぞれの家族の元に向かう。結局、二人は起きてから一言も交わさずに別れた。

「どうだ。よく眠れたか。」

 清吉は、まだ寝ぼけた顔の和人を見上げて、漸く言葉にする。

「うん。まあまあ。」

「さあ、帰ろう。」

 清吉が先に立って歩く。

「『もりひこ』の役目はできたか。」

「ああ。」

 和人は笑みを(こぼ)す。

「前日まで、やるのやらないのと大騒ぎしたが、やってみれば大した事なかったろう?」

 清吉の声が静かに朝の森に吸い込まれていく。

「ああ…、そうだね。」

 和人は玉砂利に目を落としたまま答えた。


 連絡船の出発を待っている。弓を持っているから客室に入らず、デッキで強い日射しを避けて、日陰のベンチに座った。SNSで丈一郎に尋ねたら、今日は部活があるから忘れずに出てくれと返事が来た。()かなければ良かったと半分後悔したが、もう聞いてしまったものは仕方ない。和人は弓を持って家から港まで歩いてきた。早朝とは違って気温が上がり、ワイシャツの下はもう汗だくだ。塩気を含んだ海風でも無いよりはましに感じる。

 『もりとえらび』から家に帰れば、1日休めると勝手に決めていたが、2時限目からでも学校に行けと、母親に追い出された。こっちは疲れているんだと言いかけて、自分でも本当に疲れているのか疑問に思ってやめた。

 いつもより遅い時間の連絡船は乗客が少なく、ましてや暑いデッキにいる客など和人意外見当たらない。こうして、ぼんやりと出航を待っていると、夢ともつかない昨日の晩の事がどうしても頭に浮ぶ。

 感覚はとても現実味があった。けれど、やっている事は全く現実味がなった。あれは、何だったんだろう?

『君の男気(おとこぎ)を発揮する機会だよ。』

 京都で会った伊邑(いむら)創太郎は、確かそう言った。創太郎もあの洞窟での神事を経験したのだろうか?もし、同じ事を経験していたのなら、あれは本当だったと言う事になるのか?まさか…。オカルトの類いは信じない。きっと、創太郎も同じ様な違う夢を、寝ている間に見たのだろう。それなら、本殿という場所、神事に参加している意識、もしかすると、あの夕食に入っている何かも作用して、幻覚の様な夢を見させるのかも知れない。それならあり得そうだ。第一、創太郎は弓は使わないって言っていたのに、自分は散々使った。あれ?でも、爺ちゃんが空けた結界の穴が無けりゃ、自分も弓を使う事なしに終わったのかな?

 船が岸を離れて、港の中を徐行していく。

「和人、隣、良い?」

 声に見上げると、明奈が居る。何故だか、急に胸がざわつく。明奈の声も、いつもの元気いっぱいの感じじゃなく、どこか大人しい。

「ああ、座れよ。」

 上ずりそうな声を抑えて、『どうぞ』という意味を込めて、和人は明奈に近い方のベンチの空きスペースを増やす。明奈は制服のスカートの裾を気にしながら、ベンチに座る。

「中に居たら、和人の姿が見えたから。」

「明奈も家族に学校に行くように言われたか?俺、今日は休めるつもりでいたら、母ちゃんにエライ怒られた。」

「なに、休むつもりでいたの?駄目だよ、ちゃんと学校行かなきゃ。勉強分からなくなっちゃうよ。」

 だんだん、いつもの明奈の調子が出て来た。ちょっと安心する。

「母ちゃんみたいなこと言うのな。そんな、1日くらい学校行かなくても、変わらないさ。」

「和人、大学行くつもりじゃないの?3年になってからじゃ、遅いよ。」

 ほんとに、母ちゃん級の世話焼きだ。

 何か言うと、明奈のお喋りスイッチが入ってしまいそうで返事をしない。

「大学、どうするか、決めた?」

「いや、まだ何にも考えていない。明奈はどうするか決めたのか?」

「まだ決めてないけど。でも、専門学校かな。家から通えるから。うち、お姉ちゃんがきっともう帰って来ないから、やっぱり、あたしが家継ごうかなって思って。」和人の顔をちらりと見て、恥ずかしそうに笑う。「和人は大学行くなら、どこかに下宿するんだよね。」

「ま、そうだな。この島から通える場所になんか大学無いから。」

「だよね。都会に住んだら、遊びに行って良い?」

「良いけど、そもそも大学受かるかも分かっていないんだぞ。気が早くないか。」

「じゃ、決まったら、教えてね。」

 自分は大学に行って、それで何をするつもりだろう。仮に、大学に行かなかったとしたら、何が出来るだろう。

「ね、あのさ…。」

 和人が返事をしないでいると、明奈が急に深刻な感じで話し掛ける。話し掛けておきながら、海を見ている。

「何だよ。」

 明奈の横顔を見て、何か不安を感じながら催促する。

「ん…。なんか、昨日、お酒で酔っぱらっちゃったみたいで、よく覚えていないんだ。ちょっと、舐めただけだったのに、あたし、弱いのかな。」

「そうか。俺も…。俺も、良く覚えてない。いつの間にか寝てたみたいだ。」

「そうなんだ。折角、『もりとえらび』で一緒だったのに、残念だね。」

「良いだろ。そんなもんだ。…スマホの写真、どうするんだ?」

「和人、『もりとえらび』の中身、公開しないの?」

 明奈は、和人の反応を探るように話す。

「しない。やめたよ。」

 はっきりと、けれど静かに話す。

「そっか。」明奈はスマートフォンを取り出して、画面を操作する。「…じゃあ、どうしようかな。消すのも勿体ないから、記念に取っておくかな。」

「そうだな。そうしろよ。」

「これは、仕来りに背いた事になっちゃうかな。」

「大丈夫だろ。自分で持っているだけなら。」

「そうだね。」

 明奈は、きっと今、スマートフォンで昨晩の画像を見ている。和人は敢えて覗かない。

「ありがとね。」

 明奈はそう言ってスマートフォンを鞄に戻すと、視線を足元に落として黙り込んだ。

 明奈は昨日、どんな夢を見たのだろう。確かめたい気持ちはある。もしも、自分が現実離れした夢を話したとして、笑ってくれればまだ救われる。もし、明奈も真剣な表情になったら、どうすれば良い?2人が同じ夢を見たならば、それはもう夢ではない。現実とも言い切れない事象を、誰にも言えずに2人で背負うのは、きっと一種の共犯者になると言う事だ。確かめずにいれば、夢だった、不思議な体験だったと自分の勘違いと決めつけて納得する事も出来る。『もりとえらび』を体験した者が、その晩あった事を語ってはいけないという決め事は、もしかすると、そんな所に理由があるのかも知れない。

 和人は、明奈と並んでベンチに座っていながら、明奈の最後の言葉の意味も考えずに、そうやって1人で物思いに耽っていた。


 和人は学校の弓道場の射場に立ち、射る順番を待っている。自分の隣、自分の背中の向こうで今、丈一郎が弓を引分けているところだ。射場の一番端にいる和人の前には弓道場と校庭を仕切るフェンスがあり、その向こうにコンクリートで地固めされた通路が見える。校庭を通る生徒から丸見えの何とも落ち着かない位置だ。特に丈一郎が射場に立つと、ファンの女生徒が数人、フェンスの向こうから中を必ず覗いている。今も3人程、的場と射場の中間位に立って、丈一郎が射るのを待っている。丈一郎を見たいなら、もっと射場に近い所に来れば良い様なものだが、そうすると、丈一郎が端に立つ和人の陰になってしまうし、弓を構える和人と目が合うのが嫌で避けているのだろう。

 どうでも良い。こっちもその方が気にならなくて済む。

 風切り音を残して、丈一郎の放った矢が的場へと飛んでいく。

 タン。

 小気味良い音を残して、矢は的に突き刺さる。1テンポ遅れて、フェンスの向こうの女生徒達から抑えた歓声が微かに上がる。

 やれやれ、やっぱり丈一郎と一緒に射るのはやりにくい。自分が何をしようが、彼女等は無反応なのは分かっている。結局、的を外しても(あた)っても自分が傷付く。

 足を開き、姿勢を意識する。一つ、ゆっくりと深呼吸する。

 昨日の晩はこんな余裕は無かった。姿勢なんか気にせずに、大穴牟遅(おおあなむぢ)に操られるがまま、矢を(つが)えては引き絞っていた。やっぱり夢だ。自分にあんな簡単に矢が射れる訳がない。

 思わず苦笑いする。矢を番え、ゆっくりと弓を持ち上げ、引分ける。

 動かない的なら、昨日よりも狙い易い筈だ。自分を信じられないのじゃ、矢を射る以前の問題だ。まず自分を信じるんだ。出来る。自分はその気になれば、やり遂げられる。昨日だってそうだったじゃないか。後は気持ちだ。自分の気持ちが乗っていない矢が(あた)る筈がない。中てる気持ちだ。自分は出来る。中てられる。外す訳が無い!

 和人の弓から放たれた矢は、気のせいか、いつもよりもスピードに乗って飛び去って行く。微かな風切り音を残して飛び去った矢は、的を大きく外れて、安土(あづち)にプスリを突き刺さる。

 …やっぱり、駄目か。もしやと思ったけど、そんなにうまくいかないよな。

 思わず小さな溜息が出る。

 タン。

 隣の丈一郎は二の矢も的に中てる。フェンスの向こうの女子達から、また歓声が上がる。

 神様は誰にでも平等って訳じゃない。気紛れだって言っていたよな?

 和人は弓構(ゆがま)えをしながら考える。

 あれは夢、これは現実。あれは夢、これは現実。

 フェンスの向こう、コンクリートの通路の上を運動部の女子達が掛け声を合わせて、2列になって走り過ぎて行く。

「和人、頑張れ!」

 通り過ぎて行く一団の中から声がかかる。

 あの声は明奈だ。何やっているんだ。こんな事したら、明日から噂で大変だぞ。

 和人は片頬で笑うと、深く深呼吸して矢を番えた両腕を持ち上げる。


 了


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