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二人だけの夜

 結局、空はすっきり晴れないまま定刻を迎えた。和人が清吉に見送られて大鳥居をくぐり、拝殿前の広場に着いた時には、既に山志部(やましべ)明奈が来ていた。白の筒袖(つつそで)にオレンジがかった赤の(はかま)を履いている。

「あれ、お前は赤い袴か。俺のは薄い紫だ。」

 和人は広場に立つ明奈の横に並ぶと、自分の袴の裾を両手で広げて、彼女に見せる。

「それ、貝紫って言うんだよ。あたしのは、丹色。」

「へえ、詳しいんだな。」

「父さんに教えてもらった。それも、さっき。」

「何だ。俄か仕込みか。すぐに忘れるぞ。」

「かもね。明日には分からなくなってるかも。」

 明奈がころころと笑う。

 玉砂利を踏みしめる音に振り向くと、狩衣(かりぎぬ)を着て烏帽子(えぼし)を付けた(さかき)康親(やすちか)がこちらに近付いて来る。和人の体に力が入る。

「あの、この前はすいませんでした。」

 和人は康親に頭を下げる。もっと、ちゃんと話して謝罪したいと、清吉に言われてからずっと、神社への道中も、ああ言おう、こう言おうと頭の中で考えて来たのに、口に出来たのは単純な言葉だけだ。自分の未熟さが恨めしい。

 康親は少し笑みを浮かべて、和人に一つ(うなず)くと、二人に向かって話し出す。

「『もりとえらび』の『もりひこ』『もりひめ』に選ばれし者共よ。神酒井に御座おわします大国魂神おおくにたま御前みまえにかしこみ、その御業みわざをよく助け奉れ。」

 急に呪文めいた言葉を言われて、二人は呆気(あっけ)にとられる。

「本日は、『もりとえらび』のためにお越し頂きありがとうございます。これから案内する本殿で今夜泊まってもらいます。私に付いて来てください。」

 意味の分かる日本語に戻ってほっとする。二人は先に立って歩く康親の後に付いて黙って歩く。周囲の森に夕闇が身を伏せている。ふと見上げる空は一面の雲がほんのりと茜に色づき、明日は晴れると告げている。本殿の入り口でこの日の為の真新しい草履を脱ぐと、足袋(たび)のまま、板を(きし)ませて廊下を歩いていく。何か雰囲気に飲まれて、日頃は黙っている事の無い明奈もしおらしくしている。蒸し暑い。外は日が落ちて涼しくなり始めていたが、本殿の中は昼間の空気がそのまま滞留して、肌にじんわりと汗が(にじ)む。長い廊下を行った先、康親は右手の(ふすま)を開けると、明かりのついた部屋に二人を招じ入れる。薄暗い文化財の様な本殿の廊下とは違い、通された部屋は蛍光灯の明かりが煌々(こうこう)と点いている。入るなり部屋の中を見回す。前に康親が言っていた通り、十畳はある広間だ。三方は襖で仕切られ、残った一面は大きな神棚になっている。神棚には神器として銅鏡が置かれ、蝋燭(ろうそく)の火が左右で揺れている。神棚とは真反対の部屋の隅には、二組の布団が敷かれている。間は空けてあるが、並んで敷かれた様が想像をかき立てる。

「ちょ、ちょっと、あれ、変でしょ。」和人は並べて敷かれた布団を差して声を上げる。「あれじゃ、まるで…、何させるんですか!」

「今晩此処に泊まってもらうんです。寝床が無いと困るでしょう。何もいかがわしい事を求めていません。ちゃんと間を空けてありますし、今迄間違いが起こった事は無いですよ。」

 康親は平然としている。

「ちょっと、和人、変な想像しないでよ!」明奈が和人の二の腕を思いっきり叩く。「ちょっとでも変な行動したら容赦しないからね。」

 変な想像するなと言う方が無理だ。でも、今そんな事を言ったら、明奈が黙っていないだろう。

「さ、2人とも、そこに座って。公頭君が向こう側、山志部さんがこちら側。」

 康親は神棚の前に置かれた座布団を差して言う。神棚に向かって右側が和人だ。2人は言われるがまま、座布団の上に正座する。康親は神棚に近付き紙垂しでの付いた榊の枝を取り上げると、神棚の前で二人に向き直る。

「こうべを下げて。」

 康親の指示に従い2人は頭を下げる。頭の上でバサバサと榊の枝を振る音がする。和人の上で3度、明奈の上で3度。

「直って良いですよ。」

 2人が顔を上げると、康親はもう神棚の方を向いている。パンパンと柏手(かしわで)を打ち、唄う様に祝詞(のりと)を上げ始める。

「かくもかしこき…」

 康親の祝詞は何を言っているのか、声が小さ過ぎて聞き取れない。別に気にもならないので、黙って康親の後ろ姿を眺めて待っていると1分程で終わる。最後をお辞儀と柏手で締めて康親は2人に向き直る。

「さあ、これで神前への儀式はお(しま)いです。楽にしてくれて良いですよ。」

 (にわ)かにそんな事を言われても、どうして良いか分からない。まさか、大の字に寝転がる訳にもいくまい。和人と明奈は互いに目線を交わして、どうするか(うかが)っている。

「さあ、もう、その座布団の上に座っていなくても良いですから。そうそう、部屋の隅に立てかけてあるテーブルを出して下さい。堂々と部屋の真ん中に据えて。座布団はその周りで自分達が座るのに使って下さい。それと、公頭(くがしら)君。」

「はい。」

 急に名指しされ、慌てて背筋を伸ばす。

「君は、弓道をやっているのですよね。剣道じゃないですよね?」

 あれ?やっぱり弓道が関係しているのか?

「はい。弓道です。」

「分かりました。」康親は一つ頷く。「じゃあ、ちょっとこの部屋で待っていて下さい。テーブル出して、くつろいでいて良いですから。」

 そう言い残して康親は部屋を出て行く。残された和人と明奈は互いに見合う。

「テーブル出せって。」

 明奈が部屋の隅に立て掛けられた長方形の大きなテーブルを指差す。いつもの明奈らしくない、どこか遠慮がちな声だ。

「ああ。」

 和人は言われるまま、立ち上がってテーブルの所まで行く。明奈も後から付いて来る。

「そっち、持てよ。」

 和人はテーブルの一方に手を掛けると、もう一方を顎で指し示す。明奈は黙ってテーブルに手を掛ける。

「せいの。」

 明奈がテーブルを持つのを待って、息を合わせてテーブルを持ち上げる。一枚板の天板で出来たテーブルは思いのほか重い。

「ちょっと、待ってよ。」

 明奈が落としそうになる。和人は止まって明奈が持ち直すのを待つ。

 2人は何とか重いテーブルを部屋の真ん中に据える。

「これ、何するんだ?」

「さあ。出せって言ったから、こうすれば良いでしょ。」

 明奈は神棚の前に行き、2人の座布団を持ってテーブルの前に戻って来ると、一方を和人に渡す。受け取った座布団を、和人はテーブルの長辺の真ん中あたりに投げ出し、そこに座る。明奈はそれを確認してから、短辺に座布団を敷いて座る。

「なんだよ。」

 和人は、自分と離れて座る明奈に不満だ。

「何が?」

 どこか挑戦的だ。

「2人だけなんだから、こっちに座れよ。」

 和人はテーブルを挟んで自分の正面を指差す。

「別に2人だけなんだから、どこに座ったって良いでしょ。」

「そうだけど…。何でそんな所に座るんだよ。」

「だから、良いでしょ。」

「お前、もしかして、さっきの話、気にしているのか。」

「さっきの話って何?」

「だから…あの、」和人は部屋の隅の布団を指差す。「あれの話だよ。」

「あれって、何言っているの、この変態。」

「いや、そういう意味じゃなくて、布団。布団の事、気にしているのかって。」

「気にしていないから。良いから、その話はもうやめて。」

 やけにムキになる。和人はそれ以上話すのをやめた。

 こいつ、何、意識しているんだ?いつもなら何も気にせずにベタベタスキンシップをしてくるのに。2人きりだからか?いや、さっき連絡船の中では2人だったけど、いつもと変わらなかった。あれは他に客が居たからか。今は部屋に2人だから?でも、丈一郎の親父さんも、姿は見えないけど居る訳だし。なんか変だ。

「あ…。」

 思いついた和人の口から、思わず声が漏れる。

「何?」

 明奈の目が、鋭く和人の様子を探っている。

「いや、別に。」

 言葉では誤魔化しながらも、座った明奈の上半身を素早く見回してから、目を逸らす。

「『別に』って感じじゃない。」

「いや、本当に何でもないって。」

 和人は思いついてしまった。自分は(みそ)ぎをして(ふんどし)を締めた。同じ様に禊ぎをしてから衣装に着替えたのなら、明奈は下着をどうしたのだろう?流石(さすが)に女子だから普通に着けたのか?それとも女子も昔に(なら)っている?女性の和式の下着ってなんだ?和人は頭の中でぐるぐると考える。

 (ふすま)が開いて康親が入って来る。手に何か持っている。それを神棚に置く。和人からは康親の陰になって、直ぐには見えなかったが、置き終わって康親がその場を離れると、持っていた物の全体が見える。縦長の細い木の細工物が二本。一つは円弧状に曲がった平たい木の両端の間に木綿の糸が渡されている。もう一つは丸棒の一方に丸い球状の木片が付き、反対側には矢羽根を模した和紙が3枚貼られている。2つで弓矢を表しているのは誰でもわかる。

「それ、何ですか?」

 和人は康親に()く。

「これは、生弓生矢。」

「いくゆみ、いくや?」

「そう。大国主命おおくにぬしのみこと須佐之男命すさのをのみことから授かった神器を模したものです。」

 明奈は立ち上がり、生弓生矢の傍に寄ってしげしげと眺める。

「これって、和人が弓道習っているからですか?」

 明奈が訊く。

「そう。」

「じゃ、剣道やっている人が『もりひこ』だったら。どうするんですか?」

 今度は和人が訊く。

「その時は生太刀を供えます。」

「いくたち?」

「剣を模した物になります。」

「ふうん。」

 明奈が分かったかの様に頷く。

 先日、康親はこれに関する話をしなかった。やっぱり、武道が関係するのか。一体どう関係するんだ?

「それって、やっぱり、『もりとえらび』に関係するんですか?」

 何故か、訊くのに勇気がいる。

「これだけです。『もりひこ』に選ばれた人に合わせて、神器を供える。そういう決まりです。」

「供えるだけ?」

「そう。」

 真顔で答える康親は、嘘を言っている様には見えない。丈一郎の親で性格が似ているなら、嘘をつく発想すらないだろう。だけど…。

『そうか、気にしているのかな。大丈夫、使わないから。』伊邑(いむら)創太郎の言葉が思い出される。そうか、創太郎は確か『使わない』と言った。『関係ない』じゃなく、『使わない』と。その答えがこれなのか。

 和人はそんな事を考えながら、そろそろと生弓生矢に近付く。何の変哲(へんてつ)もない白木(しらき)で出来ている。単純に切り出した木の部材を組み合わせただけの簡素な造りだ。手間はかかっていないだろう。木肌の色から察して、さして古い物にも思えない。生弓生矢に顔を近づけて、見回している和人を明奈は傍で面白そうに眺めている。

「榊さん、これ、昔から伝わっている特別な生弓生矢だとか言う事は無いですか?」

「いいえ、普通のお守りと同じ物です。この神社でも同じ物を売っていますよ。」

「和人、丁度良いじゃない。弓道が上手くなるようにお参りしたら。どうせだったら、(もら)って帰ったら。」

 明奈は、どう考えても半分面白がっている。

「冗談言うな。そんな必要は無い。」

「持って帰るのはちょっと。『もりとえらび』の内容は他言無用なので。…もし、必要であれば、後日お求めください。社務所に用意してありますから。」

 康親が真面目に応対する。

「あ、ありがとうございます。…考えておきます。」

 ここで、要らないとは言えない。神社のご利益りやくを期待していないと言っている様で申し訳ない。明奈が一人、面白そうに笑っている。なんて奴だ。

「それじゃ、夕飯を運んできますので、待っていて下さい。」

 そう言うと康親は開いた襖の方へ向きを変える。

「あの、あたし、手伝います。」

 明奈は康親に付いて行こうとする。

「いえ、駄目です。」康親は片手を明奈の方に出してそれを制する。「これは私の役割です。『もりひめ』は部屋にいて下さい。そうそう、お手洗いはこの廊下に出て、さっき来た方向と逆に行けばあります。お手洗いに行く以外は、2人ともこの部屋を出ないで下さい。順番に食事を運んで来ますから。」

 康親に止められて、明奈は立ったまま康親を見送る。

「俺達は主役だから、ひな壇の上でじっとしていなきゃならないって事だよ。」

 和人はのそのそテーブルの座布団に戻る。

 さて、こうやって明奈と自分を『もりひめ』『もりひこ』とおだてておいて、一体何をやらせるつもりなのか。

 明奈は襟元からスマートフォンを取り出すと、神棚の写真を撮る。続けて生弓生矢に焦点を合わせて、シャッターを押している。

「おい、お前、スマートフォンなんか持ち込んで、見つかったら怒られるぞ。」

「大丈夫よ。和人黙っててね。」

「そりゃ、良いけど。」

「ありがと。」

 明奈は、数枚写真を撮ると、スマートフォンを襟元に隠して、テーブルの座布団に戻って来る。間を置かずに、襖が開いて康親が料理の膳を持って入って来る。

 間一髪、危ない危ない。

 明奈が和人を見て舌を出す。

「これは、まず『もりひこ』の分。『もりひめ』さんの分は、次持ってきますね。」

 康親は、そう言いながら和人の前に膳を置いてまた部屋を出て行く。和人は自分の前に置かれた料理を見回す。明奈もテーブルに身を乗り出して、料理を覗き込む。

 赤飯にあさりの味噌汁。焼き魚はアジだろう。野菜のお浸しはほうれん草か。珍しいものなど無い。どれも自宅の食卓に並ぶ、ありふれた食事だ。敢えて言えば、赤飯はそうそう食べない。明奈も興味本位で覗き込んだが、これと言って気になる食材も無くて、すぐに興味を失って覗き込むのをやめる。

 康親が戻って来ると、もう一膳を明奈の前に置く。

「これ、なあに。」明奈は、膳の上から透明な液体が入った小さな陶器を持ち上げて、匂いを嗅ぐ。「うわ!」慌てて器を膳に戻す。

「お神酒(みき)です。高校生は飲み慣れていないでしょうから、全部飲まなくても良いですよ。でも、ちょっとで良いから、口を付けてください。『もりとえらび』では、出された料理には、全て口を付けることが決まりになっています。それ以外の料理は出来るだけ、残さず食べて下さい。」

「あの、貝の殻とか、魚の骨は残して良いんですよね?」

 和人は恐る恐る訊く。

「ええ、それは勿論。」

 康親が笑みを浮かべる。

「馬鹿。」

 明奈が(あき)れている。

「あと、お茶を持ってきますね。もう、召し上がって頂いて良いですよ。お二方の好きな時に食べて下さい。」

 康親はまた、部屋を出て行く。

 どうする?

 和人を見る明奈の目がそう言っている。

「お前、腹減っているか?面倒だから、もう食べるか。」

「うん、良いよ。」

 和人と明奈が塗りの箸を取り食事を始めると、急須とポットを持った康親が戻って来る。これじゃ、旅館に泊まって食事をしているようなものだ。どこが神社の伝統ある神事なんだ?

「食事が終わったら、膳は部屋の隅にでも置いておいて下さい。それ以上片付けない様に。私はこれでいなくなります。一晩、本殿には『もりひこ』と『もりひめ』の2人しかいません。明日の朝、朝日が昇ったらまた迎えに来ます。それまで本殿から決して出ないで下さい。先程言った様に、お手洗いは廊下の先にあります。お手洗いに行く以外は、私が朝迎えに来るまでの間、出来るだけこの部屋の中に居て下さい。あと、これ、歯ブラシです。」

 康親はそう言うと、袂から使い捨ての歯ブラシのセットを2つ取り出して、テーブルの上に置く。いよいよ、安宿の様相を呈してきた。これじゃ、明奈と2人で駆け落ちした夜の様だ。

「あの…、万一、火事とかになったら…」

 和人が申し訳なさそうに訊く。

「大丈夫だとは思いますが、万一の場合は本殿から外に避難して下さい。榊の家に私は居ますので、呼びに来ていただければ良いです。本殿には鍵をかけてありません。」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫って?」

 康親ではなく、明奈が横から訊き返す。

「いや、だから、泥棒とか物騒だろ。」

 何だか、明奈に言われると(しゃく)(さわ)る。

「大丈夫です。金目のものは置いていないので。」

 そんなもんか?

「では、私はこれで。」

「え?本当にこれだけなんですか?」

 和人は焼き魚に伸ばした箸を止めて声を上げる。

「そう言いましたよね。」

「ああ、まあ…」

「これだけですが、さっきも言いましたが、私が朝迎えに来るまで、この部屋に居て下さい。それは守ってもらえますね?」

「ええ、勿論。」

 和人より前に明奈が明るく答える。

「では、よろしく。」

 そう言うと、廊下に出た康親が襖を閉める。

 『よろしく』って、あんたは仲居さんか。確かに式次第はこれだけって言っていたけど、本当に何も無しかよ。こんな事の為に自分は振り回されていたのか?

 何だか、悔しい。和人は赤飯をかっ込む。

「あ~、失敗したぁ。」

 明奈の声がやけに甘い。和人は、2人きりになった事を急に意識する。

「なんだよ!」

「箸付ける前に、写真撮っておくんだった。」

 明奈は本当に残念そうだ。

「こんな、ふつーの料理の写真撮ったって、しょうがないだろ。」

「そうだけどさ。和人は『もりとえらび』の内容を公開したいんでしょ?」

「なんだよ、何でお前そんな事知っているんだ。」

「へへ、あたしの情報網を知らないね。」

「知らん。その情報を知っている人間は少ない。どうせ、丈一郎から聞いたんだろ。」

 丈一郎め、口が軽い。()りに()って明奈に話すとは。

「残念でした。うちのばあちゃんも氏子(うじこ)会だからね。和人が丈一郎の家に怒鳴り込んだって事は知っているんだから。」

 そうか、出所は爺ちゃんか。全く、身内にやられるとは。

「怒鳴り込んでいない。言い掛かりだ。」

「でも、変な噂が広まって、誤解されたくないって訴えたんでしょ?」

「なんだ、理由も知っているのか。」

「そ、さっきね、ばあちゃんから教えてもらった。だから、あたしも協力しようかなって。」明奈は襟元からスマートフォンを取り出して振って見せる。「食べかけだけど、ま、良いか。」自分の膳に焦点を合わせて、シャッターを切る。今度は、和人にレンズを向ける。

「なんだよ。」

「いいから。実際に和人が写っていないと、ほんとに『もりとえらび』の写真か分からないでしょ。ほら、食べてるところ。なんか、食べて。」

 左手をひらひらさせて、食べる様に催促する。

 まるで、犬の様な扱いだな。

「そうそう。」

 和人が焼き魚をつつく姿を収めると、満足そうだ。

「あ、ついでに、部屋の中も撮っておく?」

 明奈が周囲を見回す。

「要らない、要らない。あんなもん、撮ったら、却って変な想像されるだろ。」

 二組の布団を指差して、慌てて和人が止める。

「あ、そだね。」

 明奈はスマートフォンをテーブルの上に置く。

「良いから、お前も食べちまえよ。」

「うん。これ、飲むのかな。」

 酒の入った猪口を指差す。

「明奈は、家で酒飲むことは無いのか?」

「お父さんは飲むけど、それだけ。」

「正月とか、お祝いだからって勧められないか?」

「うん、そんな事ないよ。和人は勧められるの?」

「ああ。爺ちゃんが、『一口だけ飲め、祝いだから』ってしつこい。」

「へぇ、和人は爺ちゃん子なんだ。」

「なんでそうなる。丈一郎の親父さんが『ちょっとで良いから、口を付けろ』って言ってたから、舐める位にしておけば、良いんじゃないか。」

「なんだ、和人、仕来りを変えようとしているんじゃないの?」

「ん。ちょっと前までは。少し考えが変わった。」

「ふーん。」

 明奈は猪口(ちょこ)を持ち上げて、匂いを嗅ぎ、少し口を付けて、しかめっ面をする。

「あげる。」

 猪口を和人の方に差し出す。

「俺も要らねぇよ。戻しておけば良いだろ。一応口付けたんだから、上出来だ。」

 明奈は猪口を膳の上に戻す。

「ね、和人も飲んでみて。」

「なんでだよ。面白いもんじゃないだろ。」

「どんな風になるのか見てみたい。」

「このくらい飲んだところで、何も変わらないだろ。」

「ほんとに?実は真っ赤になったりして。」

「そんなになるか。」和人は一気に猪口の中の酒を飲み干す。ヒリヒリとした感覚が口から食道を下って行く。「ほら、どうだ。」

「すぐに、変わらないでしょ。でも、なんかつまんない。」

 面白くなくて結構だ。

「お前、全然、食べ進んでないぞ。」

「え~、なんか多い。残したら駄目かな。」

 こんな神事の内容なら、厳しく守るだけ馬鹿らしいかも知れない。

「いいだろ、食べられるだけ食べて、残しておけよ。」

「あ、あたし、お茶()れるね。」

 明奈は急須に手を伸ばした。



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